未来座談会

永遠の幸福の為の未来座談会

地涌 (じゆう) の菩薩 (ぼさつ) の生き方とは

釈尊が説いた仏教。その結論部分が「妙法蓮華経」(略して法華経) です。

その第15章目に「大地が割れ、そこから涌き出た無数の菩薩群が出現」します。

この物語は何を意味するのか?

それは、ひとりの人間です。

創価の哲学は人間として最高の生き方を教えています。

私たちは信心をしています。

私自身もさまざまな課題を抱え、また苦悩し今日も生き抜いています。

多事多難な現実生活の中でも、私自身の中には実は最高に力強い仏の生命が秘めている事を知っています。

ゆえに御本尊に南無しながら、挑戦のお題目を唱えているのです。

この「修行する人間」が菩薩として表現されているのが「妙法蓮華経」という経典です。

 

戸田先生はよく言われました。

「我々の姿は、貧乏菩薩や病気菩薩のように見えるが、それは人生の劇を演じているんだよ。

正真正銘の「地涌の菩薩」なんだ。

人生の劇なら、思いきって楽しく演じ、妙法の偉大さを証明しようではないか!」と。

悩んだ分、人の悩みがわかる自分になるのです。

苦しんだ分、同苦できる人間になるのです。

絶えず「人間の中へ・友の中へ」自らもひとりの人間の一員として、共々に励ましあい、朗らかに前進していく。

仏法正義を語って行く!

出来ても出来なくても、語るぶんだけ自分の境涯は広がります。

福運が付きます。

家族の一人でも強情な信仰者がいれば、その一家一族は、その祈りで護られます。

この行動としての人間に徹している姿が、地涌の菩薩の生き方です。

私と貴方と共々に学会活動に徹する「地涌の菩薩の行動としての姿」は、実は自身が最高の仏として輝き、人にも勇気と希望と福運とを共有できる

「仏の境涯・仏の姿」そのものなのです。

東北の皆さまへ 断じて負けるな

3.11 あの日より1周年の節目にて

♪ 青葉の誓い(東北の歌)

一年を十年の価値ある人生に 生きる人もいる。

「一生 空しく過して 万歳 悔ゆる」人もいる。

人生は 今日も 行きゆく以外にない。

否 生き抜くことが 人生だ。

多くの人間と 共存状態を保ちながら

生活し そして社会にあって

それぞれの歴史を創りながら

共同体として存在し 生き抜いてゆくのだ。

人生には逃げられない道がある。

それぞれの 宿命を持つ自身であり

未来もまた 明確なる保証はない。

生き抜く 老いゆく 病なり そして死する

人生の流転の その明白なる解答は

誰人も与えてくれない。

この諸行無常の生老病死という現実は

強制的なまでに 厳しく一生を 貫き通している。

 

願望 そして欲望 さらに 変化しゆく矛盾

ただ苦痛がなくなると 愉快なだけなのであろうし

愉快さが 幾度となく繰り返されると

倦怠になって やがてまた

苦痛に変わってしまうものなのだ。

ゆえに自分を取り巻く外界(がいかい)の世界と

自分自身の内なる世界とが 一体不二の法則に則るときに

人生は確実に 平和的な常楽の場所を

提供してくれるに違いない。

絶望の彼方に横たわる友に 光あれ!

友よ 立ち上がれ!

君の未来には 天使のごとき幸福の鐘が

満ち満ちていることを 忘れるな!

誠実の人間たれ 勇敢なる人間たれ

そして勝利の人生たれ!

烈烈たる人生王者の 自分の魂を

使命の魂と 深く結び合わせながら

断固として 勝ち誇る人生たれ!

 

わが友よ 頑張れ!

わが兄弟よ わが姉妹よ 頑張れ!

いかなる失敗があっても

断じて立ち上がり 前へ進むのだ。

有名が幸福ではない

無名の英雄が 幸福であり

偉大であるのだ。

君を 負けるな!

君は王者のような才智と

無限の智慧の力の権威を

持っていることを 忘れまい。

 

我らには 哀しみなどはない。

我らには 敗北もない。

我らの彼方は 常に

幸福の鐘が 希望の鐘が

鳴りやむことはない。

いかなる 厳しい試練があっても

我らは すべてを勝ち超えゆく

無量の黄金よりも貴重な

無限の力を持っている。

目にはみえないが

満々として 言葉もなく

常に煌煌と 鋭く響いている。

我らは負けない!

君よ 今日も 元気を取り戻せ!

 

あの美しい 満天の星のごとく

勇気に満ち 希望に溢れ

勝利に溢れゆく 栄光にふさわしき

人間王者の威厳に満ち満ちて

常楽我浄の王宮の扉を開き

笑みを湛えながら

わが人生の流転を 進みゆくのだ。

我々が信ずる力は 臆せず動ぜず

悠然と安座して 慈光に包まれ

必ず忍耐の彼方に大勝利の賛歌が待っている。

世界桂冠詩人「人生の流転より」