勝ち鬨

勝ち鬨

法悟空 内田健一郎 画 (6249)

2017年12月15日

九月六日付の「聖教新聞」には、十一月に徳島講堂の落成を記念して祝賀行事が行われ、山本伸一も出席する予定であることが報じられた。伸一の行事出席の予告は異例のことであり、それは、いよいよ全国の同志とスクラムを組み、新たな前進を開始しようとする、彼の強い決意の表明でもあった。
また、十月三十一日、創価大学の第十一回「創大祭」のオープニングセレモニーに出席した彼は、「歴史と人物を考察――迫害と人生」と題して講演した。
そのなかで、悲運の晩年を強いられた菅原道真、万葉の歌人・柿本人麻呂、明治維新の夜明けを開いた頼山陽、吉田松陰らは、いずれも迫害と苦難の人生を生き、後世に光る偉大な足跡を残したことを述べた。さらに、中国では戦国時代の詩人にして政治家の屈原、大歴史書『史記』を著した司馬遷、また、インドの偉大なる魂・ガンジー、西洋にあっては文豪ユゴー、哲学者ルソー、現代絵画の父セザンヌなど、嵐のなかを営々と信念の歩みを貫いた崇高な人間の生き方を語った。
そして、偉業には、迫害、苦難が、なかば宿命づけられていると洞察していった。
――それは、歴史的偉業をなす人物は、民衆の大地にしっかりと根を張っている。それゆえに、民衆の犠牲の上に君臨する権力者たちは危機感を募らせ、野望と保身から発する妬みと羨望の炎に身を焦がし、民衆のリーダーを躍起になって排斥しようとするからである。それが迫害の構図であると訴えたのだ。
彼は、力を込めて、自身の信念を語った。
「私も一仏法者として、一庶民として、全くいわれなき中傷と迫害の連続でありました。しかし、僭越ながら、この“迫害の構図”に照らして見れば、迫害こそ、むしろ仏法者の誉れであります。人生の最高の錦であると思っております。後世の歴史は、必ずや事の真実を厳しく審判していくであろうことを、この場をお借りして断言しておきます」
伸一は、未来に向けての勝利宣言を、愛する創大生と共に、とどめたのである。

永遠なれ4.24

〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十九 2017年3月1日

 

大山法悟空 内田健一郎 画 (6009)

 四月二十四日の夜更け、山本伸一は日記帳を開いた。この一日の出来事が、次々に頭に浮かび、万感の思いが込み上げてくる。
“本来ならば、二十一世紀への新たな希望の出発となるべき日が、あまりにも暗い一日となってしまった。県長会の参加者も皆、沈痛な表情であった……”
彼は、今日の日を永遠にとどめなければならないと、ペンを走らせた。
日記を書き終えた時、“ともかく人生ドラマの第二幕が、今開いたのだ! 波瀾万丈の大勝利劇が、いよいよ始まるのだ!”と思った。そして、自分に言い聞かせた。
“荒波がなんだ! 私は師子だ。広宣流布の大指導者・戸田先生の直弟子だ。
新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!”
闘魂が生命の底から、沸々とたぎり立つのを覚えた。若き日から座右の銘としてきた一つの言葉が、彼の脳裏を貫いた。
――「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」
この夜、各地で緊急の会合が開かれ、伸一の会長勇退と新体制の発足が伝えられた。
関西では、登壇した幹部が、かつて戸田城聖が理事長を辞任した折、伸一が戸田に贈った和歌を読み上げ、声を大にして叫んだ。
「『古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ』――この和歌のごとく、たとえ山本先生が会長を辞めても、関西の私たちの師匠は、永遠に山本先生です」
すると皆が、「そうだ!」と拳を突き上げたのである。
また、テレビ、ラジオは夜のニュースで、会長勇退の記者会見の様子を伝えた。
学会員の衝撃は、あまりにも大きかった。
しかし、同志の多くは自らを鼓舞した。
“勇退は山本先生が決められたことだ。深い大きな意味があるにちがいない。今こそ広布に走り抜き、先生にご安心していただくのが真の弟子ではないか!”
皆の心に、師は厳としていたのである。

 

新人間革命 大山に学ぶ

大桜

新人間革命・大山の章に学ぶ 1

「勝ちにけり 師弟の大山 揺るぎなく
不動の信心(こころ)は 万代までも」

これは池田先生の今年2017年新春の和歌である。
大山の章のテーマは1979年4月24日。先生51歳です。
日蓮大聖人の佐渡流罪と同じ年齢です。

大山の章の冒頭に・・・

“日蓮大聖人は叫ばれた。
「我が弟子等・大願ををこせ」「大願とは法華弘通なり」と”

ここにこの章の結論を見た思いがした。

辞任2か月前に、インド・香港指導から始まる東洋広布の旅は、“今しかない! 黄金の時を逃すな!” 彼は、こう自分に言い聞かせていた。との先生の魂魄を感じられます。

騒然としたなかで迎えた恩師の命日。4月2日であった。
満開の桜が、春風に揺れていた。・・・(先生の大境涯を満開の桜と表現したのでしょう)

「会長の辞任は、宗門ではなく、学会が決めることだ。私が会長を辞めるのは、前々から考えてきたことであり、学会の未来を開くためだ」・・・(学会の未来を開くために辞めるのだ。最大の難を最大の未来を創るチャンスにするのだ)

「伸一には、“宗門が創価学会の会長を圧力で辞めさせるなどという前例を、絶対につくってはならない。また、そんなことになれば、宗門の歴史に、永遠に汚点を残すことになるだろう”との思いもあったのである」・・・(仏法三千年の歴史の中で、一人の人をこうも迫害する宗門にさえも、宗門に汚点を残させまいとする先生の境涯の高さと慈悲の深さを、始めて知りました)

「しかし、時流とはなんだ!」

問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
・・・(いかなる時代になっても、先生と共に戦う
これが学会精神です。断じて忘れてはならない創価の師弟不二の精神です。)

宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。
それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。
情けなく、また、私はあきれ果てた。

戸田会長は、遺言された。
「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ!
そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。
なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、
一体、学会精神は、どこにあるのか!

今になって当時の執行部を批判する人もいる。しかし、自分がその場に居たら、”四条金吾が大聖人の龍ノ口の流刑の場”にお供したように、「只今なり」と! 私も先生とともに辞任します! 否辞めさせません、と言えるだろうか。

長く側近として、戸田先生や牧口先生を知ってても、本当の意味で、魔の蠢動を見破ったのは先生一人だった。
獅子が一人立つ時にはあまりにも孤独ではないか。・・・(信心は当然・役職の高低、信仰歴の長短には関係ないことを改めて確認した)

今、先生の心を学ばせていただき、同じ時代を生きた一人として、将来、学会もまた必ず同じことが起こるに違いない。
次の世代にも今のうちに学会精神と殉難の信心の覚悟だけはするように!

との先生のメッセージと拝察される。