ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman)

民衆詩人 / ウォルト・ホイットマン

・さあ、出発しよう!悪戦苦闘を突き抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ

詩集「草の葉」より。

ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman)

1819年5月31日 – 1892年3月26日
アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ、

職業は詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。

ウォルト・ホイットマンの作品の特徴は、
厳格なイギリス文化の構造を否定し、
良心における自由な精神を訴え、
アメリカの詩文化に永久的な変化を吹き込んだ。

代表作は「草の葉」

詩集「草の葉」より。

・何よりもまず偉大な「人物」を産み出すこと、あとのことはそれで確実。

・改革が必要であればあるだけ、それを成就するための「人格」が必要になる。今日すぐに始めたまえ、勇気、実在、自尊、明確、高貴を目ざして君自身を鍛えることを、君自身の「人格」を固め広めるまでは休んではならぬ。

・わたしにも、誰にも、あなたに代わって道を歩くことはできない。自分の道は自分で行くほかないのだ。

 ・君が教訓を学んだ相手は君を賞賛し、親切をほどこし、味方になってくれた人々だけだったのか?君を排斥し、論争した人々からも大切な教訓を学ばなかったのか?

・私の決心は少しも揺るがない。私は自分の詩の仕事を自分自身の方法で、最後まで力の限り続けていこう。

・最善のことを言うよりももっと善いことは、つねに最善のことを言わずにおくことである。

・情熱、それなくして人と呼べようか

・自分自身であることに、人間の偉大なる誇りがある

 ・何になるにもからだが肝心、健康でなくしてどうして宇宙とひとつになれよう。

 ・寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。

・人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。

 ・若い女は美しい。しかし、老いた女はもっと美しい。

 ・これから私は幸福を求めない。私自身が幸福だ

 ・もしも詩人が、すぐれた模範を世間に披露し、その一歩一歩が自己の証となるのでなければ、彼は無用の長物だ。

 ・まず自分自身のあいだから、その最良の見本を提供することが必要である。そして一人でも二人でもそういう見本を提供することによって、集団全体が千年も輝くものとなるのだ。

 ・世界中の誰もが自分を称賛しても、私は一人静かに満足して座っている。世界中の誰もが私を見捨てても、私は一人静かに座っている。

 ・演奏を聴いて思い出したと感じている音楽はすべて、あなたの内側から呼び覚まされているのだ。

・同志よ、これは本ではない。これに触れるものは、人間に触れるのだから。

 ・毎日出かけていく子供がいた、最初に目にしたもの、驚き、哀れみ、愛、あるいは恐れと共に受け入れたものそのものに、彼はなった。それはその日一日、あるいはその日のる時間、あるいは何年も、あるいは年の経めぐるずっと長い間、彼自身の一部になった。

 ・報われぬ愛はなし。これか、あれか、方法は違うが、報いられるのは確かである。

 ・あらゆる過去は後に取り残すのだ。わたしたちは一層新しい、一層力に満ちた世界へ、変化した世界の上に進出するのだ。

 ・永遠にめぐりくる春よ、三つの宝をあなたは忘れずに届けてくれる。年ごとに蘇えるライラックの花と、西空に沈むあの星と、そして愛する人の想い出を。

・おお、強敵を相手に苦闘し、不屈の敵に立ち向かい、何びとの助力も借りずにその敵と四つに組んで、おのれの性根を試してみたい。

・人に何かを与えるとき、私は自分自身をささげる。

諸天を揺 (ゆ)り動かせ!

4月度の座談会の拝読御書 日限女造立釈迦仏供養事(にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと)

池田名誉会長は、『諸天を揺  (ゆ) り動かせ』と題された最後の部分で

「強い祈りが教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を動かし、諸天善神(しょてんぜんじん)を存分(ぞんぶん)に働かせていくのである。猛然(もうぜん)と祈り動けば、必ず、多くの人々が諸天善神となって見方と変わる。これが、大仏法の原則だ」

「断じて勝つ!」との誓願(せいがん)の祈りと行動を貫(つらぬ)き、栄光の「5.3」を勝利で荘厳(そうごん)していこうではありませんか。と、訴えておられます。この日眼女造立釈迦仏供養事は、弘安三年2月に四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙ですが、同じ年の年末に、同じ日眼女に与えられたお手紙を通しての先生の指導がありました。

座談会が、中止のところも多いかと思い、その代わりでもないですが、紹介させていただきます。

=====記=====

(昭和62年12月12日 於;創価文化会館 東京・豊島、台東、墨田、目黒合同総会 最後の部分)

【温かな春の慈愛で友を包め】

一、最後に話はかわるが

♪ もういくつねると お正月 お正月には 凧(たこ)あげて……はやく来い来い お正月――。

これは楽しい正月を、指折り数えて待つ少年の心を、滝廉太郎・作曲のメロディに乗せて歌った、懐かしい童謡である。

この歌は、副学生部長である本部第一庶務の中野富美雄君が好きな歌である(爆笑)。

次元はまったく異なるが、弘安三年(1280年)「師走」の十二月、御年五十九歳の日蓮大聖人が、

「正月の街と遠しさ」をつづられた御抄がある。

それは、四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙で、その中で大聖人は次のように仰せられている。

<本文>

「歳(とし)もかたぶき候・又処(ところ)は山の中・風はげしく庵室(あんしつ)はかご(籠)の目の如(ごと)、うちしく物は草の葉・着たる物は・かみ(紙)ぎぬ(衣)身のひ(冷)ゆる事は石の如し、食物は冰(こおり)の如くに候へば此の小袖給(こそでたび)候て頓(やが)て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の雞足山(けいそくせん)にこもりて慈尊(じそん)の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさ(久)しかるらん」(御書P1195)

<通解>

「今年も暮れとなり、押し詰まってきました(このお手紙は十二月十六日)。ここ身延は、山の中で風がはげしく、しかも庵室はすき間だらけなので、まるでカゴの目のように、風が吹きぬけていくのです。下に敷いているのは草の葉、着ているものは紙の衣、体は冷え切って石のようです。食べ物は氷のように冷たい」

戸田先生は、この御文を拝されるたびに、厳冬の身延の大聖人の御生活をしのばれて、いつも涙しておられた。

「ですから、あなた(日眼女)からいただいたこの小袖(こそで)を、すぐにも身につけ体をあたためようと思ったのですが、あなたのお手紙には、〝これは明年の一日(元旦)に着てください″(笑い)と書いてありました。

この小袖を着られる元旦が本当に待ち遠しい。それはたとえば、迦葉尊者(かしょうそんじゃ=釈尊の十大弟子の一人)が、雞足山(けいそくせん)という山に入って、弥勒(みろく)菩薩の出現を、五十六億七千万歳もの間ずっと待たれたのも、今の私と同じように待ち遠しかったのではないか、と思われるほどです」と。

一、このお手紙は日眼女が「白小袖(しろこそで)一枚」と「綿(わた)」を御供養したことに対して、大聖人が御礼を述べられたものである。

小袖とは、もともと肌着(下着)のことであったが、鎌倉時代のころから、次第に表着(おもてぎ)としても着用されるようになった。いわゆる「きもの(和服)」のルーツとなったものである。

四条金吾夫人の日眼女は、女性らしい心づかいから、大聖人に正月(元朝)の晴れ着として、真新しい、そして純白な小袖を着ていただきたいと思ったのであろう、そのままの気持ちを添(そ)え書きして差し上げた。

いささか皮肉な見方をすれば、添え書きに〝ひとこと多かった″(爆笑)のかもしれない。

婦人部の皆さま方も、ひとことでなくして、ふたこと、みこと多い場合があるかもしれない(大爆笑)。

厳寒の中におられる大聖人には、正月といわず、即座に身につけて温まっていただければよかったのである。

しかし、大聖人は、一枚の小袖に託(たく)して、新年をお祝いしようとする日眼女の精いっぱいの真心を、あますところなくくみ取っておられる。

〝あなたのいわれる通り、がまんして大切に取っておきますよ″〝新しい小袖が着られるお正月が楽しみですよ″と感謝の思いを込めて「心」の琴線(きんせん)に触(ふ)れる語りかけをされておられる。

 短い御文ではあるが、身延山中の厳寒が痛いほど身に迫ってくる。とともに、いかなる寒風も消すことのできない暖炉(だんろ)の火のような「心のぬくもり」が伝わってくる。

 大聖人が門下一人一人との「心」の触れ合いを、どれほど大切にしておられたか―――数々の大難にも負けなかった大聖人一門の強さの源泉が、ここにもあったとうかがえるのである。

一、大聖人の仏法は、厳冬に向かう富士のごとく峻厳(しゅんげん)である。とともに、春のような温かな「慈愛」と「人間性」に満ちみちた世界である。

それは冷たい権威に支配されたものではない。難解な論理だけに貫かれた世界でもない。また、要領や策で成長できる世界でもない。

どうか、広布のリーダーである幹部の皆さま方は、「透徹(とうてつ)した信心」と。「温かき春の心」の光を放ったお一人お一人であっていただきたいと申し上げ、本日のスピーチとしたい。

Toshiyuki Morisawa さんの投稿を転載

入会記念勤行会

栄光勝利の門出を祝福して

入会おめでとう!!!

今日は、あなたが主役です。

あなた自身の悩みへの挑戦に今日は皆がエールを送ってくれました。

次は、あなたの周りの友の為に悩める自分になるでしょうね。

それは、あなた自身の悩みが小さく感じる。

より大きな悩みや課題に挑戦する自分になっている。

これを境涯が広くなったね。と言います。

信心は心で耐えて、心で開いて、そして心で勝っていくのです。(下記参照)

心は見えない。

しかし信心の勝利の心は結果となって必ず、現実生活に現れます。

その為の御本尊です。

御本尊はあなたの心の鏡です。

信ずる力。祈る力が強ければ、そのままの姿で、まるで自分の心の鏡のままに功徳の結果が現れます。

苦難をバネとする信心の心は、自分自身の心を鍛えます。

日々の学会活動は自身の人間革命と境涯革命の姿となって、永遠に幸福勝利の人生の軌道に入っていけるのです。

そして、この信心は水の流れるような純粋で持続の信仰が大切です。

過去を振り返れば、勝ち戦です。

また、未来を見れば、宝の中に入っていくような人生です。

これがこの世に生まれてきた、最大の幸福です。

これを仏の大境涯といいます。

共々に戦いましょう!

そして勝ちましょう!

2015年3月31日の入会記念勤行会より

=語句の参照=

信心の心とは妙法に生き切る信仰の一念を教えています。

【心で耐えて】  信心の仏道修行です。苦楽ともに戦う信心のこと。

【心で開いて】  信心で自分自身の境涯を大きく開くことは強い自分に成長すると言う意味です。

【心で勝つ ! 】  信心の絢爛たる功徳の実証です。広宣流布に戦う姿そのものが実は大勝利なのです。三世に薫る福運の実像です。