人間革命と我が人生

師弟の勝利の大叙情詩を

「師あり 弟子あり 広布あり」

これは昭和54年の5月3日、わが原点を確かめつつ、

小説「人間革命」の原稿を綴じた冊子の扉に記した言葉である。

嵐の「4・24」/断じて忘るな!学会精神を・・・

その渦中の第40回本部総会の、その日の5月3日です。

君もまた、その「人間革命」に生きた

原点の心を断じて忘れてはならない!

 

戸田先生は、嘘と虚像に満ちた低俗な雑誌や、

くだらない本を読んでいるような青年に対しては、

それは厳しかった。烈火の如く叱咤された。

「良書を読め!」「一流の本に親しめ!」と青年たちの柔軟な心に、

限りない成長と向上の種子を蒔いて下さった。

「一冊の書物に求められている真の問題は、

《その書物が人間の魂を救ったか?》ということだ」・・・この言葉を書き留めたのは、

アメリカの民衆詩人ホイットマンである。

名著には、人間の魂を向上させずにはおかぬエネルギーがある。

ゆえに、時代を担う未来部ならびに青年部には、良書を読んでもらいたい。

徹底して、一流の書に触れてもらいたい。

この秋は「任用試験」も行われる。

人類の太陽の経典「御書」に大いに挑戦していただきたい。

「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」御書p509

青年よ、断じて、易(やす)きに流されるな。

若き君たちには、絶大なる可能性が眠っているのだ。

君よ、読め、学べ!

友よ、書き、語れ!

労苦を厭わず、

大志に向かって前進する君たちの眼前には、輝かしい未来が広がっているのだ!

大ロマンがここに!

「それにしても、私の生涯は、何という小説(ロマン)であろう!」と、

英雄ナポレオンは言った。

広宣流布という大ロマンに生き抜く民衆の「人間革命」の物語は、

世界史の英雄たちをして、「これこそ偉大なり!」と驚嘆させるに違いない。

しかし、「人間革命」とは、特別な事では決してない。

今ここで、自分が出来ることから、勇気の行動を起こすことである。

御書には「一丈 (いちじょう) のほり(堀)を・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか」

p912と記されている。

どんな小さな事でもよい。大事なことは、一日一日の生活の中で、

眼前の「一丈のほり」を勇敢に飛び越えていくことだ。

信心の極意は「いよいよ」の心である。

今の状況が良かろうが、悪かろうが、前へ、前へ!

・・・たゆまぬ挑戦また挑戦、不屈の努力また努力こそ、「人間革命」の道なのだ。

大聖人は「力あらば一文一句 (いちもんいっく) なりとも かた(談)らせ給うべし」

p1361とも仰せである。

広宣流布の拡大も、友のため、人々のため、

勇気の第一声を明るく朗らかに発することから広がる。

君よ、君でなければ創ることのできぬ、偉大な使命の物語を創れ!

そして、共々に、師弟の勝利の大叙情詩を生き抜いていこうではないか!

広宣と 

  創価の後継 

     我が弟子よ 

  本有の舞台で 

     宝剣 抜きとれ

髄筆「我らの勝利の大道」2010年9月21日

 

この縁深き「うるま島」の

26日の完全勝利を祈りつつ

 

沖縄研修道場内の

人間革命常設展示場内にて。

 

追記 

9月26日、うるま市議選の勝利で、

これで、沖縄の同志は、7月の戦いと

今日までの戦いに完全勝利し、

秋季友好週間です。

しかし、病と闘う友と、その家族の皆さんと共に

獅子吼の題目の挑戦の友好週間です。

「月々日々に強り給え」に感謝しつつ。

2010年9月27日

法華証明抄に学ぶ

池田名誉会長講義 

勝利の経典「御書」に学ぶから

獅子吼の題目です。

今、病と闘う同志と、その家族の心情を想いつつ、先生は、今こそ獅子吼の題目で、

病気という魔性に断じて負けてはならない!

絶対勝利の信心の実証を示せとの、渾身の激励の指導です。

9月度、法華証明抄(ほっけしょうみょうしょう)

健康・長寿の「師弟勝利の一書」

 

今より728年前の弘安5年(1282年)、2月28日。

日興上人のもと、勇敢に戦っていた南条時光が重病との報に接し、

大聖人自信も前年からの病との戦いの渦中、送られた師弟勝利の御書です。

時光24歳。あの熱原の法難から、2年半後の事です。

「断じて病魔に負けてはならない!」と、時光の生命を奥底から揺り動かし、

病魔を克服する信心の要諦を教えておられる御書です。

未来を託す青年のために綴られた一書です。

最初に、病気になる事自体は、断じて敗北でもなければ、後退でもないという事です。

生老病死は誰も免れる事はできません。

むしろ病気になった時に、病魔と闘う信心を奮い起せば、

その時こそ、常楽我浄の人生の勝利を開く転機となる。

「病魔に打ち勝つ、いよいよの信心が試されているのです。

三障四魔を打ち返す信心に立てば、必ず成仏の境涯を確立することができるからです。

凡夫が仏になる境目に起きるのが、三障四魔の嵐です。

「賢者はよろこび愚者は退く」との仰せのように、

毅然と立ち向かっていく「賢者の信心」なのか、

驚き疑いを抱く「愚者の信心」なのか・・・

病気などの苦難に直面した時は、実は、

大きく境涯を開くための岐路に立っているのです。

牧口先生は言われました。

「妙法の生活とは変毒為薬(へんどくいやく)である社会で生活している以上、

時には事故や災難、そして事業の失敗などにあう場合がある。

これは、苦悩・不幸という毒であり、罰である。だが、

どんな場合でも妙法根本、信心根本として、ご本尊を疑わず、

信心に励めば、毒を変じて薬となしていけるのである。たとえば、

病気をした、これを罰だと悩んでいるだけでは解決しない。そこで、

この病気を必ず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ。

と確信し、信心をつづけていくことが大事だ。その時、

病気が治るだけでなく、全快したときには、

以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」と

「鬼神めらめ」からのこの一段は、大聖人が直接、

鬼神に向かって発する壮烈な呵責そのものです。

若き門下の命を奪おうとする鬼神への、激しい憤怒の表明です。

「法華経の行者」としての破折(はしゃく)です。すなわち折伏 (しゃくぶく) です。

その法華経の行者の弟子である南条時光を苦しめる事は

三世十方の諸仏を敵に回すことにほかならないと仰せです。

ここでいう「鬼神」とは、人の生命を蝕み、奪う働きをするものの総称です。

仏法では、仏法者を苦しめ悩ます悪鬼神と、仏法を護る善鬼神を説きます。

今度は速やかに時光の病を治し、かえって守護してゆく善鬼神の存在になれと、

厳しく命じています。

鬼神たちとは、餓鬼道にあって大きな苦悩を受けている衆生の事です。

人間界の中にも餓鬼の生き方をする人々もいるのです。

そして、この苦悩の境涯を脱出するのは法華経しかありません。

ここで、時光を苦しめている悪鬼神に対して、

「法華経の行者」を護ることによって、

自らの苦悩の境涯を脱せよとの叱咤されているのです。

そうでなければ、「頭破七分」の結末を迎え、

後生には大無限地獄に落ちることも間違いないと重ねて戒められています。

であればこそ、私たちもいよいよ、

「法華経の行者の祈り」を強盛にして、病魔に対しては「鬼神めらめ」と叱責しながら、

一切の悪鬼をも、わが使命の人生の味方に変えていく決心で前進していきたい。

ゆえに師子吼の如き題目が大切です。

南無妙法蓮華経の題目は、仏の偉大な生命力の根本です。

大聖人ご自身も、門下の真心のおかげで、小康を得たので、

「虎を捕ることもできる」「獅子にも乗れるような勢いだ」と

仰せになられたこともあります。

門下を激励されるためには、三障四魔をはねかえされるお姿を示され、

本有の生老病死に生き抜く尊き鑑を赫々と残して下さったのです。

真の健康とは何か。

それは病気がない状態を言うのではありません。

健康とは「戦う心です」広宣流布に戦う学会活動こそ、最高の健康です。

病気の宿業を使命に変え、

常に自身の生命を変革していける人は、病魔に勝利している人です。

弱い一念では病魔は破れません。

「常に師匠と共に広宣流布に戦う心」です。

それを教えているのが日蓮仏法です。

何があっても絶対に負けない。あきらめない。屈しない。

この人こそ、生命の勝利者です。真の健康・長寿の人生です。

時光は本抄を頂き、師匠の烈々たる大師子吼に触れて、

絶対に魔に負けないとの決意を深めたことは言うまでもありません。

事実、時光は、この大病を克服し、50年も寿命を延ばしたのです。

弟子が師匠と不二の道を貫けば、打ち破れない魔性はありません。

師弟が一体であれば、変毒為薬できない病気などありません。

健康・長寿の要諦を示す「師弟勝利の一書」。これが「法華証明抄」です。

今日も正義の戦いを・・・沖縄勝利を記念して

一番、大変な時に、一番、大事な所で、

一番、勇敢に戦い、一番、偉大な実証を示すのが、

地涌の菩薩の先頭に立つ上行菩薩の力用です。

この地球上で最初の広宣流布、

そして立正安国のモデル地域を創りゆくために。

 

正義とはなにか

「日本があって、世界がある」のではない。

「世界があって、日本がある」のです。

世界全体を平和にする為に、働いて、働いて、尽くして、尽くしぬいて、

そうしてこそ、初めて日本が、日本人が、世界から尊敬される。

そのとき、初めて日本が本当に「平和」になれるのです。

大事なのは、「共生」「一緒に生きていく」という発想です。

それは、「苦しんでいる人の側に立って考える」ことです。

「堂々と正義を主張できる人」に成長した分だけ、平和は来る。

平和は、だれかから「与えられるもの」ではない。

平和は、自分たちで「創る」ものです。「創造する」ものです。

それを忘れて油断すると、すぐに危なくなってしまうものなのです。

 

 

 

 

 

 

ところが、今の沖縄の現状は、

どうなのか・・・

今日も那覇の上空は米軍のF-15C戦闘機が

金属音を立てて飛び立っています。

沖縄は基地の島です。在日米軍の7割は沖縄です。

そのうち世界で最も強いとされる在沖海兵隊は18.000人。

本島36か所に配属されています。

兵士達は、一般人と同様、個人的な悩みを抱えています。

本国から何千キロも離れた沖縄に来て、ホームシックにもかかるし、

あるいは、退役したあとの夢と希望もあるのです。

そして海兵隊員も、日本人と同じように、

沖縄は、「心温かい人」「南国の楽園」だと思っています。そして、

「南の島で暮らせて給料までもらえる。言う事なしだ」という海兵隊員もいます。

またある米軍パイロットは言っていました。

「本来、軍は戦争の抑止力にも、遂行手段にもなる。

この両刃の剣の使い方を最終的に決めるのは、最高司令官の米国大統領だ。

しかし、俺達はやりたくないことをやる訓練を受けている。

大統領が、それを正しく使う事を願っているよ」 と。

まさしく、やりたくない事をやる実践訓練の日課と、休日になると外のバーに繰り出して

南の島を満喫するという、ジレンマとを抱えながら、

兵士も一個の人間として、矛盾と悩んでいます。

この現実に対して、沖縄県民は、不公平な負担を強いられていると感じるがゆえに、

地元メディアは基地外での米軍兵士による不祥事を

「偏見的で中傷的で、かつおおげさ」と思わせる取り上げ方をしています。

冷戦当時は、米軍の存在が地域の力に均等をもたらし、

平和主義の日本に対する攻撃を抑止しました。

しかし、今では、東アジアの安全保障は日米双方にとっても困難なものになっています。

北朝鮮は、核保有を宣言し、急速な経済成長を遂げる中国は、台湾独立に

武力も辞さない構えでいます。

ここに米軍駐留のジレンマがあるとされています。

「台湾・中国・朝鮮半島」は沖縄の米軍基地から、射程距離になるがゆえに、

沖縄の基地は『太平洋の要石』と言われています。

戦争になると、「人間が人間でなくなる」。

地元沖縄が攻撃されると思ってしまうのです。

戦争が終わって、まだ65年。戦争を経験した人達が生きています。

それを忘れた頃に、歴史は、戦争を繰り返しました。

戦争中は、戦争に参加する事が「正義」とされた。あれから65年。

今の沖縄は、基地が必要だとして、それが「正義」とされています。

ここに人間の愚かさがあります。

正義を壊すものは、人を殺す。盗む。嘘をつく。

嫉妬やおとしいれ、利己主義、破壊・・・といった事です。

つまり、自分だけ、自分たちだけを守っていこうというものです。

「自分さえよければ、人はどうなってもかまわない」・・・それは原爆と同じ思想です。

核抑止論や武力均等論と同じ悪魔の発想です。それは前述した通り、

国においても、そうだし、一個の民間人や兵士においてもそうです。

この現実に対して、永遠不変の正義とは何か。

それを追求しなければならない。

だからこそ、「何が正義なのか」というしっかりとした価値観が必要です。

正義の要件は、あくまでも、人のため。人類のため。幸福のため。

平和という規範がなくてはならない。

大事な事は、君が

自分が悪魔のほうにつくか、正義のほうにつくか。

どちらの生き方をするか、進むのかです。

だから、毎日、私と我が同志は平和のための「行動」をしているのです。

「戦争の歴史から、平和の歴史へ」の行動です。その結論は、

宇宙とともに永遠である「妙法」という生命の法則にのっとって生きる事です。

「生命の尊厳」 を実現していく戦いです。ここに最高にして、永遠の正義がある。

だから、勝たねばならない。しかし、正義は必ず勝つとは限らない。

過去の歴史は正義が敗れた時代が多かった。悪に敗れてしまう正義であるゆえに、

人類は不幸が続いているのです。悲劇です。

その歴史の大転換の戦いを、今、開始しているのです。

一個の人間には「仏性」という最高の生命が内在しています。

この思想を広めることを「広宣流布」というのです。

大統領をはじめ、時の最高権力者に限らず、全ての人類には「仏性」がある。

750年前に日蓮大聖人が、時の最高権力者、北条時頼に折伏の書で諫めたように、

また50年前に沖縄から世界広宣流布が開始されたように、

対話の声が仏縁を結び広げます。

今日2010年9月12日もまた、沖縄勝利の日を迎えようとしています。

君もまた、

人間生命に巣くう「怒り・愚か・貪り」との戦いです。

それの対極にあるのが、仏性です。

仏の生命はあらゆる困難も悠々と乗り越えていける。

そして、願った通りの、思いのままの人生と、

功徳爛慢の境涯を創りだすのです。一生涯、

仏法を勉強し、そしてその戦いの中で生き抜くのです。

その中とは、苦悩の民衆の中です。

その民衆を仏の大境涯に、高める事が広宣流布の姿です。

朝の祈りから出発する、毎日の学会活動です。

その祈りは、仕事も、活動も、全てにわたって具体的でなければ、なりません。

凱旋将軍は、老いても尚、戦いのスピードは緩めるどころが、逆に加速させます。

未来記には、また、何十倍もの戦いの沃野が広がっていく事を知っているからです。

仏の偉大な境涯は、見宝塔品で説かれた、地湧の菩薩の境涯さえも、

下にしか見られないほど、偉大な力を持って、戦う人材群です。

実は若き君たちこそ、過去世において、その凱旋将軍の親であった人が、

強い絆に結ばれて、その眷属たちとして、生まれてきたのです。

凱旋将軍の親にあたる君たちです。 

「親の成仏・即、子の成仏」。父子一体の成仏が仏法です。

先生が「大楠公の歌」に見た心は、

父は死するが、君(子供)が仇を討てとの父子一体の生き方を教えています。

沖縄勝利の日を記念して・・・  2010年9月12日

追記 文久八年(1271)九月十二日のこの日は、日蓮大聖人が時の幕府により、

鎌倉・竜の口で、処刑されようとした日です。法華経の予言通りの難の故に、

大聖人ご自身が、ご本仏としての境涯を現わされます。

その大聖人に連なる創価の陣列は、この日を勝利の結果で、勝ち鬨をあげました。

沖縄健児の歌、誕生より50周年

◆沖縄健児の心

この7月は、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、時の最高権力者を

諌暁(かんぎょう)された月である。

それは、文応元年(1260年)の7月16日であった。

その700年後の昭和35年(1960年)の7月16日、

私は、戦争で最も苦しめられた沖縄に第一歩をしるした。

この日を、わが愛する沖縄の同志は、「沖縄原点の日」として

大切にしてくださっている。

翌7月17日には、沖縄支部が晴れ晴れと誕生した。

沖縄の同志は、平和の楽土を築きゆく、立正安国の戦いに、

決然と立ち上がってくださった。

その大いなるうねりのなかで、2カ月後の9月に誕生したのが、

私も大好きな「沖縄健児の歌」であった。

「命をかけて ひと筋に 仏意を奉じ 示さんと・・・」

沖縄の友は、この歌を高らかに歌いながら、あらゆる困難を乗り越えて、

広宣流布の道なき道を、開いてくれた。

その足跡(そくせき)は、世界の宗教史のなかでも、奄美とともに、

燦然(さんぜん)と輝きわたる偉業であると、

著名な宗教社会学者も讃えておられる。

 

翌年の昭和36年には、私が初のアジア訪問に出発する1月、

それに合わせて、沖縄の同志は東洋広布の暁鐘を打ち鳴らすがごとく、

日本一の折伏の金字塔を堂々と打ち立ててくださった。

そして、45年後の今再び、「沖縄原点」の7月から、「沖縄健児」の9月へ

にぎやかに、勝利、勝利の前進をされている。

世界最初の広宣流布のモデル地域 ──

これこそ沖縄の誉れであり、使命である。

 

美しい海を望む沖縄研修道場も、世界平和へのメッセージを

発信する城として、地域の人々にも愛され、親しまれている。

私も何度も訪れ、思い出は尽きない。私は心から、

「沖縄健児、万歳!」「創価の琉球家族、万歳!」と叫びたい。

暑い中、体調を崩されないよう、ご一家のご健康とご繁栄を、

心から祈っています。 (2006・7・8 聖教新聞)

 

 

♪ 沖縄健児の歌

作詞  安見福寿・山本当勇
作曲  瀬底信子

 

1  正法流布の  朝ぼらけ
   打ちくだかれし  うるま島
   悪夢に目覚め  勇み立つ
   伝統誇る  鉄拳は
   沖縄健児の  誇りなり

 

2  名将の獅子吼  受け立ちて
   はびこる邪義に  猛然と
   広布の道を  先駆けん
   南に築く   楽土郷
   沖縄健児の  意気高し

 

3  命をかけて  ひと筋に
   仏意を奉じ  示さんと
   万里の波濤  乗り越えて
   世界に挑む  雄叫びは
   沖縄健児の  大使命
   沖縄健児の  大使命