永遠なれ4.24

〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十九 2017年3月1日

 

大山法悟空 内田健一郎 画 (6009)

 四月二十四日の夜更け、山本伸一は日記帳を開いた。この一日の出来事が、次々に頭に浮かび、万感の思いが込み上げてくる。
“本来ならば、二十一世紀への新たな希望の出発となるべき日が、あまりにも暗い一日となってしまった。県長会の参加者も皆、沈痛な表情であった……”
彼は、今日の日を永遠にとどめなければならないと、ペンを走らせた。
日記を書き終えた時、“ともかく人生ドラマの第二幕が、今開いたのだ! 波瀾万丈の大勝利劇が、いよいよ始まるのだ!”と思った。そして、自分に言い聞かせた。
“荒波がなんだ! 私は師子だ。広宣流布の大指導者・戸田先生の直弟子だ。
新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!”
闘魂が生命の底から、沸々とたぎり立つのを覚えた。若き日から座右の銘としてきた一つの言葉が、彼の脳裏を貫いた。
――「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」
この夜、各地で緊急の会合が開かれ、伸一の会長勇退と新体制の発足が伝えられた。
関西では、登壇した幹部が、かつて戸田城聖が理事長を辞任した折、伸一が戸田に贈った和歌を読み上げ、声を大にして叫んだ。
「『古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ』――この和歌のごとく、たとえ山本先生が会長を辞めても、関西の私たちの師匠は、永遠に山本先生です」
すると皆が、「そうだ!」と拳を突き上げたのである。
また、テレビ、ラジオは夜のニュースで、会長勇退の記者会見の様子を伝えた。
学会員の衝撃は、あまりにも大きかった。
しかし、同志の多くは自らを鼓舞した。
“勇退は山本先生が決められたことだ。深い大きな意味があるにちがいない。今こそ広布に走り抜き、先生にご安心していただくのが真の弟子ではないか!”
皆の心に、師は厳としていたのである。

 

新人間革命 大山に学ぶ

満開の桜

新人間革命・大山の章に学ぶ 1

「勝ちにけり 師弟の大山 揺るぎなく
不動の信心(こころ)は 万代までも」

これは池田先生の今年2017年新春の和歌である。
大山の章のテーマは1979年4月24日。先生51歳です。
日蓮大聖人の佐渡流罪と同じ年齢です。

大山の章の冒頭に・・・

“日蓮大聖人は叫ばれた。
「我が弟子等・大願ををこせ」「大願とは法華弘通なり」と”

ここにこの章の結論を見た思いがした。

辞任2か月前に、インド・香港指導から始まる東洋広布の旅は、“今しかない! 黄金の時を逃すな!” 彼は、こう自分に言い聞かせていた。との先生の魂魄を感じられます。

騒然としたなかで迎えた恩師の命日。4月2日であった。
満開の桜が、春風に揺れていた。・・・(先生の大境涯を満開の桜と表現したのでしょう)

「会長の辞任は、宗門ではなく、学会が決めることだ。私が会長を辞めるのは、前々から考えてきたことであり、学会の未来を開くためだ」・・・(学会の未来を開くために辞めるのだ。最大の難を最大の未来を創るチャンスにするのだ)

「伸一には、“宗門が創価学会の会長を圧力で辞めさせるなどという前例を、絶対につくってはならない。また、そんなことになれば、宗門の歴史に、永遠に汚点を残すことになるだろう”との思いもあったのである」・・・(仏法三千年の歴史の中で、一人の人をこうも迫害する宗門にさえも、宗門に汚点を残させまいとする先生の境涯の高さと慈悲の深さを、始めて知りました)

「しかし、時流とはなんだ!」

問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
・・・(いかなる時代になっても、先生と共に戦う
これが学会精神です。断じて忘れてはならない創価の師弟不二の精神です。)

宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。
それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。
情けなく、また、私はあきれ果てた。

戸田会長は、遺言された。
「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ!
そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。
なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、
一体、学会精神は、どこにあるのか!

今になって当時の執行部を批判する人もいる。しかし、自分がその場に居たら、”四条金吾が大聖人の龍ノ口の流刑の場”にお供したように、「只今なり」と! 私も先生とともに辞任します! 否辞めさせません、と言えるだろうか。

長く側近として、戸田先生や牧口先生を知ってても、本当の意味で、魔の蠢動を見破ったのは先生一人だった。
獅子が一人立つ時にはあまりにも孤独ではないか。・・・(信心は当然・役職の高低、信仰歴の長短には関係ないことを改めて確認した)

今、先生の心を学ばせていただき、同じ時代を生きた一人として、将来、学会もまた必ず同じことが起こるに違いない。
次の世代にも今のうちに学会精神と殉難の信心の覚悟だけはするように!

との先生のメッセージと拝察される。

生死一大事血脈抄

大山
『新人間革命・大山』で、何を会員に訴えようとしているのか⁉️
38年前の歴史を記録として残す為だけでは無いのです。

先生は今の会員に、老いても尚全魂の指揮を執っているのです‼️

1月号の大白蓮華、座談会拝読御書、生死一大事血脈抄!
この御書とリンクしますが、昭和54年会長勇退の宗門側の先生や学会に対する攻撃材料の教義的理由は、『血脈は、唯受一人の、時の御法主猊下(阿部日顕)だけであり、信心には師弟と言う考えは無い』と言うものでした。

しかし、先生一人が、仏法3千年の歴史の中で、此れほどまでと思われるくらいの三障四魔の嵐でした。大聖人と同じ一生です。法華経の予言通りの生命で戦った故に、ついに、半世紀を経た私達の時代には、自分が殺される程に及ぶという広布の苦難は無くなりました。世界に妙法の一人ひとりが誕生し、世界広宣流布は加速度を増しています。

生死一大事血脈抄の結論は、信心の血脈は、大聖人の魂は、三代会長が師弟で築きあげた創価学会にしか無いと言う事です。

会員の皆さんには、次の言葉を語ってください。
・私の中に学会があります。
・私の心の中に師匠が居ます。
・師匠と心を合わせる信心に異体同心の血脈が生まれます。
・この決心で戦う姿が広宣流布です。

と、具体的に会って!、語って!、或いは電話して!、または手紙を書いてください。

広布の未来を開く拡大を

2016年1月8日、全国総県長会議が東京新宿区の常勝会館で開催されました。(1月9日付け聖教新聞)

沖縄の全同志の皆様へ—総県長より—

昨日、東京で行われました全国総県長会議におきまして、折伏の年間の成果発表がありました。

沖縄は新入会者数で全国第一位。御本尊授与数は全国第五位。折伏総合全国第一を獲得することができました。

沖縄の同志の皆様の師弟共戦。信心と情熱あふれる戦いのお陰です。本当にありがとうございました。また、本当におめでとうございます。

また、12月度の新聞啓蒙の結果も発表され、沖縄は全国第三位に輝きました。

全国の皆様に宜野湾市市長選の厳しい状況のことも報告し、お願しました。

日本一の沖縄の戦いは勝利あるのみです!

劣勢をはねのけて、大逆転いたしましょう!

頑張りましょう!

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私の所属する沖縄池田県・安里希望本部は、年間折伏数30世帯。本部として、県内1位。私自身もお守り御本尊1世帯。仏法対話は、年間30数名以上が聞いてくださいました。

沖縄は、数の結果ではない。発心下種も、問法下種も功徳と境涯の拡大は何の隔たりもない。一緒です。

黄金の3年の総仕上げを飾る新たな挑戦は、沖縄1月の宜野湾市長選に勝利し、京都市長選・北海道補欠選挙。この3つの動向できまる。

なかんずく「沖縄が勝てば全国が勝つ」この勝利の方程式のままに、いま、新たな出発の日々でありたい!

今日も沖縄健児の歌を抱きしめて♪

6・23 沖縄慰霊の日

沖縄 (琉球) の精神的文化の特徴

 

沖縄研修道場

・「命どぅ宝」=沖縄口(くち)で、”人の生命は宝物” 
(生命そのものは他の一切の財産や名誉よりも優れたもの。あるいは健康で頑健な身体や、逆に五体に不満足。または不治の病いが有ったとしても、生きている生命それ自体が無上の宝物の意)

・「チムグルさん」=沖縄口(くち)で、”心が苦しいの意” (他者の苦しみの心を鏡に映った自分の姿のように自分自身がその苦しみとして感じてしまうこと。これは琉球人の持つ特性であり、同苦という表現よりも、”親が子を思う” “赤子が母親を慕う感情” に同一する心)

この二つの琉球に伝わる文化の心は、人間がもともと持っている「人間が人間としての高い精神性」として現代社会では、”仏法生命哲学” として、広く認知されるようになった。
特に海外では192カ国・地域へと、その生命哲学は宣揚され、国によっては学校教育の教科書として、また池田哲学研究所として研究が進んでいる。

なかんずく仏法の最第一の思想とされる法華経で説く「仏性(ぶっしょう)」の働きを具現化し、現代文明においての日常生活の実践論そのものが “生命哲学の根幹” となっている。

6月23日は沖縄慰霊の日。70年前のこの時を組織的地上戦が終わった日として、「沖縄の終戦の日」とも定めている。

今年、3月22日には、沖縄青年部2万名が集結。そのメンバーの一人、沖縄の華陽会の友の作詞・作曲でもあり、大会のテーマ曲「ONE」の題名に込められた思いは「小説・人間革命」に流れる主旋律と共鳴するものだった。

それは「生命尊厳の思想」を確認すると同時に、それを世界に発信するには、「一人」が勇気を起こし、目の前の「一人」のために心を尽くすことから始まる。そして、その行動の連鎖が、やがて人々の心を「一つ」につなげていく。

また、この慰霊の日の前の20日・21日には、青年部主催の「青年平和主張大会」を開催。
開催場所となったのは、終戦後、米国が中国本土へ向け「核ミサイル発射基地」と化していた跡地を「世界平和発信の地」として180度転換した沖縄研修道場(恩納村)であった。その場所で、恒久平和への誓いを題した劇、エイサーに込められた民衆歓喜の舞を披露した。

法華経で説く「三変土田 (さんぺんどでん) の原理」は、世代を超えて、繰り返し繰り返し連続してその地を、その国土を、そこに住む一人ひとりの胸中に生命尊厳の思想を固め征く戦いに他ならない。

“戦争の宿命” を “恒久平和への使命の歴史” へと転換する作業こそ、私の、そして青年(きみ)たちのこの世の使命であってくれ給え。

私の今年の目標は100人の友に、祈って・動いて・書いて・話して、生涯、心に崩れざる「平和の砦」を構築すること。
それは “生命尊厳の生命哲学” を語ること。”池田哲学” を語ることだ。

語った分だけ友の心に”妙法”の種は植えられる。いつの日か縁に触れ、その”妙法の種”は必ず開花するのは断じて間違いない。

また “門法下種” (この妙法の哲学・生命哲学を語り聞かせること) も、”発心下種” (この哲学に共鳴し、聞いた友が発心し決意し、この法を共々に伝え広げていのこと) もその功徳は一緒だよ。開花する機根は聞いた相手にあるからだ。

我が友よ、なにも難しく考えることはない。「そうだ! そうだ! そのとおりだ! 」と言えるだけでも素晴らしい戦いではないか。共々に境涯を拓き人類の心に “仏法生命哲学” を語っていこう!!!
それは、まず身近な一人の友に「仏性」の種をまいて征くことから始まることを忘れまい。

 

希望の光

アメリカ創価大学 (SUA) で第11回卒業式

2015年5月22日午後/現地時間
アメリカ創価大学第11回卒業式

卒業生代表の自作の詩

きょう 我々は世界に

106人の卒業生を輩出するのではない

106通りの変革の物語を 世に問うのだ

我々の胸中にSUAがある限り

その日はそう遠くにない

どこへ行こうとも 世界の果てまで

その地をSUAのごとく 創ってゆける日は

 

SUA (Soka University of America) 建学の精神

1、生命ルネサンスの哲学者たれ
2、平和連帯の世界市民たれ
3、地球文明のパイオニアたれ

 

 

諸天を揺 (ゆ)り動かせ!

池田SGI会長
池田SGI会長

 

4月度の座談会の拝読御書 日限女造立釈迦仏供養事(にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと)

池田名誉会長は、『諸天を揺  (ゆ) り動かせ』と題された最後の部分で

「強い祈りが教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を動かし、諸天善神(しょてんぜんじん)を存分(ぞんぶん)に働かせていくのである。猛然(もうぜん)と祈り動けば、必ず、多くの人々が諸天善神となって見方と変わる。これが、大仏法の原則だ」

「断じて勝つ!」との誓願(せいがん)の祈りと行動を貫(つらぬ)き、栄光の「5.3」を勝利で荘厳(そうごん)していこうではありませんか。と、訴えておられます。この日眼女造立釈迦仏供養事は、弘安三年2月に四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙ですが、同じ年の年末に、同じ日眼女に与えられたお手紙を通しての先生の指導がありました。

座談会が、中止のところも多いかと思い、その代わりでもないですが、紹介させていただきます。

=====記=====

(昭和62年12月12日 於;創価文化会館 東京・豊島、台東、墨田、目黒合同総会 最後の部分)

【温かな春の慈愛で友を包め】

一、最後に話はかわるが

♪ もういくつねると お正月 お正月には 凧(たこ)あげて……はやく来い来い お正月――。

これは楽しい正月を、指折り数えて待つ少年の心を、滝廉太郎・作曲のメロディに乗せて歌った、懐かしい童謡である。

この歌は、副学生部長である本部第一庶務の中野富美雄君が好きな歌である(爆笑)。

 

次元はまったく異なるが、弘安三年(1280年)「師走」の十二月、御年五十九歳の日蓮大聖人が、

「正月の街と遠しさ」をつづられた御抄がある。

それは、四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙で、その中で大聖人は次のように仰せられている。

<本文>

「歳(とし)もかたぶき候・又処(ところ)は山の中・風はげしく庵室(あんしつ)はかご(籠)の目の如(ごと)、うちしく物は草の葉・着たる物は・かみ(紙)ぎぬ(衣)身のひ(冷)ゆる事は石の如し、食物は冰(こおり)の如くに候へば此の小袖給(こそでたび)候て頓(やが)て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の雞足山(けいそくせん)にこもりて慈尊(じそん)の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさ(久)しかるらん」(御書P1195)

<通解>

「今年も暮れとなり、押し詰まってきました(このお手紙は十二月十六日)。ここ身延は、山の中で風がはげしく、しかも庵室はすき間だらけなので、まるでカゴの目のように、風が吹きぬけていくのです。下に敷いているのは草の葉、着ているものは紙の衣、体は冷え切って石のようです。食べ物は氷のように冷たい」

戸田先生は、この御文を拝されるたびに、厳冬の身延の大聖人の御生活をしのばれて、いつも涙しておられた。

「ですから、あなた(日眼女)からいただいたこの小袖(こそで)を、すぐにも身につけ体をあたためようと思ったのですが、あなたのお手紙には、〝これは明年の一日(元旦)に着てください″(笑い)と書いてありました。

この小袖を着られる元旦が本当に待ち遠しい。それはたとえば、迦葉尊者(かしょうそんじゃ=釈尊の十大弟子の一人)が、雞足山(けいそくせん)という山に入って、弥勒(みろく)菩薩の出現を、五十六億七千万歳もの間ずっと待たれたのも、今の私と同じように待ち遠しかったのではないか、と思われるほどです」と。

一、このお手紙は日眼女が「白小袖(しろこそで)一枚」と「綿(わた)」を御供養したことに対して、大聖人が御礼を述べられたものである。

小袖とは、もともと肌着(下着)のことであったが、鎌倉時代のころから、次第に表着(おもてぎ)としても着用されるようになった。いわゆる「きもの(和服)」のルーツとなったものである。

四条金吾夫人の日眼女は、女性らしい心づかいから、大聖人に正月(元朝)の晴れ着として、真新しい、そして純白な小袖を着ていただきたいと思ったのであろう、そのままの気持ちを添(そ)え書きして差し上げた。

いささか皮肉な見方をすれば、添え書きに〝ひとこと多かった″(爆笑)のかもしれない。

婦人部の皆さま方も、ひとことでなくして、ふたこと、みこと多い場合があるかもしれない(大爆笑)。

厳寒の中におられる大聖人には、正月といわず、即座に身につけて温まっていただければよかったのである。

しかし、大聖人は、一枚の小袖に託(たく)して、新年をお祝いしようとする日眼女の精いっぱいの真心を、あますところなくくみ取っておられる。

〝あなたのいわれる通り、がまんして大切に取っておきますよ″〝新しい小袖が着られるお正月が楽しみですよ″と感謝の思いを込めて「心」の琴線(きんせん)に触(ふ)れる語りかけをされておられる。

 短い御文ではあるが、身延山中の厳寒が痛いほど身に迫ってくる。とともに、いかなる寒風も消すことのできない暖炉(だんろ)の火のような「心のぬくもり」が伝わってくる。

 大聖人が門下一人一人との「心」の触れ合いを、どれほど大切にしておられたか―――数々の大難にも負けなかった大聖人一門の強さの源泉が、ここにもあったとうかがえるのである。

一、大聖人の仏法は、厳冬に向かう富士のごとく峻厳(しゅんげん)である。とともに、春のような温かな「慈愛」と「人間性」に満ちみちた世界である。

それは冷たい権威に支配されたものではない。難解な論理だけに貫かれた世界でもない。また、要領や策で成長できる世界でもない。

どうか、広布のリーダーである幹部の皆さま方は、「透徹(とうてつ)した信心」と。「温かき春の心」の光を放ったお一人お一人であっていただきたいと申し上げ、本日のスピーチとしたい。

Toshiyuki Morisawa さんの投稿を転載