若き君へ

新時代の主役に語る

この真剣な新人たちの息吹こそ、職場を生き生きと発展させゆく力です。

「新しい時代」の「新しい人材」が活躍しゆくことこそ、社会の宝であり、希望です。

皆さんには、張り切って第一歩を踏み出した「初心」(しょしん)がある。

大事なのは、「今」の決心です。「これから」の行動です。

この仏法の「本因妙」(ほんいんみょう)の精神を、アメリカのジャズ音楽家のウェイン・ショーターさんは、実践的に「初心を忘れないこと」と捉えていました。

「初心」を堅持していく生命は、みずみずしく創造力を沸き立たせていけます。

皆さんには、「絶対勝利」の信仰があります。

御書に、「未来の果(か)を知らんと欲(ほっ)せば其(そ)の現在の因(いん)を見よ」と記されている通り、決意して行動を開始した人は、現状がどうあれ、すでに勝つ因をつくった人です。

私は未来の勝利者の皆さんに、最大の祝福を贈りたいのです。

御書には、「助ける者が強ければ倒れない」と仰せです。

創価学会は、最も心強い「善知識(ぜんちしき)」の世界です。

忙しくて、なかなか会合に出られなくても、思うように題目があげられなくても、同志と連携(れんけい)を取り合っていくことが、どれほど支えになり、励みになるか。

まさに、福運あふれる “幸福の安全地帯” です。

だから、絶対に離れてはいけません。

少しでも縁(えん)していこうという心が大事です。

今、忙しいから、環境がその時ではないと、言ってはいけません。

それは、病の人が、自分の病気が治ったら入院しようと、言ってるようなものです。

 

日蓮大聖人は、「御(おん)みやづかいを法華経とをぼしめせ、『一切世間(いっさいせけん)の治生産業(ちせいさんぎょう)は皆実相(みなじっそう)と相違背(あいいはい)せず』とは此(こ)れなり」と仰せになられました。

注・・・みやづかい(宮使い)、主君に家来が使えるならわし、鎌倉時代に限らず現代においても会社に勤めたり、仕事の雇用関係の事。

 

自分の仕事を法華経の修行であると思っていきなさい。現実社会のあらゆる営みは全部、妙法と合致するものなのですと、教えてくださっています。

どんな仕事であれ、どんな立場であれ、題目を唱える自分自身が智慧(ちえ)を出し、力を尽くして、世のため、人のため、誠実に価値を創造していく。

それは、全て「心の財(たから)」を積む仏道修行になります。仕事と信心は、別々ではない。むしろ、仕事を最大に充実させていく原動力が、信心であり、学会活動なのです。

注・・・心の財(たから)の究極は絶対勝利の福運です。何ものにも負けない、戦う仏の生命です。

 

・・・・・大聖人が門下に「御みやづかいを法華経」と教えられたのは、御自身に3度目となる流罪の迫害が加えられるかもしれないという緊迫した状況での中でした。

大聖人は、もし3度の流罪となれば「百億万倍のさいわいなり」と悠然と見下ろされながら、弟子たちに自らの使命の職場で、一歩も引かずに、断固として勝利の実証を示し切っていくように、励まされたのです。

この御聖訓(ごせいくん)通りに戦って自身を鍛え上げてきたのが、学会の誇り高き伝統です。

草創期、職場で信心に反対されることが多かった先輩たちは、「信心は一人前、仕事は三人前」と歯を食いしばって、両方とも頑張ってきました。

「仕事で実証を示してみせる!」と祈り抜き、仕事をやり切ってきました。

大変だからこそ、策によらず、真っ正面から腹を決めて祈って、人の何倍も努力し抜いたのです。

さらに今も、「仏法(ぶっぽう)即(そく)社会」「仏法即勝負」の戦いを毅然と続けているのです。

仕事の姿勢には、その人の人生観も表われる。

「何のために」生きるのかという一念が表れる。

その最も深く、最も強く、最も正しい一念こそが、信心です。

皆さんには、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福を実現しゆく究極の大目的がある。

「広宣流布」という世界一の大願(だいがん)に立って、自らの日々の仕事に全力で挑むこと・・・・・・これが「御みやづかいを法華経」の心です。

「世界一の大願」に向かって戦う一人の青年として、

「この仕事で世界一の自分にさせてください」

「世界一の職場にさせてください」

「世界一の会社にさせてください」と大きく強く祈る事です。

信心は、一個の人間としての実力となって発揮されます。

真剣に祈り抜き、勉強し、精進し、創意工夫して、若いエネルギーを仕事にぶつけていく。

そうして出た結果が、その時の最高の結果です。

思うようにいかなければ、また祈って挑戦し、開拓すればいいんです。

ともあれ、会社の大小や職場の環境で、自分の仕事や人生の勝ち負けは決まらない。

全て自分です。自身の一念で決まるのです。

学会の組織は自分の命です。仏の生命です。

ゆえに組織に付き切って、連携をとりあうことが、仕事での勝利の原因を積むことになるのです。

勝利の旗を!

創価の師弟の祈りとは・・・・

君自身の願いが全て叶う祈りです。

それは、苦しみは、苦しみにつけ題目を唱える。

悲しみは、悲しみのまま御本尊にぶつける。

悩みは悩みとして、大きく見おろしながら前へ前へと行くのです。

御本尊を拝するという事は、全宇宙を見おろしていくようなものです。

自分自身の苦しんでいる生命も、見おろしていく自分になっていく。

嬉しい時は、嬉しいままの感謝の題目になっていきます。

もしも、苦悩の時の題目は喜びに変わります。

そして、その喜びは大歓喜の題目に変わるのです。

これが、君自身の胸中に出現する「大歓喜の題目を!」です。

祈って、動いて、書いて、話して、生涯、友の心の扉を開くのです。

自分だけでなく、友にも、「南無妙法蓮華経」の仏の生命を語り、伝えるのです。

共に、地涌(じゆ)の菩薩としての生き方を示し切って行くのです。

これが、「地涌の人材を!」です。

私だけではなく、友の心にも歓喜の題目を送るのです。

具体的には、自分自身の日課として、目標としての題目を課すのです。

一日、5分の題目を唱えるの人もいるでしょう。

一日、30分の題目を唱える挑戦の日々でも良い。

更には、1時間、2時間の場合もある。人それぞれで良いのです。

大事なのは、私はこれだけ挑戦したという事です。

挑戦の題目です。

この挑戦の題目の祈りの中には、ありのままの自分の姿を祈りきって行けば良い。

それも、より具体的な、マトを得た祈りです。

こうなりたい!? こうしたい!? ・・・・・何でも良いのです。

このように、大歓喜の題目と地涌の人材を輩出する戦いに徹したとき、君自身に、「勝利の旗を!」としての結果が表われます。

祈りが叶います。それを実証(じっしょう)とも言います。

広宣流布(こうせんるふ)の大願(だいがん)に生き抜く人生は「信力(しんりき)」「行力(ぎょうりき)」という生命の底力を奮い起します。

ゆえに、創価の師弟は、全宇宙の仏天(ぶってん)も揺り動かす偉大な「仏力(ぶつりき)」「法力(ほうりき)」を満々と涌現(ゆげん)できるのです。

語句の解釈

地涌(じゆ)の菩薩」・・・釈尊が説いた妙法蓮華経の中に説かれる、

妙法蓮華経自体を広める人間としての姿。

「実証」・・・信仰の結実として、祈りが叶ったり、祈った人が幸福となること。

「広宣流布」・・・南無妙法蓮華経の題目の力を全世界の人に広めゆくこと。

「信力」・・・自分自身が御本尊に題目を唱える力。

「行力」・・・自分自身が我が友に仏法を語り、共に広めゆく力。

「仏天」・・・全ての生命のリズムをつかさどる善の力、エネルギー。

「仏力」・・・御本尊に備わっている仏の境涯・力。

「法力」・・・御本尊に備わっている妙法のリズムの力。

誓願の五月三日

布と先駆の沖縄勢

豊かな詩心(しごころ)の沖縄では、日食(にっしょく)を「太陽と月の結婚」とする美しい民話も伝えられている。

それは、何とロマンあふれる “天体の結婚式” であろうか。

私には、まるで太陽と月が一体となったような、明るく仲睦まじい沖縄の父母たちの笑顔が目に浮かぶ。

いずこにもまして苦労を乗り越えられてきた沖縄の同志は、苦しむ友の心を、力強い陽光の如く励まし、優しい月光の如く癒す不思議な力を持っている。

「世界最初の広宣流布(こうせんるふ)のモデル地帯」を目指して、「イチャリバーチョーデー」(行き合えば、皆、兄弟)という大海原(おおうなばら)のように開かれた心で、愛する沖縄家族は、今日も友情と信頼を広げておられる。

私の大好きな「沖縄健児の歌」を聴かぬ日はない。この五月十五日には、返還(へんかん)四十周年を迎える美しき「うるま島」(珊瑚の島)に、永遠の平和と繁栄と和楽あれと、いやまして祈りに祈り抜いている。

(略)

人類史にあって、「一人も残らず幸福に!」という究極の生命の希望が文字に凝結(ぎょうけつ)したもの、それが法華経といえようか。

大聖人の御書は、その精髄(せいずい)の “希望と勝利の経典(きょうてん)” である。

御書発刊から六十周年、この不滅の希望の輝きは、いよいよ人類の未来を赫々(かっかく)と照らし出している。

さあ、元初(がんじょ)の五月三日から、大いなる希望に燃えて、正義の師子吼(ししく)を轟(とどろ)かせゆくのだ。

今再び、異体同心(いたいどうしん)の団結で、新たな一歩前進を開始しよう!

「声仏事(こえぶつじ)を為(な)す」・・・私たちの誠実な対話、勇気の行動は、人間の勝利へ、最極(さいごく)の希望を創(つく)り広げゆく戦いなのだ。

 

広宣の

 我らの元初は

  この日かと

希望の彼方は

 勝利の山々

随筆・我らの勝利の大道 73