若き君よ 勝ちまくれ

青春は人生の一生の土台

山本 伸一

♪♪♪ 正義の走者

未来は無限だ。

未来は希望だ。

未来は夢だ。

未来は大活躍の劇場だ。

「未来部」は

なんと無限の意味をはらんだ

名前であろうか。

未来は後悔がない。

輝く希望がある。

未来のない人は

死である。

未来を考えない人は

愚者である。

未来があれば

幸福もある。

勝利もある。

無数無量の成功がある。

感激がある。

喜びの乾杯がある。

あのドイツの文豪

ゲーテは謳(うた)った。

「われわれは結局

何を目ざすべきか。

世の中を知り、

これを軽蔑しないことだ」

また

彼は言った。

「人生は注意だ!」

さらに

「そうだ、

全くぼくは一個の旅人、

地上の巡礼に過ぎない。

君たちは いったい

それ以上のものか」

そしてまた

彼は語った。

「どれほど深く

苦悩に ひたっていようとも

きみは やはり

青春の幸(さいわい)に生まれた身

勇気をふるいたまえ、

敏捷(びんしょう)な一すこやかな歩みに」

若き生命の持ち主は

皆が

その魂は

閃光(せんこう)を放っているのだ。

気取る必要もない。

失敗に臆する必要もない。

愚かと言われようが

貧しいと言われようが

そんなことは

弱々しい風が

吹いていると思え!

君の夢は

君しか持てない。

君の宝は

君しか持てない。

君の使命は

君しか持てない。

だから

不思議にして偉大なる

生命の鍵を

持っているのが

君なのだ!

皆に仰がれ

皆に教えゆく

宝の書がある。

宝の技がある。

宝の遺産がある。

君の長い生涯の中に

決して希望を

死滅させてはならない。

感情で

逃走してはならない。

邪険な人々の罵りに

人生を

奪われてもならない。

胸を張って

北風に進むのだ。

断固として

自分自身の人生を

勝利するのだ。

父のために

母のために

自分自身のために

平和のために

友情のために

そして

永遠のために!

そこにこそ

幾千人に

痛めつけられても

すべてが

勝ち抜いた君の

長い生涯を飾りゆく

大勲章と光るのだ!

君よ

君の名前を呼ぶ人が

いなくとも

君は君らしく

生きるのだ。

有名になる必要などない。

狂った人間の世界で

褒(ほ)められる必要もない。

狂乱した嫉妬の世界で

悩む必要もない。

君は君らしく

確かなる人生観を持って

残酷なこの社会を

切り開いていくのだ。

人生は劇だ。

若さは名優だ。

世間には

無情にして

下劣な人々も

多いかもしれない。

苦しみに負け

悩みに負けて

敗北者になる人間も

多くいる。

社会から追放されゆく

敗北者もいるだろう。

そしてまた

恥ずべき行為を

一生涯 背負いながら

恨みと苦しみに

生き抜いていかねば

ならない者もいる。

移ろい動きゆく

この複雑の社会。

果てしない人の心の

葛藤の人生。

君よ

その中にあって

無残に吹き飛ばされゆく

愚者であってはならない。

好奇心に流されて

残酷な無知を謳(うた)いゆく

人間になるな!

希望を抱いた人間には

未来が光る。

自身の運命に約された

奥深く輝きわたる魂を

絶えず見つめて

君よ

不安と戦い抜き

勝つのだ!

卑しき欲望を乗り越えて

栄光と幸福をつかむのだ!

畜生の群がり叫ぶ

暗礁(あんしょう)にぶつかるな!

目的地を

絶えず確かめながら

高貴な物語を

綴りゆき給え!

若き君よ

人生の生活の

甘い安易な虜(とりこ)と

決してなるな!

暗い運命の道を

決して歩むな!

春に太陽を求めながら

美しく花が

顔を覗(のぞ)かせゆく

この道を進むのだ!

彼方に

白い雲が

また彼方に

青い山脈が

そして彼方に

緑の高原が!

生き抜き

戦い抜いた

満足の心で

喜びをもたらす我が家へ!

夕暮れの

名も知らぬ樹々の

ざわめきを聞きながら

新しい人生となって

我が家へ

近づいていくのだ。

若き君よ

遊びだけには

絶対に負けるな!

一生のための勉強だ。

勝つための勉強だ。

勝たねば幸福はない。

自分は

自分のために勉強する。

自分のために苦労する。

それは

親の幸福のためになるからだ。

多くの人のためになるからだ。

自分自身に溺れて

人々のために

平和のために

社会のために

働き貢献できない人間は

畜生と同じだ。

暗闇をうろつく

哀れな畜生になるな!

太陽に打たれながら

汗を流して

今 努力しなければならない

課題に向かって

格闘していくのだ。

それが

勝利の自分を

創ってくれるからだ。

勝利者は幸福者である。

敗残者は

暗い侘(わび)しい

不幸の連続である。

惨敗だ。

人生は

幸福のためにある。

勉学は

幸福のためにある。

幸福の究極と永遠性を

説いたのが仏法だ。

だから僕は

父の言うとおり

信仰に入った。

母の言うとおり・

信心をしたのだ。

自分自身の五体に

何か手応えがあることを

感じている。

正しき幸福への軌道を

踏み外すな!

大切な命だ。

正義という

美しい世界を目指せ!

酷(むご)い目をした

あの喜びのない世界に

踏み込むな!

人生を

喜びで生き

喜びで去っていくのだ。

その出発の

青春の讃歌(さんか)の詩(うた)を

今日も歌え!

勝つために

前進の曲とともに歌え!

この世の

あらゆるものが

君に幸福を

もたらしてくれるとは

限らない。

いな 反対に

不幸の泥沼に

連れて行かれることが多い。

君自身の中に

幸福の軌道か

地獄の軌道か

君自身が見極め

決定するのだ。

万巻の書を読んでも

その結論は出ないだろう。

そこに

仏法の真髄(しんずい)という

法則があるのだ。

友よ

不安に行き詰まるような

弱々しい青春であるな!

すべてが

私の人生の

転機ととらえて

偉大なる

正義の目標に向かって

勝利の坂を

勇敢に登っていくのだ!

青春よ

勝ちまくれ!

若き君よ

希望の未来に舞いゆけ!

未来部 万歳!

未来部の成長が

広宣流布だ。

未来部の勝利が

創価の勝利だ。

未来部に

栄光あれ!

勝利あれ!

2002年 5月27日

世界桂冠詩人

新時代の主役に語る

若き君へ

未来は青年のものです。青年で決まります。

だから私は青年に期待し、一個の人格として最大の敬意を払って接してきました。

「早く生(お)い立て」と願い、毎日、妻と共に祈り抜いています。 (略)

大聖人は、満20歳の南条時光(なんじょうときみつ)に、こう呼びかけられました。

「願わくば我が弟子等・大願ををこせ」と。

訳・・・ねがわくば、私 (日蓮) の門下弟子達よ、大きな願い、誓いの信仰を興せ!との意。

「大願とは法華弘通 (ほっけぐつう) なり」。師匠と弟子が共々に、地球上に、この妙法を広めるという大願。私 (師匠)との誓いの人生の中にこそ、実は君達 (門下・弟子) の人生の全ての願いが叶うんだよとの、大聖人の激励の御書の一文。

熱原の法難(あつはらのほうなん)という、入信・間もない農民信徒たちが迫害された

大難の渦中、大聖人が信頼し、奮闘に期待を寄せられたのは勇敢な青年でした。

私の恩師・戸田城聖先生も、よく「南条時光ほ見習っていけ」と言われました。

時光は今で言えば、”学会2世” です。

亡くなった父の信仰を受け継ぎ、16歳で自ら駿河国 (するがのくに)・現在の

静岡県中央部 から、身延 (みのぶ)現在の山梨県の一部 ?の大聖人のもとへ馳せ参じます。

自発求道 (じはつきゅうどう) の青年でした。心に誓いが燃えていました。

可愛い弟の不慮の死去に際しても、悲しみの母を支えました。

自身の大病も厳然と乗り越え、仏法への確信を深めていきます。

そして、日興上人と共に地域の中心的存在として、一生涯、戦い抜きました。

私が時光を偉いと思うのは、彼は少年時代の誓いを、大人になっても忘れなかった。

そして、迫害に立ち向かい、矢面に立って、同志を守り、師匠をお守り抜いたことです。

逆説的な言い方になるかもしれないが、若き日の誓いを、

生涯、忘れなかったからこそ、信念の「大人」になったとも言える。

ここに大聖人が示された「大願」に生き抜く人生の強さがあり、深さがあります。

大きな願いを立てるということは、それだけ大きな人生が開けるということです。

広宣流布 (こうせんるふ) は、人類を幸福にし、

世界を永遠に平和にしていこうとする、究極の大願なのです。

「大人になる」とは (上)

池田大作

希望に生きよ! 自らが希望の存在として輝け!

希望に生きる、人生の勝利者 たれ!

日蓮仏法の信仰は、ひ弱な「心の慰め」ではない。

自分で、挑戦すべき「山」をつくり、「山」をつくって乗り越え、

また次の「山」をつくって乗り越えていく。

乗り越えるたびに、もっと強く、もっと大きな自分へと人間革命していく。

これを、その人の持つ境涯 (きょうがい) という。

 

そのための源泉はなにか。

それは自行化他 (じぎょうけた) に亘 (わたり) ての題目に他なりません。

題目は蘇生の源です。ありとあらゆる自らの悩みや課題、

また目標を実現できる偉大な力があります。

例えば、「夢こそ力」です。「希望こそ力」です。

人間は「絶対にこれだけはやりとげるんだ」という固く決意したら、

たいていの事はできるものなんです。

本当に、心から「こうしたい!」「必ず、必ず、やりとげてみせる!」

と決意できたら、半分はできたようなものだ。

反対に、中途半端な決意では、何もできない。川がある。橋がない。船もない。

「渡りたいな。だけど無理だな」。

そう思ったら、その時点で終わりです。永久に渡れない。

「橋がない。じゃあ、橋を架けよう!」

「船がない。じゃあ、船をつくろう!」

「橋もできない。船もできない。じゃあ泳いで渡ろう!」

「泳げない。じゃあ、泳ぎを覚えよう!」この意気です。

 

 

時代まますます、混迷の度合いを深めています。

病気の悩みもあるだろう。将来の生活の不安もあるだろう。

世界の経済をはじめ、それから発生する個人の生活も、不安を増長するばかりだ。

いつになったら、時代に明るい希望の光が見えるのか。

為政者どもが作り出した長引く不況などは、自分さえよければ人の犠牲はかまわない

との結果です。その三毒 (貪り・愚か・怒り) の究極たる悪魔の発想は、

21世紀の現代も続いています。識者の警告は、微力にさえ感じます。

 

 

この困難な時にあたり、今ほど希望の哲学を訴えなければならない。

その解決の突破口を開かなくてはならない。

それは、どこまでいっても、一人ひとりの対話による友の心の扉を

開かなければならない。祈って、動いて、書いて、話して、

友の心に生涯、平和の砦を築かなければいけない。

だまっていたり、何もしないと、結局、正義とは真逆な悪魔の生き方に味方してします。

大事なことは君が、自分が、悪魔のほうにつくか、正義の生き方を選択するか、

二つに一つしかないのです。

中途半端は、 ” 悪の権威と官僚機構 ” が社会には出来上がっている故に、

本人の意思に反して、結局、悪魔の思想に利用されているだけなのです。

それに打ち勝つには、正義の哲学が必要です。

その究極な正義とは何か、

それは自他共 (じたとも) の幸福の実現とそれを可能ならしめる行動としての哲学です。

自他共とは、自分と他人と共に!という事です。

私たちは自分以外やほかの人も家族があります。同じ人間です。

「君が憂いに、我は泣き、我が喜びに君は歓喜する」この同志愛であり、

共に同苦し、共に苦楽をともにする生き方です。

沖縄には、「人の苦しみに胸が痛くなる」という感情があります。

これは、決して憐れみや同情ではありません。

仏法では『同苦』と言う。相手と同じ苦しみを自分の心で感じるという意味です。

心が感じるから、ひとりの人間を一切、差別はしないのです。

この同苦という仏法の思想と沖縄の文化は全く、同一なのです。

学会の組織でも、人や、他の組織との比較はすべきではありません。

この日蓮仏法の信仰の目的は、自分自身がそして、その一族が、まわりの人々が、

絢爛たる大功徳の境涯を開いたかどうかに帰着します。

それを人類規模に広めようとしています。

世界広宣流布の目指すべき姿は明確なのです。

その為には、自分がどう戦ったか、昨日よりも、今日の戦いに悔いはないのか、

比較するのは、自分自身なのです。これが信心の強い生き方なのです。

そして正義の哲学の究極は何か、その結論は、「広宣流布に生き切る学会活動」です。

この戦いの中で、人材は見出され、逸材は台頭してきます。

まるで原石のダイヤが信仰の感動に触れて、勇躍歓喜し、時代を拓く

リーダーとしての成長してくるのです。

この学会活動の鍛錬は、「心に師」を抱いての鍛錬です。

「先生なら、どういう手を打つ?先生なら、どういう激励をする?」と

常に思考を重ねていかなければ、真剣勝負の鍛錬にはなりません。

心に題目を唱えながらの学会活動の姿は、知らず知らずのうちに、

自分自身の境涯を高めます。御本尊は見ています。

常に模範の一兵卒である人こそ、民衆の中に入っていけます。そして戦えるのです。

その人こそ、確たる自分を創ります。

組織の役職の上下関係からの指示は、日蓮仏法の心ではありません。

どこまでも、信心強き一対一の対話の中でしか、

確かな師弟のくさびは打ちこめないのです。

そして最も大事な事は、決して弱い正義ではいけない。

過去の歴史では、正義が敗れた故に悲惨な戦争や慟哭の苦しみがあった。

正義は勝ってこそ、満天下に宣揚できるのです。

創価学会も、今は第6代原田会長です。

これから、第7代、8代と続くでありましよう。

しかし、いかなる時代になろうとも、第3代の池田SGI会長の思想を宣揚してこそ、

更なる「末法万年尽未来際」(まっぽうまんねんじんみらいさい) にわたる、

広宣流布の流れは確実になるのです。この一点は大事です。

もしも将来、第3代会長の思想に、異を唱える学会幹部が出てきたら、

青年時代に薫陶をうけた生命から迸り出る情熱で、強く呵責して下さい。

 

大聖人は、最も迫害を受けた佐渡流罪期に、後世に伝えるべき重要な御書を残しました。

その弟子たちの受けた熱原の法難を契機として、末法流布の為の「大御本尊」を認めた。

そして、現代にあっても、第3代の会長がありとあらゆる難を受けた。

先生が会員のかわりに一切の難を引き受けた。

この厳然たる事実が創価の誉れであり、仏法証明の歴史なのです。

故に、法華経の経文通りの大功徳が創価学会にはあるのです。

初代、2代、3代にわたる会長の、妙法流布の戦いを起こした革命のロマンを、

その恩を、断じて忘れてはならない。

創価の父、牧口先生は、ある一面で大善生活と言われた。

2代戸田先生は、人間革命を叫ばれた。

そして、3代の池田SGI会長は、それを生命の尊厳へと高められた。

ここで、創価の哲学は完成したのです。世界は生命尊厳の思想を希求しています。

だからこそ、世界宗教として創立100周年には絢爛たる創価の哲学が、

池田先生の思想で、広宣流布していく時代に入ったのです。

時代は拓かれた。

あとはそれを託す青年の成長と結果を大樹と仰ぎ見る思いで待っています。

まさしく池田思想を広めゆく、師弟誓願の題目と自行化他 (じぎょうけた)

に亘 (わたり) ての題目です。

「南無妙法蓮華経」と唱える題目は、

自分という小宇宙を妙法という大宇宙のリズムに合致させているのです。

その題目の音率は、力強い生命力の雄叫びです。

獅子吼の音声こそ、唱題の音率です。

白馬が颯爽と草原を駆け抜けるが如く、力強い音率で、心ゆくまで唱えゆくのです。

そして、それは死の瞬間まで命の限りあるまで、生涯唱えぬくのです。

生命は、過去、現在、未来と、三世まで永遠に続きます。

今の自分が未来の自分を創ります。「いよいよ!」「さあ、これから!」の意気です。

信心の力、題目の力は無限です。

人間が、だれでももっている「希望の力」を

無限大に拡大し、増幅する力が、題目にはあるのです。

 

師匠の祈りは、広宣流布の大将軍の祈りです。

師匠は、将の将たる仏の生命での指揮を取っています。

その祈りに同じ決意で唱える題目は、師匠の仏の生命の琴線にふれます。

そして師匠の祈りは、わが弟子よ、私以上に成長せよ!と。

もったいなくも有難い存在です。

ゆえに、師匠と同じ決意で立ち上がった時、

仏と同じ智慧と勇気が、師匠の生命が、私たち弟子の生命と共鳴して、

仏である師匠と同じ力が発揮出来るのです。

そして、題目を唱えながらの折伏としての行動は、自他共の幸福です。

自分の友も、そして私も。全く同じ幸福の境涯を拓くのだという行動です。

個々人は、宿命や課題も当然違います。それが異体同心 (いたいどうしん) です。

共々に、一生涯、境涯革命 (きょうがいかくめい) に挑戦するのです。生命は永遠です。

革命のロマンを語り合った友や、一緒に戦った友との今生の思い出は、

未来世までも、縁深く続いていくのです。

これが希望の生きる人生の勝利者です。

 

2012-1-2

師弟不二の若き友よ歴史を創れ!

輝け「青年学会」の旭日ーーー2012.1.1 山本 伸一

「晴れやかな顔をあげよ、青年よ、きみがいま立っているところで。

かがやかしいばかりに美しいきみの優雅な姿を示せ」

フィリピン独立の英雄ホセ・リサールが18歳の燃える魂で謳い上げた詩である。

青年は青年であることだけで美しい。何の虚飾も、何の体裁もいらない。

リサール青年は叫んだ。「おお青年よ、そこで重い鎖を破り、縛 (いまし) めを解け、

きみの精神を妨げるものはないのだ」

いかなる悪世の鉄鎖も、宿命の束縛 (そくばく)も断ち切って、若き無限の力を発揮する。

その魂の宝剣こそが、正しき哲学なのである。

今、創価の青年群が決然として立ち上がり、希望の旭日となって、

人類の新時代を鮮烈に照らし始めた。

現在、私はフィリピン教育界を代表するアブエバ博士と青年に託しゆく

「共生の世紀」を見つめ、新たな対談を進めている。

博士も創価の若き世界市民たちに、

英雄リサールの精神の輝きを見出してくださった一人である。

「青年創価 拡大の年」が開幕した。

何と瑞々 (みずみず) しい、心躍るテーマであろうか。

創価の師弟の精神を壮大に広げ、万代までも刻みゆく一年の出発だ。

広宣流布の実践の中でこそ、人材は見出され、逸材は台頭してくる。

原石の如き若き命を磨き、ダイヤの如く光り輝かせてゆくのだ、

学会活動の偉大さである。

 

私は84歳を迎える。60歳で「還暦」すなわち「年が還る」ことを踏まえるならば、

「第二の24歳」のスタートとなる。

六十年前の2月、24歳の私は、新たな広宣の拡大へ、奮然と打って出た。

当時、各支部では、月に百世帯の折伏が精一杯で、それが壁となっていた。

師・戸田城聖先生が宣言された七十五万世帯の達成への道のりは、あまりにも遠い。

誰かが、壁を破らなければならなかったのだ。

御書には、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果 (ぶっか) にいたり」

「師弟相違 (していそうい) せばなに事も成すべからず」と仰せである。

「師弟」という一点に徹し抜く時、いかなる壁も打ち破る力が出る生まれる。

「師弟にお応えをしてみせる」「師匠に喜んでいただけるのだ」---私はこの一心で、

蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、

一支部で月に201世帯という過去最高の弘教を成し遂げた。

皆、貧しく、誰もが多くの悩みを抱えていた。しかし、創価の師弟に連なり、

地涌 (じゆう) の菩薩として生まれ変わって、折伏行に推進してくれたのである。

功徳の花も爛蔓 (らんまん) と咲き薫った。

これが全学会の前進の突破口を開いた誉れの2月闘争である。

まさに「青年学会拡大」の原点といてもよい。

私の心には今も ”24歳の青年” の大情熱が燃え盛っている。

青年と共に、青年の心で壁を破り、広布拡大に生き抜くのが、

青年学会の永遠の伝統である。

 

従藍而青 (じゅうらんにしょう)

青 (あお) は藍 (あい) より出でて、而 (しか) も藍より青し。

弟子は師匠以上に立派に育ちゆけとの意義がある。

日蓮大聖人が南条時光の母に送られた御聖訓には、

「法華経はあいのごとし修行のふか(深)きは・いよいよあお(青)きがごとし」

とも綴られている。

去年よりも今年、昨日よりも今日と、まず自分自身が、いよいよ張り切って前進する。

―――これが、妙法流布のリーダーの証である。

「たえず変化し、新しくなり、若返り、停滞しないようにするのが人間じゃないか」と、

大文豪ゲーテは言い切った。”成長し続ける人”? を「青年」と呼ぶのだ。

「もし人、年をとりたくなかったならば

よろしく大いに鵬大 (ほうだい) なる理想をいだくべきである」

―――本年、生誕150周年を迎える、東北の偉人・新渡戸稲造博士も、こう言っている。

広宣流布という最高無上の理想へ向け、一日一日の着実な成長が、

なにより大切である。その一歩一歩が、黄金の足跡として輝くのだ。

戸田先生は語られた。「理想は天下国家を救うにあり、身近なものは足もとを固めていく

―――こういう生活をする立派な青年であってほしい」

 

自他共(じたとも)の幸福を

今夏、ロンドン五輪が開催されるイギリスでも、わが友の活躍が目覚ましい。

ロンドンといえば、偉大な歴史家トインビー博士のご自宅に伺い、

二年超しの対談を開始したのは四十年前の1972年であった。

対話が ”人間精神の進歩”に及ぶと、博士は力説された。

「 (人間にとって) 最も重要な課題は、

自らのカルマ (業) をどう好転させるかということです。

そのための唯一の方法は、自己超克への努力を増すことです」

人間は、今の自分自身を乗り越えて、より強い自分へ、

何ものにも負けない自身へと必ず成長できる。

だからこそ、不断の自己鍛錬が大切なのだ。

胸中に揺るがぬ「心の師」を抱いて、試練に挑むのだ。

大聖人は「今 (いま) 日蓮 (にちれん) が唱える所 (ところ) の題目は前代 (ぜんだい)

に異 (ことな)り自行化他 (じぎょうけた) に亘 (わた) りて南無妙法蓮華経なり」

と仰せである。自行化他 (自分と他人と分け隔てなくとの意味) の実践に徹して、

わが人生も、友の人生も、願い通りの未来を開いて行く

―――これが、一貫して変わらぬ創価の哲学であり、幸福への歩みである。

六十年前に私が広布の第一歩を印した関西でも、唱題と折伏を貫き通した同志は皆、

見事な境涯革命 (きょうがいかくめい) を成し遂げていった。

あの大震災の被災地や避難地域でも、日頃、地道に友に尽くしてきた同志が、

誠実一路に ”福光 (ふっこう) ” の先駆となって、信頼を広げておられる。

「変毒為薬 (へんどくいやく) 」の模範の実証がここにある。

心が強く朗らかであることは、幸福と勝利の条件である。

自分のみならず、周囲の人をも護っていける。

それは、一歩深く言えば、信心が強いということだ。

この「自他共の心を強く朗らかにする」哲学を持ち、

「自他共の幸福を築く生き方」を、我らは世界に広げているのだ。

地涌 (じゆう) の使命は何と誇り高く、何と希望に満ちていることか!

 

強き自分へ!皆が大成長の一年に

学会は永遠に「御書根本」で進む。

大聖人の思想と闘争の精神が刻まれた「御義口伝 (おんぎくでん)」を

学生部代表と研さんした日々も懐かしい。

「心無所畏 (しょむしょい)とは今 (いま)

日蓮等 (にちれんら) の類 (たぐ) い南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり」と仰せだ。

折伏精神に燃えた「心に畏 (おそ) るる所無し」の若鷲を、

必ず鍛錬すると決意していた。

以来五十年。わが学生部の智勇の飛翔は頼もしい。

未来への鋭い見識をもって青年を大事にした先人の一人に、

大阪出身の歌人・与謝野晶子 (よさのあきこ) がいる。有名な一首に―――

「地はひとつ 大白連 (だいびゃくれん) の花と見ぬ 雪のなかより日ののぼる時」

一面の雪原に旭日が昇った時、

大地がまるで大輪の白蓮 (びゃくれん) の花のように輝いている様子が詠われている。

社会や地域に「幸の光」を送る、華陽 (かよう) の乙女の姿を彷彿 (ほうふつ) とさせる。

与謝野晶子は「『若さ』の前に不可能も無ければ、陰翳 (いんえい) も無い、

それは一切を突破する力であり、一切を明るくする太陽である」

との名言も残している。

その通りだ、学会においても、はつらつたる信強き女子部が

「一切を明るくする太陽」であり、また、

師子王 (ししおう) たる男子部が「一切を突破する力」である。

先日、NASA (米航空宇宙局) の宇宙展望鏡 ケプラーが生命誕生の可能性

がある気温の惑星や、地球サイズの惑星を確認したことが報道されていた。

「この大宇宙には、地球のような星が幾つもある。

私は、その星の広宣流布のために働かなければいけないんだ。

地球の広布は、わが弟子に任すよ」と

呵呵大笑 (かかだいしょう) されていた恩師の笑顔が思い起こされる。

 

遠大な地球の広宣流布のために、いよいよ、

青年が思う存分に無限の力を発揮する好機到来である。

飛躍的に拡大すべき本年だ。

その青年を皆で励まし、育てていきたい。

わが地域の伸びゆく青年に接し、先輩たちも力を伸ばし、

仲間を広げ、味方をつくり、

皆が威光勢力 (いこうせいりょく) を増していっていただきたい。

 

今年は辰年―――。この「辰」は、時刻でいえば「午前八時」に当たる。

また「夜明け」や「スクスク伸びる」意義もある。

旭日の如き青年の息吹に通じる。私も「辰年」の生まれである。

いよいよ思索を重ね、先手を打ち、厳然と指揮をとっていく決意だ。

 

わが同志よ、後継の青年たちよ!

全員が偉大なる地涌 (じゆう) の正義の旗を

掲げ抜いていってくれたまえ!

現実社会は厳しくとも、仏にも匹敵する勇気と智慧で、

人生を切り開いていってくれ給え!

日本中、世界中の同志と共に、胸張り、楽しく、朗らかに、

異体同心の前進を開始しよう!