『21世紀まで後30年、大いなる希望』

3月度全国本部幹部会より

未来を拓く君たちへpart12

今より40年前の1970年、当時の少年少女部員に先生は詩を贈られました。

『21世紀まで後30年、大いなる希望』です。

その詩の内容が、後日少年部歌として全国に発表されました。

そしてその時の少年部・少女部の今は40代。壮年部世代です。

今月3月は全国壮年部幹部会として、子供達が「大いなる希望」を歌いました。

「お父さん頑張れ!」とのエールを送った本部幹部会です。

今、社会は乱世です。経済的な不況も当然としてこれから社会に出ようとする

新社会人まで、嵐の中に飛び込もうとする時代です。

現実社会で負けるな! 君には絶対勝利の信心があるではないか!

との先生の万感迫る激励の姿です。

3月号の大百蓮華に勝利の経典『御書』に学ぶ、如説修行抄の

最後の部分が載っています。大聖人御在世当時は鎌倉幕府です。

御書は立正安国論に始まり、立正安国論で終わるという位その内容で

大聖人のご一生は結論づけられています。

その立正安国論の内容は、幕府に対する「折伏」の書です。

当時の世相と経済を論じて、

その原因と解決はどこにあるのかを9問10答形式で書かれています。

冒頭から当時様子が綴られています。

それは飢饉と疫病による食糧不足や正嘉の大地震などで

牛や馬がいたるところで死骸化され、

それを片づける人々も無気力と挫折感に覆われている時代でした。

また人々も念仏思想である、この世を諦め

来世に極楽に行って仏なるという考えが広まっていました。

大聖人は、その思想そのものを喝破して、来世に仏になるのではなく、

法華経に説かれる仏とは、実は今を生きる人間の生命そのものの中にこそ、

仏性という尊極なる仏は存在するのだと。これを広めたのです。

ゆえに権力者とそれと結託する念仏者達から命に及ぶ迫害を受けたのです。

如説修行抄は、この法華経の通り人々を賢くし現実社会を変え行かんとする時には、

必ず大きな敵が現れるからそれを乗り越える信心を磨きに磨け!

我が門下は私(日蓮)と同じように、折伏と題目で汝自身の人間革命に挑戦せよ!

との大聖人の祈りなのです。

また他の御書にも、「この法華経が広まる瑞相には、大きな災い起るなり」とあります。

釈尊の予言書とも言うべき法華経には、そう記されています。

大きな災いとは何か。鎌倉時代での天災です。

また蒙古襲来等の世間を騒然とさせた時代背景は想像に難くありません。

また近代は第二次に及ぶ世界戦争です。その時に創価学会は誕生しました。

法華経の予言の通りです。そして今もまた乱世です。

ここ数年も世界各地で地域紛争は続いています。

今年もチリの大地震を始め世界全体が異常気象です。

それは自然界に留まらず人間界もリーマンショツクに始まった不況は、

日本においてはバブル崩壊時の不景気さえも大きいのです。

これは何を意味するのか。法華経では750年前の大聖人の時代。80年前の創価の誕生と。

釈尊の予言通り末法に入った今世紀は、人々の生命は「怒り・貪り・愚か」に支配され、

それが原因で騒乱や戦争が起ると記されています。

そしてその時代にはこの法華経で説かれる汝自身の生命を仏として開いて、

「怒り・貪り・愚か」に支配されている魔性の生命との間断なき戦いでなければ、

解決の道は無いとの断言です。

一人の人間の中に、仏の生命と魔性の生命と同時にあるのです。

人間界そのものが魔性に覆われた生命なのです。

それを仏性として戦う人が、切り開くのです。

何もしないと魔性の世界ですから自然に「怒り・貪り・愚か」の生命に

支配されてしまいます。

仏法では三類の強敵とも言い、第六天の魔王とも名づけています。

この第六天の魔王の究極の姿のひとつに政治権力者による

民衆・国民への迫害の形として現れます。これが戦争です。「怒り」としての姿です。

人間の生命の中に第六天の魔王が入るのか、

あるいは第六天の魔王が人間の姿になって行動を起こすのです。

いずれも、この世の中は第六天の魔王の支配する世の中には違いありません。

?この支配されたがゆえに、今の時代もまた乱世なのです。

法華経が世界192カ国地域に広がりました。

末法万年への序章です。その先駆けです。それは何を意味するのか。

如説修行とは師の如く、弟子もまた同じく魔性との戦いを開始せよとのご遺命です。

そして戦い抜いた生命は、仏の大境涯に入り未来永劫に幸福境涯の自分を創れるのです。

宿命を大きく使命へと転換できるのです。

今に生きる時も大きく幸福境涯に包まれ、

そして亡くなった後もまた自由に好きな時に好きな場所で、

そして好きな家族のもとに生まれるのです。これが生も歓喜、死も歓喜の生命です。

現在公開中の映画「インビクタス(負けざる者たち)」は、南アフリカ共和国初の

黒人大統領ネルソン・マンデラさんがラグビーを通じて

人種間の融和を図ろうとする物語です。

マンデラ元大統領は27年半に及び牢獄につながれていました。

その中で一冊の本と出合うのです。

それは池田先生が書かれた著書で自分と同じ境遇の人を知ったのです。

映画の中で登場する「・・・おお神よ」との詩は、先生の書かれたポエムの一節です。

自分自身の中に「神」を見たのです。

それは仏法で説く仏の生命を知ったのです。

ゆえに自分を牢獄につないだ白人を差別するどころか、逆に側に置きながら、

そして公務よりも白人のラクビーの選手の人の名前を覚える事で、

ひとりを激励することに最大の価値を見出したのです。

大統領就任以前の民間人として初めての来日の折、先生との会見が実現しました。

先生は当時のマンデラさんの事を良く知っていました。

最大に人間として尊重し讃えたのです。

その想いが大統領としての行動に繋がったのです。

先生の境涯がマンデラさんの心の中にある魂と共鳴したのです。

大聖人が最も生きる事に困難を極めて佐渡流罪中に、

「大いなる悦びあり」「人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき」と

歓喜の大境涯を宣言されています。

また「当世・日本第一の富める者」と言われています。

それは大難で戦う渦中です。赦免されて鎌倉に帰って来た時ではありません。

まさしく最大に戦っているその時にこそ、

苦難のその時にこそ本仏としての立場を、法華経の経文通りに現じたのです。

この乱世を変革するには、

透徹した信心に立った仏としての大境涯を開く意外にありません。

逆に乱世であるからこそ、自分自身を創れるのです。

では実際どう行動すればいいのか。

それは先生と同じ心で思想戦を展開するのです。現実には声を出さなければなりません。

言うべき時に、言わないと憶病者になるどころか逆に魔王の家来になってしまう。

どこまでいっても「一対一の対話」しかない。折伏です。

そして自分自身も題目を唱え抜いて「我こそ妙法の当体」に染めあげるのです。

この戦いを開始する意外、現実社会では勝てません。題目と折伏です。

先生と呼吸を合わせた戦いは先生の境涯に触れる事です。

だから自分が思ってもいなかった力が出せるのです。

仏としての境涯に触れるからです。

そしてそれは自分の限界への挑戦ではなく、限界からの出発なのです。

心のどこかにある自分が限界を決めてします。

ところが先生の境涯に触れる時、思いもよらない自分の生命が発揮できます。

今こそ先生の指導を学ぶ時です。そして戦うのは今です。

これは創価の三代の戦いが今に結実しているからです。

先生との創立80周年の戦いは、

100年後150年後の後世の人々は教科書として学ぶのです。

未来の御書として今の先生と弟子達の戦いが語り継がれます。

それは世界広宣流布が今、始まったからです。

そして先生と共に戦う自分もまた教科書に載るような戦いに挑戦して下さい。

2010年3月12日

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