青年に託しゆづらむ、この日かな

あの誓いの日より30年

☆勝利の歴史は厳然

昭和52年(1977年)頃よりの第一次宗門問題の発生より、4年以上の時をへて、

絶対に忘れない54年の4月の会長辞任。

その後の反転攻勢への発火点となった、

長編詩「青年よ、21世紀の広布の山を登れ!」

その嵐の渦中の昭和56年(1981年)12月8日、

大分の地を訪れた、池田名誉会長。

全国で、多くの会員が退転するなか、

大分青年部の退転者は少なかった。

青年部は、厳として揺るがなかった!

「今だ!、この時しかない!」「学会の未来は、青年に託す以外にない!」

10日の大分県青年部幹部会の席上、電撃的に発表された。

そして瞬く間に、全国に発信された。

まさしく、当時の青年部が、師と共に、新たな広布の山を登り始めた

歴史の日である。それからちょうど30年の今日、

「今再び、全てを愛する青年たちに譲り託したい」

この師の心を胸に、学会創立100周年の2.030年を目指し、

新しき広布の山への登攀を開始する。

題目は生命の蘇生。

華陽の誓い・・・女子部愛唱歌

「南無妙法蓮華経」の御本尊は仏の生命の姿の、そのものである。

仏の生命とはなにか、それは何ものに負けない強き生命体である。

ゆえに、いかなる病や困難も全てを解決し、幸福勝利・絶対勝利の結果を証明できるのである。それが日蓮仏法です。

医学の力は大切です。その上にたって、病を治せるかどうかは、根本的には、君自身の生命力の問題です。

そしてまた、病に苦しまなければならないという宿命の問題です。

その病という宿命を転換しない限り、一つの病を乗り越えても、また別の病で苦しむことになる。

日蓮仏法はその生命力を涌現(ゆげん)して、君自身の宿命を転換する道を説いています。

どんな逆境にあろうとも、私には妙法がある。題目がある。

朝晩唱える勤行唱題は、毎日の心の掃除です。一日の出発のエンジンをかける事です。

女の人が毎朝、お化粧をするようなものです。

人によっては大きなエンジンを持ってる人がいる。

エンジンの大きさによって、人生の一生の行動が変ってくる。大きな違いです。

勤行・唱題という修行に励むことは、自分自身のエンジンを大きくしているのです。

また、勤行・唱題は、自分自身と大宇宙とが交流しゆく儀式なのです。

ご本尊を根本として、自分という「小宇宙」の中に「大宇宙」の生命力を、生き生きとくみ上げゆく作業が勤行です。

それを毎日繰り返していけば、生命力のエンジンが強くなってくる。

唱題で声を出す「南無妙法蓮華経」の音率は、我が仏の生命を涌き出でよとの力強い叫びなのです。

御聖訓には、「南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如し・いかなる病さわり(障)をなすべきや」と。

ありとあらゆる生老病死の苦悩を圧倒する最強無敵の師子吼なのです。

「題目を病魔の苦しみに集中砲火して打ち破るのだ。真剣に祈り切ることが、遠いようで最も確実な早道なのだ」

 

そして、同じ題目でも、師弟誓願の題目に生き抜く姿ほど、尊く偉大な生き方はない。

「御本尊様、この妙法を我も唱え、人にも勧めます。広宣流布のために闘い抜きます。

だから、病魔に負けない力強い生命力を私に与え給え!」・・・このように決意の題目で祈り切るのです。

例えば竹刀ではなく、真剣による試合の如く、これが真剣勝負の祈りの題目です。

その祈りの題目に挑戦すると、

不安が絶対安心に変わる!

そして苦悩が喜びに変わる!

その喜びは大歓喜に変わります!

この広宣流布に生き抜く師弟の題目ほど、強いものはない。

師匠とは仏の生命です。その師匠が広宣流布の先頭に立って、

同じ決意で、その弟子がまた共に闘う姿こそ、師弟誓願の生き方です。

ゆえに師匠の仏の生命に弟子の生命が共鳴し、仏と同じ力が発揮できるのです。

「誓願と云うは題目弘通の誓願なり」との仰せのままに、今、日本中、世界中で題目の渦が巻き起こっている。

朝の日本で勤行が始まれば、同じ時間に地球の裏側では夕方の勤行の時だ。

いわゆる、片時もやすまず、24時間、世界中で題目の音声は響き渡っている。

世界広宣流布誓願の題目は生き生きと、朗々と響き渡っているのだ。

大聖人は叫ばれた「たとえ地獄であろとも、師弟の心が一体であれば、そこには太陽が昇る。悲哀は消え去り、寂光土(じゃこうど)にかわる」と。

この大聖人に直結する創価の三代の師弟は、創価の歴史において最も凶悪な権力の魔性にも屈しなかった。

妙法を唱え、弘めゆく学会の闘士は、一切の障魔(しょうま)を断じて打ち降せることを示し切ってきた。これが師弟誓願の題目の功徳の実証だ。

権力の魔性との戦いに比べたら、一人の苦悩の病魔は個人レベルでの宿命転換で打ち破ることができる。

そして健康になった生命は、以前にもましてより一層の健康壮健の身体になっている。

これが妙法の功徳の実証なのです。

ゆえに「病によりて、賢者(けんじゃ)は喜び。愚者(ぐしゃ)は退く」の御聖訓のとおり、勇んで勝ち飾った信心の大功徳の結実は、実は病という苦難の中でこそ、自分自身がより大きく幸福な人生。

何ものにも負けない人生。

より強き幸福な自分自身の生き方を示し切っていけるのです。

詳しくは、会った時に、またお話します。父より。