今日も広布へ2

行動を制限される中、せめてもの激励だよと、ピアノを弾く池田SGI会長

魂の音律を断じて忘れるな!とSGI会長の心 

祈りと行動の人に妙法の功徳は輝く!

祈りは、自分自身の「勝利の原因」です。

“使命” とは “命を使う” と書きます。

「命」と「引きかえ」にしても、惜しくないもの。

それが「使命」といえる。

広宣流布とは、世界の平和と人類の幸福を実現しゆく、究極の使命です。

未来部の成長が、広宣流布である。

未来部の勝利が、創価の勝利だ。

揺るぎない大建設には、堅固な土台が必要である。

同様に、人生もまた、「幸福と勝利の土台」をつくらなければならない。

若い皆さんにとって、勉強も体を鍛えることも、大事な土台づくりだ。

しかし、根本の生命を鍛え、錬磨し、拡大するには、信心しかない。

題目を唱えることは、わが生命に「福運の土台」をつくることになる。

福運があってこそ、全ての努力が生きるのだ。

ご飯を毎日、食べるように、日々の勤行は、心身ともに回転を促し、リズムを整える。

出発のエンジンをかける。生命の充電なのである。

私たちは何のために生まれてきたのか。

「人生を楽しむためだ」と仏法は教える。

どんな時代にも、深刻な苦しみがある。

なかんずく、青春時代は、悩みの連続だ。

しかし、まっすぐに信心を貫いていけば、法華経に「衆生所遊楽 (しゅじょうしょゆうらく) 」とある通り、「生きていること自体が楽しい」「何をやっても楽しい」という人生になる。

必ず、なる。

「祈りとして叶わざるなし」の御本尊であるからだ。

日蓮大聖人は、”一遍 (いっぺん) の題目にも、限りない功徳がある” と門下に教えられた。

無限の宝は、わが胸中にある。

生命それ自体が、宝の集まりである。

その宝を、自由自在に引き出すのが「信心」なのである。

自分だけではない。人も幸福にしていける。

社会も、そして世界も、善の方向へ、平和の方向へと変えていける。

信心こそ、若き友に贈る最高の財産なのである。

創価三代の師弟は、広宣流布への誓願の祈りで全ての人生を勝ち飾ってきました。

世界192カ国・地域に創価の地涌の連帯は広がりました。

それに連なる私たち弟子の誓願もまた、仏の祈りなのです。

自分自身の全ての困難や悩みを、仏の使命に変えた真剣勝負の祈りが、御本尊に通じないわけがないのです。

これが小宇宙である自分の生命が、大宇宙のリズムである妙法蓮華経という、仏の生命に合致します。

これが仏壇の前でお題目を唱えている祈りの姿です。

自分の小さなギヤが、巨大な妙法のギヤと共に回転するように、

祈りは現実となって、実際の生活に表れ、そして叶うのです。

人材城

新・人間革命 人材城45,46

今現在掲載されている「新・人間革命」の内容は

その物語が過去の共戦の歴史通しながら、

実は後世に残すべき、今を戦う青年部に対しての

集大成となるべき、先生の万感の指導です。

人材とは何か!  リーダーの要件とは何か! 

広宣流布推進の模範の姿として、

後世の会員は今の先生の指導を

未来の御書として語り継がれます。

 

新・人間革命

人材城45 人材城46

山本伸一との懇談会に出席した、代表メンバーの報告は続いた。

一人ひとりの話に、伸一は、じっくりと耳を傾けていった。

前年、妻を亡くしたとしいう男子部の本部長の報告もあった。

「妻の分まで、一生懸命信心に励んでまいります」との決意を聞くと、伸一は言った。

「その決意が大事だよ。亡くなった奥さんもそれを一番、喜ばれています。私も追善します。

順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の人生は、それはそれでいいかもしれないが、そんな人生は、ほとんどありません。

皆、多かれ少なかれ、なんらかの試練に直面しながら、生きているものなのです。

何もない人生であれば、ささいな障害にも不幸を感じ、打ちひしがれてしまう。

人間が弱くなります。鍛えられません。

しかし、君のように、若くして最愛の奥さんを亡くしたという人は、強くなります。

また、人の苦しみがわかる人になれます。

したがって、誰よりも慈愛あふれるリーダーに育つことができるのです。

フランスの女性作家ジョルジュ・サンドも、

「他人に最も働きかける力があるのは、最も試練にあった人である」と記している。

伸一は、力を込めて言葉をついだ。

「試練は、自分を磨き、強くしていくための財産だ。

心から、そうとらえていくことができれば、大成長できる。

しかし、悲しみに負けて、感傷的になれば、

足を踏み外し、自堕落になってしまうこともあり得る。

今が、人生の正念場だよ。

君は、一人じゃないんだ。学会があるじゃないか!

同志がいるじゃないか !

みんなとスクラムを組んで、強く生きるんだよ。

奥さんは、君の胸の中にいる。奥さんの分まで信心に励み、

奥さんの分まで幸せになっていくんだ。成長を待っているよ。

強い響きの、温かい声であった。

青年の目は、生き生きと輝いていった。

山本伸一は、懇談会に参加していた、学生部の代表に視線を移した。

グレーのスーツを着て、メガネをかけた、痩身な青年が立った。

「熊本大学の医学部五年の乃木辰志(のぎたつじ)です。学生部の部長をしております。

これまでに、医学部の学友などとと仏防対話を重ね、四人が入会いたしました」

「そうか、すごいな。みんな将来が楽しみです。

北九州でも歯科医の青年たちとお会いしたし、

九州の創価学会は、お医者さんが多いのかね。ところで、君の両親は? 」

「健在です。母は信心していますが、父は反対しています。それが悩みです」

「青年には、両親が信心してないことで悩んでいる人が多いが、急いで入会させようと、

焦る必要はありません。

特に、君の場合は、お父さんがおられるからこそ、医学部で学ぶことができるんだから、

人一倍、感謝の心がなければいけません。それが仏法者です。

お父さんとお会いしたら、『お父さんのおかげで、大学に行かせていただいております。

ありがとうございます』と、心から御礼を言うことだよ。できるかい」

「はい!」

「それなら、今、ここに、お父さんがいると思って、言ってごらん。

ここで言えなくなったら、面と向かった時には、もっと言えなくなるよ」

乃木は、「はい」と言って、深呼吸を一つすると、緊張した声で言い始めた。

「お父さんのおかげで、大学に行かせていただいております。ありがとうございます。

さらに、医学と仏法を極めていきます」

すかさず、伸一の言葉が帰ってきた。

そこで、『仏法』をだすからいけないんだ。そんな必要はないんです。

君自身が『仏法』であり、君自身が『御本尊』なんです。

御書にも、そう書いてあるじゃないか。

大事なのは、親を思う子としての振る舞いです。

御書参照

法華初心成仏抄 (御書557㌻6行目~10行目)

わが己心の妙法蓮華経を本尊と崇め奉って、

わが己心のなかの仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れるところを仏とはいうのである。

譬えば、籠のなかの鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。

空飛ぶ鳥が集まれば、籠のなかの鳥も出ようするようなものである。

口の妙法を呼び奉れば、わが身の仏性も呼ばれて必ず顕れる。

梵王や帝釈の仏性も呼ばれて、われらを守る。

仏や菩薩の仏性は呼ばれてお喜びになるのである。

背景と大意

本抄は、建治3年(1277年)3月、駿河国岡宮(現在の静岡県沼津市)

に住む妙法尼に与えられた書です。

「法華初心成仏抄」の法華とは、一往は文上の法華経の意ですが、

再往は法華経文底の南無妙法蓮華経を指しています。

各人の生命には仏性(妙法蓮華経)が具わっています。

その仏性を各人が現していくために、日蓮大聖人は御自身の生命に内在する仏の生命を御本尊として御図顕してくださったのです。

私たちはその御本尊を信受し、自行化他にわたって南無妙法蓮華経の題目を唱えていくところに、自身のうちにある仏性(己心の御本尊)が現れます。

南無妙法蓮華経は本尊であり、また唱える題目でもあるのです。

「よびよばれて」と言われているように、呼び顕すのも自分であり、また呼び顕されるのも自分自身の仏性です。

そのことを日蓮大聖人は空飛ぶ鳥と籠のなかの鳥が呼び合い、呼応することに譬えられています。

空飛ぶ鳥と籠のなかの鳥が呼び合い、集まり合うように、唱題の実践によって自身の仏性も顕れてくるのです。

それだけでなく、梵天・帝釈などの諸天善神や仏菩薩の仏性も顕れると仰せです。

それは、その人を取り巻くすべてから仏性が顕れて、妙法を行ずる人を守る方向に働くことを意味しているといえるでしょう。

「依正不二」の法理に照らして、正報である生命主体が自身の仏性を呼び顕せば、それに呼応して依報である環境世界の仏性も顕れるのです。

池田名誉会長は次のように述べています。

「題目の力は無限である。

妙法は宇宙の根本の法であり、題目は生命の根源のリズムである。

広布をめざし、題目を朗々と唱えゆくところ、生命の威光勢力は無量に高まり、無辺に広がっていく」

題目に勝る力はありません。

題目を唱えに唱え、各自が人生の勝利を勝ち取っていきましょう。

語句の参照

仏性

一切衆生の生命に、本然的に具わっている仏の性分、性質のこと。

梵王

大梵天王の略称。帝釈天とともに仏法を守護する諸天善神。

帝釈

帝釈天のこと。仏法を守護する諸天善神。インド神話では強力な雷神で、

現実世界を統括する中心的な神とされた。