新人間革命・大山の章に学ぶ 1
「勝ちにけり 師弟の大山 揺るぎなく
不動の信心(こころ)は 万代までも」
これは池田先生の今年2017年新春の和歌である。
大山の章のテーマは1979年4月24日。先生51歳です。
日蓮大聖人の佐渡流罪と同じ年齢です。
大山の章の冒頭に・・・
“日蓮大聖人は叫ばれた。
「我が弟子等・大願ををこせ」「大願とは法華弘通なり」と”
ここにこの章の結論を見た思いがした。
辞任2か月前に、インド・香港指導から始まる東洋広布の旅は、“今しかない! 黄金の時を逃すな!” 彼は、こう自分に言い聞かせていた。との先生の魂魄を感じられます。
騒然としたなかで迎えた恩師の命日。4月2日であった。
満開の桜が、春風に揺れていた。・・・(先生の大境涯を満開の桜と表現したのでしょう)
「会長の辞任は、宗門ではなく、学会が決めることだ。私が会長を辞めるのは、前々から考えてきたことであり、学会の未来を開くためだ」・・・(学会の未来を開くために辞めるのだ。最大の難を最大の未来を創るチャンスにするのだ)
「伸一には、“宗門が創価学会の会長を圧力で辞めさせるなどという前例を、絶対につくってはならない。また、そんなことになれば、宗門の歴史に、永遠に汚点を残すことになるだろう”との思いもあったのである」・・・(仏法三千年の歴史の中で、一人の人をこうも迫害する宗門にさえも、宗門に汚点を残させまいとする先生の境涯の高さと慈悲の深さを、始めて知りました)
「しかし、時流とはなんだ!」
問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
・・・(いかなる時代になっても、先生と共に戦う
これが学会精神です。断じて忘れてはならない創価の師弟不二の精神です。)
宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。
それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。
情けなく、また、私はあきれ果てた。
戸田会長は、遺言された。
「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ!
そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。
なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、
一体、学会精神は、どこにあるのか!
今になって当時の執行部を批判する人もいる。しかし、自分がその場に居たら、”四条金吾が大聖人の龍ノ口の流刑の場”にお供したように、「只今なり」と! 私も先生とともに辞任します! 否辞めさせません、と言えるだろうか。
長く側近として、戸田先生や牧口先生を知ってても、本当の意味で、魔の蠢動を見破ったのは先生一人だった。
獅子が一人立つ時にはあまりにも孤独ではないか。・・・(信心は当然・役職の高低、信仰歴の長短には関係ないことを改めて確認した)
今、先生の心を学ばせていただき、同じ時代を生きた一人として、将来、学会もまた必ず同じことが起こるに違いない。
次の世代にも今のうちに学会精神と殉難の信心の覚悟だけはするように!
との先生のメッセージと拝察される。