若獅子よ勝ちまくれ

若獅子よ勝ちまくれ

私が、19歳で日大法学部 (夜間) に在籍していた頃です。

飛翔会結成に先立つ1年前 (1974年・昭和49年) から2部学生部(夜間に学ぶ大学生)は普賢塾として、私は外松 登さん (当時、学生部全国主任部長) を中心に「佐渡御書」を毎月の教材として学び、毎日、折伏弘教と1万遍唱題の戦いの中、下半期には私の部は全国2位の折伏42世帯を達成しました。”過去を振り返れば勝ち戦” の黄金の思い出です。

当時、外松さんの仕事は人間革命の第7代編集長。学会では2部学生部の全国委員長。1年間訓練を受けさせて頂きました。当時結成された「飛翔会」の模様を先生は、小説・新人間革命23巻  勇気の章で綴ってくださいました。

飛翔会が結成されたのは、1975年(昭和50年)の8月26日、 東京・江戸川区公会堂で行われた、 第一回 「 二部学生主張大会 」 の席上です。当時の全国学生部長、原田稔さん (第6代会長)  は田原薫の名で紹介されています。私は役員でした。

今、男子部愛唱歌「原野に挑む」(作詞・外松 登) から「若獅子を勝ちまくれ」の歴史は、父子一体の共戦の歴史を勝ち飾れと、感動が迫ってきます。

“父子一体” とは “師弟一体” の事です。師匠と弟子が一体となって初めて、弟子は師匠以上の力を出せるのです。「従藍而青」の心を、師は「出藍の誉れ」の思いで未来を託しているのです。

http://youtu.be/p_PmrSUwZDs

原曲は「原野に挑む (男子部愛唱歌)  作詞・外松  登さん (当時・全国学生部主任部長・初代飛翔会委員長」です。

小説・新人間革命第23巻・勇気の章より

学生部長の田原薫は、山本伸一のメッセージを声高らかに読み上げていった。
「人生の勝利というものは、決して学歴や知識量で決定するものではない、と私は思う。むしろ、いかなる困難にあっても、自分のいだいた目標を貫徹するという強い意志力と忍耐力こそ、勝利の母であり、革命児として最も重要な資質であると考える。
諸君が、仕事、学問、学会活動と、時間のないなか精いっぱい戦い抜いていることを、私はよく知っております。しかし、そのこと自体、諸君の人生の盤石な基盤の構築に通ずることを、決して忘れないでいただきたい。そして、誰人にも勝る強き意志と忍耐の力を養っていただきたいのであります。
諸君の人生の勝利は、そのまま広宣流布の実証である。どうか、大御本尊に題目を唱え抜き、自ら選んだ苦難の道を、堂々と切り開いていってください。諸君の成長を楽しみにしております。お元気で!」
会場を揺るがすかのような拍手が響いた。
田原は、もう一度、メッセージを読むと、メガネの奥の目を輝かせながら言った。
「皆さん、大変におめでとうございます!
先生の、二部学生に寄せる、この限りない期待を、その厳父の慈愛を、深く、深く、生命に刻んでいただきたい。
皆さんこそが、学会の先駆である学生部のなかでも、さらに、その先駆であり、中核中の中核であります。
どうか、その尊い使命を、片時も、また、生涯、絶対に忘れないでいただきたい!」
田原は、理知的なタイプの青年リーダーである。その田原が火を吐くがごとき叫びを放ったのだ。この真剣な訴えに、二部学生は、伸一の心をあらためて知った思いがした。
理屈では、人は奮い立たない。人の心を揺さぶり、魂を目覚めさせるものは、懸命な魂の訴えであり、行動である。