22年9月度本部幹部会に於いて


VOD新番組に収録された池田先生の指針――皆で万年の平和と幸福の道を2022年9月6日

  • 「共に」の精神に立つ人は強い
  • ガンジー「人に尽くした分だけ偉大に」

 池田先生のスピーチを収録した新番組「利他の行動で自他共の幸福を」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、1993年4月に行われた全国青年部幹部会でのスピーチである。創価学会創立記念日の「11・18」へ、新たな出発を切り、弘教拡大に励みゆく友への指針として、その要旨を掲載する。
 ※VOD番組の時間は約8分、番組コード=AG15。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。1993年4月に行われた全国青年部幹部会でスピーチする池田先生(東京の創価国際友好会館〈当時〉で)1993年4月に行われた全国青年部幹部会でスピーチする池田先生(東京の創価国際友好会館〈当時〉で)

 インドの偉大な初代首相ネルーは、アショーカ大王の“法による統治”という偉業をたたえている。
 
 「アショーカは、熱心な仏教徒となり、法(ダルマ)を弘めるために、全力を尽くしました。しかし、それは力や強制によったのではありません。彼は、ただ人々の心を勝ち取ることによって、仏法に帰依させたのです」※1
 
 人々の心をつかむ――これがアショーカ大王の弘法であった。仏法の指導者の極理ともいえる。「広宣流布」の魂である。
 
 大切なことは、人間の心をつかむことである。“あの人に会うと、うれしい。安心だ。希望がわく。確信がわく。勇気がわく”――こう、人々から慕われるのが真の指導者である。
 
 青年の「心」、民衆の「心」を勝ち取っていくところに、新しい歴史が開かれる。それ以外にない。
 
 私たちは、どこまでも誠実に、どこまでも確信をもって進みたい。生き生きと、聡明に知恵を発揮しつつ、友情をすがすがしく広げてまいりたい。民衆の味方

 インド独立の父ガンジーについては、これまで幾度となく語ってきた。本日も青年のために少々、紹介しておきたい。
 
 ガンジーは述べている。
 
 「友の幸福のために、尽くした分だけ、人は確実に偉大になる」「私の活動はすべて、私の飽くことなき人類愛に源を発している」※2
 
 友の幸福のために行動する。人類の幸福のために日夜、働き、労苦の汗を流す――ガンジーは、どこまでも他人の幸福、他人の利益のために生ききった。ゆえに偉大であり、ゆえに幸福であった。
 
 “人々のために”――この精神で立つ人は強い。何ものも恐れない。恐れる必要がない。
 
 ゆえに私も、ここまで一切を乗り越えてこられた。一切に勝ってきた。負けなかった。
 
 利己の人は堕落である。向上がなく、充実がなく、幸福もない。
 
 だからこそ、わが学会は、いよいよ民衆の絶対の味方となって、戦っていく。諸君も戦っていただきたい。人類愛の「偉大な人生」であっていただきたい。人々と共に歩くガンジー(中央、1945年)。民衆の幸福のための人生を貫いた© PhotoQuest/ArchivePhoto/Getty Images人々と共に歩くガンジー(中央、1945年)。民衆の幸福のための人生を貫いた© PhotoQuest/ArchivePhoto/Getty Images

 日蓮大聖人の仏法は、全民衆を平等に「仏」にしゆく大法である。
 
 大聖人は、御自分と同じ境涯になりなさいと、そのために御本尊を遺してくださったのである。
 
 師と「同じ希望」「同じ信念」をもち、「同じ努力」を重ねていく――それが弟子である。そのことによって「同じ境涯」にいたるのである。この師弟の道に、仏法の根本があり、人類向上の永遠の王道がある。
 
 ガンジーは“民衆のために「平和の道を開こう」「幸福の道を開こう」”と戦った。その模範の行動に、人々が続いた。
 
 皆さまも、よき先輩の「模範」に続いていただきたい。自分自身が「模範」となっていただきたい。海外の皆さまも、ご自身の「人間革命」の足跡が、そのまま、それぞれの国で、万年の「道」をつくっているのである。この尊き使命を確信していただきたい。1992年2月、インド・ガンジー記念館の招へいで講演した池田先生に、ガンジーの胸像が。先生は「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」と題して、ガンジーが理想とした「開かれた精神性、宗教性」こそ、人類の心を癒やし、蘇生させる道であると訴えた(ニューデリーのインド国立博物館で)1992年2月、インド・ガンジー記念館の招へいで講演した池田先生に、ガンジーの胸像が。先生は「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」と題して、ガンジーが理想とした「開かれた精神性、宗教性」こそ、人類の心を癒やし、蘇生させる道であると訴えた(ニューデリーのインド国立博物館で)一人の確信

 さて、大聖人の門下が激しい弾圧を受けた熱原の法難。この大難に対し、恐れることなく立ち上がった青年に、南条時光がいる。
 
 時光が数えで21歳の時に与えられた御手紙では、こう激励されている。
 
 「『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』」(全1561・新1895)――願わくは、仏に供養する功徳をあまねく一切に及ぼし、自分たちと衆生が皆、ともに成仏できますように――。
 
 皆さまの広布への献身は、仏への最大の供養である。妙法のために行動した功徳は、自分だけでなく、父母、兄弟など、すべての縁ある人々の成仏への力となっていく。
 
 皆を幸福の方向へ向かわせてあげられる。
 
 ゆえに「一人」が立てばよい。一切は「一人」から出発する。「一人」の勇気と確信の信心で決まる。このことを、私はきょう、強く申し上げておきたい。
 
 また、人の幸福を祈れば、その分、自分が幸福になっていく。人の健康を祈れば、その分、自分の健康も守られる――これが妙法の不思議な力用である。
 
 「利己」と「利他」のどちらに力点があるかで、人間の偉大さは決まる。信心が本物かどうかも決まる。
 
 皆さまは、法のため、友のため、真剣に祈り動いて、「利己」から「利他」へと、ダイナミックな生命の転換を、偉大なる人間革命を実現していただきたい。さらなる広布の飛躍を誓い合う第10回本部幹部会。席上、VOD新番組「利他の行動で自他共の幸福を」が上映された(先月27日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)さらなる広布の飛躍を誓い合う第10回本部幹部会。席上、VOD新番組「利他の行動で自他共の幸福を」が上映された(先月27日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

 大聖人は仰せである。
 
 「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(全970・新1324)――一生を空しく過ごして、万年にわたって悔いることがあってはならない――と。
 
 一生は短い。しかし、生命は永遠である。短い今世の戦いによって、永遠の福徳を積むことができる。ゆえに決して、今世の法戦に悔いを残してはならない。人生に悔いを残しては何のための信心か。
 
 広布に生きる人生は多忙である。苦労も多いかもしれない。しかし、普通の人生の10倍、100倍の価値ある人生を生きているのである。大聖人の仰せのとおり、永遠の栄光につつまれた人生であることを確信していただきたい。
 
 諸君の成長と、ご活躍を心から祈りつつ、スピーチを終わりたい。
 
 全国の青年部の諸君、ご苦労さま! これからの戦い、よろしくお願いします!

2022年9月6日付け聖教新聞

〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉

〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉 「7・3」貫く地涌の闘魂2021年6月21日

 6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。
 愛する沖縄の天地で、私は平和を誓願し、小説『人間革命』を書き起こした。
  
 “一人の偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする”との主題を掲げた民衆運動の叙事詩は、1945年7月3日、恩師・戸田先生の出獄から始まる。
 殉教の先師・牧口先生の不二の分身として、戸田先生は東京の焼け野原に一人立たれた。その胸奥には、法難の獄中で悟達された「われ地涌の菩薩なり」との大自覚が烈々と燃え盛っていた。
  
 ここに、創価の広宣流布、立正安国の大行進の原点がある。この恩師の一念を思い起こせば、我らの命に何ものも恐れない地涌の闘魂が湧き上がってくるのだ。
  
 ◇ ◆ ◇ 
  
 この秋に発刊される『日蓮大聖人御書全集 新版』には、妙一尼へ宛てられたと推察される御返事が新たに収められる。
 妙一尼は「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御金言を賜った女性である。
  
 新収録の御文は、佐渡流罪の大難にも一歩も退かず真心の限りを尽くす妙一尼の信心を、釈尊の修行になぞらえて讃えておられる。
 「これは末代の凡女、彼(釈尊)は上代の聖人なり。志既に彼に超過せり。来果何ぞ斉等ならざらんや、斉等ならざらんや」
  
 釈尊をも超える信心の志を貫く女性が、仏と等しい大果報に包まれぬわけがない――この御本仏のお約束は、そのまま地涌の生命を躍動させて広布に走る、創価の女性部・女子部への御賞讃と拝されてならない。
  
 草創の共戦の母たちが常に心に刻んでいた「幸福勝利の哲学」がある。
 第一に、一人の友の幸せを願い切り、大切にする心。
 第二に、目標を最後まで喜び勇んで、やり通す執念。
 第三に、苦難に挑む友を守り支える異体同心の団結。
  
 今も赫々と輝き光る太陽の心である。だからこそ、学会家族は負けない。「冬は必ず春」の凱歌を飾るのだ。
  
 ◇ ◆ ◇ 
  
 恩師の出獄から12年後の7月3日、私は権力による冤罪で入獄した。
 この直前の6月30日に、民衆厳護の使命を誓って誕生したのが学生部である。
  
 御聖訓には、「今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(同917ページ)と仰せである。
 真の地涌の闘士は、悪戦苦闘を越えてこそ育つ。
 大闘争の中でこそ、師子王の心が継承されるのだ。
  
 男子部・女子部の結成70周年の7月を迎える。
 試練の逆境をはね返して、わが後継の若人たちが偉大なる人間革命の逆転劇を創りゆく英姿を、私は祈り見つめている。
  
 共に勝ち進もう!
 「地涌の闘魂」を燃え上がらせて!

〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 我らは「感激の同志」

〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 我らは「感激の同志」

  • 喜び勝たなん 異体同心で前進!

真っ赤な牡丹(ぼたん)が鮮やかに咲き誇る。創価の女性たちの生命の輝きと団結のように(4月、池田先生撮影、東京・新宿区内で)真っ赤な牡丹(ぼたん)が鮮やかに咲き誇る。創価の女性たちの生命の輝きと団結のように(4月、池田先生撮影、東京・新宿区内で)

 御本仏・日蓮大聖人の御聖誕八百年に際し、改めて思い起こされる縁がある。
 大聖人と「武蔵野」「武蔵国」との宿縁である。
 無量の地涌の菩薩たちが末法の広宣流布を誓願する法華経の虚空会の会座を、大聖人は広大な武蔵野の天地になぞらえておられた。
 そして御一代の総仕上げを武蔵国池上郷(現在の東京都大田区)で飾られ、この地で弟子に「立正安国論」を講義され、尽未来際への魂魄を留められたのである。
 恩師・戸田城聖先生は、御本仏の遺業を継ぐ創価学会が、御在世から七百年のリズムで、不思議にも東京を起点に出現したことを、甚深の因縁とされていた。
 今、この大東京を中心に地涌の誓友たちが法華経の会座さながらに勇み集い、立正安国の宝土を築きゆかんと奮闘している。それは、御本仏が展望された未来図通りのロマンの大絵巻といってよい。
  牧口先生の実践

 この六月六日、生誕百五十年を迎えた創立の師父・牧口常三郎先生が、「不惜身命」「死身弘法」を貫き、殉教されたのも、東京である。
 牧口先生が所持する御書に、線を引いて大事にされた法華経の一節がある。
 「能く竊に一人の為にも法華経を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使なり乃至如来則ち衣を以て之れを覆い給うべし」(御書五八〇ページ)
 ただ一人のためにも妙法を説く人は、まさに「仏の使い」であり、慈悲による仏の仕事を行う大切な存在なのだと示されている。
 学会は創立以来、牧口・戸田両先生を先頭に、一人に向き合い、この仏の仕事を実践してきた。それが、互いの顔が見える少人数の座談会であり、胸襟を開いた一対一の対話である。
 「屢談話を致さん」(同一七ページ)と「立正安国論」に仰せの通り、「さあ共に語り合おうではないか!」と皆の幸せと世の安穏を祈り、打って出てきたのだ。
 牧口先生は戦時中の二年間にも、座談会を二百四十余回行ったと記録されている。さらに毎週、自宅などで会員と面談し、信心指導を積み重ねておられた。
 軍部政府の圧迫下でも、徹底して民衆の中へ飛び込み、誠実に一対一の対話を何度も繰り返されたのだ。
 牧口先生は、法難で囚われた獄中でも、身近に接した看守を折伏されていた。戸田先生もそうであった。
 いかなる状況であれ、地涌の誓願に立って縁する「一人」と語らいゆくのだ。そこに、必ず「下種仏法」の幸の仏縁が結ばれ、勝利の道が開かれると、両先生は教えてくださっている。
 我らの「東京の歌」にある如く、「仏の使いに誇りあり」と胸張り進むところに、「喜び勝たなん力」が満々と涌現するのだ。
  女性活躍を願い

 牧口先生は、当時、豊島の西巣鴨にあった東京拘置所から、豊島の目白にある自宅に手紙を送られている。
 奥様はじめ、ご家族の女性方に宛ててである。今でいえば「女性部」であり、世代では“多宝会”と“華陽会”である後継に、一切を変毒為薬する「師子王の心」を綴り、託されていたのだ。
 先生の生誕日を挟んで、六月四日は世界の華陽姉妹の記念日であり、きょう六月十日は婦人部の結成から七十年の記念日となる。
 今、勇気凜々と躍動する女性部と女子部の一人ひとりの活躍を、先師もどれほど喜ばれていることか。
  ここで一人立つ

 師弟は不二なるゆえか、一九四四年(昭和十九年)の十一月、牧口先生が獄死された同時期、同じ拘置所の独房で、戸田先生は、「われ地涌の菩薩なり」と覚知され、広宣流布の大誓願を起こされていた。
 翌年六月の末、先生は、中野の豊多摩刑務所に移送となり、七月三日の夕刻、鉄鎖を切った師子王の如く出獄された。そして自宅への帰途、降り立ったのが目黒駅である。周囲の目黒、品川を見渡せば、焼け野原が広がっていた。
 先生は、ここから広布へ一人立ったのだ。私も、雨の中、目黒通りの権之助坂を歩む師にお供するなど、この地の思い出は尽きない。
 戸田先生が戦後、学会再建へ最初の座談会を行われたのは、七十五年前、東京の蒲田区(当時)であった。
 その翌年、先生が「立正安国論」を講義されていた大田区内の座談会で、私は師弟の契りを結べたのだ。
 先生は、よく言われた。
 ――二人でも三人でもよい。信心の素晴らしさを語り合って、皆が感激に満ちて帰っていく。これが第一線の発展の力なんだ、と。
  立正安国の朝へ 誠実の対話に誇りあり勇敢なる青年と民衆の大城を築きゆけ!――友を励まし、見守り続けて(2008年6月、東京・八王子市内で)勇敢なる青年と民衆の大城を築きゆけ!――友を励まし、見守り続けて(2008年6月、東京・八王子市内で)爆発的な連鎖が

 人の世を動かすものは「感激」にほかならない。
 日本経済の黎明を開いた大実業家・渋沢栄一翁も、こんな言葉を残している。
 「一朝、事に臨んで感激すれば、自ら意気の奮興するものである」
 今日の学会の世界的な広がりも、恩師の獄中の悟達という、広布の使命に生きる感激が源流といえよう。
 この感激の爆発的な連鎖を生んだ舞台の一つが墨田である。この地で戸田先生も私も会長に就任し、広布の大前進を開始したのだ。共戦の師弟には、随喜の感激があり、「元初の生命の曙」が燦然と輝いている。
 渋沢翁に縁深き北区の飛鳥山公園の麓、王子駅前の会場で、戸田先生が出席されて草創の足立支部の総会が行われたことがある。
 学会の組織が飛躍的に伸展した一九五三年(昭和二十八年)の五月であった。
 足立区はもとより、北区、荒川区、板橋区などから、広布を誓って勇んで参集した健気な庶民の英雄たちに、先生は師子吼された。
 「信心が深ければ生活は一変する。運命を転換できる。苦しんでいる人びとを救わんがため、仏の事業をする学会に、功徳がないわけがない」と。
 四年後、荒川の夏季ブロック指導の折、私が随喜の心で共に戦った勇者には、この総会に参加していた方々も大勢おられた。
  兄弟姉妹の絆で

 思えば、大聖人を武蔵国にお迎えしたのは、池上兄弟の一家であった。悪僧に誑かされた父からの二度の勘当に屈せず、凱歌の実証で師恩に報いたのである。
 「いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず」「がうじゃう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆ(弛)む心なかれ」(御書一〇八四ページ)との御指導に、兄弟は奮い立ち、苦難を乗り越えることができた。異体同心で勝ちゆくその姿を、大聖人は「未来までの物語」と讃えてくださったのである。
 とりわけ、池上家においても、女性の信心の力が偉大であった。大聖人は兄弟の妻たちに「末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」(同一〇八八ページ)と記別を贈られている。
 まさに三十年前、邪宗門の忘恩背信が吹き荒れた時、本陣・東京の母たち女性たちが「創価ルネサンス」の旗を高く掲げ、全世界の先頭に立って破邪顕正の声を上げてくれたことも、私と妻は決して忘れない。
 ともあれ、我らの立正安国の前進も“異体を同心とする”団結から生まれる。
 友が悪戦苦闘していると聞けば、我が事の如く祈り、応援する。「友の喜び友の歎き一つなり」(同九三四ページ)との御聖訓に違わず、兄弟姉妹の仲良きスクラムで、いかなる逆境をもはね返してきたのが、創価家族だ。
 中野兄弟会はじめ、大田、目黒、豊島、墨田、江東、新宿、調布、狛江、町田、“村山”など各地に兄弟会があり、共戦の師子の連帯が大河の如く流れ通っている。
 大聖人も渡られた多摩川に接する調布にゆかりの、作家・武者小路実篤翁は壮年の頃、試練の中で書いた。
 「今が大事な時だ」
 「我等はもう一歩進まなければならない。あらゆる方面で、決心強く働き出さなければならない」
 大変であればあるほど、皆で励まし合える絆こそ、かけがえのない宝である。
 日本中、さらに世界中の不二の宝友が、東京を「広宣流布」即「立正安国」の本陣として大切にし、心一つに前進と勝利を祈り、尽くしてくださる。何と有り難き「感激の同志」であろうか!
 まさしく大東京は、創価の勇気が総結集した「大勇の城」そのものなのだ。
  池田先生の書「大勇乃城」(1984年)池田先生の書「大勇乃城」(1984年)負けじ魂で挑め

 江戸っ子の私にとって、東京は大恩ある故郷だ。
 この天地に、地球社会を照らす幸福と安穏、平和と繁栄の「価値創造の花の都」を断固として築き開きたいと、祈り続けている。
 青春時代から、「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」を信条に、ここ東京を主戦場として、苦難にぶつかる度に、来るなら来いと、わが胸中の怒濤をたぎらせてきた。
  池田先生の書「怒濤人生」(1982年)池田先生の書「怒濤人生」(1982年)

 「怒濤の人生」――これは、創価の師弟の覚悟だ。激しき波音が吼えるように、負けじ魂で頑強な巌をも打ち砕いていくのだ。
 青年の七月、師弟の七月へ、我らは決然と進もう!
 「感激の同志」のにぎやかな大行進で、立正安国の新たな朝へ、希望の鐘を打ち鳴らそうではないか!

(随時、掲載いたします)
  

 〈引用文献〉渋沢栄一の言葉は『青淵先生訓言集』(富之日本社)。武者小路実篤は『武者小路實篤全集17』(小学館)。

聖教新聞2021年6月10日付け