諸天を揺 (ゆ)り動かせ!

池田SGI会長
池田SGI会長

 

4月度の座談会の拝読御書 日限女造立釈迦仏供養事(にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと)

池田名誉会長は、『諸天を揺  (ゆ) り動かせ』と題された最後の部分で

「強い祈りが教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を動かし、諸天善神(しょてんぜんじん)を存分(ぞんぶん)に働かせていくのである。猛然(もうぜん)と祈り動けば、必ず、多くの人々が諸天善神となって見方と変わる。これが、大仏法の原則だ」

「断じて勝つ!」との誓願(せいがん)の祈りと行動を貫(つらぬ)き、栄光の「5.3」を勝利で荘厳(そうごん)していこうではありませんか。と、訴えておられます。この日眼女造立釈迦仏供養事は、弘安三年2月に四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙ですが、同じ年の年末に、同じ日眼女に与えられたお手紙を通しての先生の指導がありました。

座談会が、中止のところも多いかと思い、その代わりでもないですが、紹介させていただきます。

=====記=====

(昭和62年12月12日 於;創価文化会館 東京・豊島、台東、墨田、目黒合同総会 最後の部分)

【温かな春の慈愛で友を包め】

一、最後に話はかわるが

♪ もういくつねると お正月 お正月には 凧(たこ)あげて……はやく来い来い お正月――。

これは楽しい正月を、指折り数えて待つ少年の心を、滝廉太郎・作曲のメロディに乗せて歌った、懐かしい童謡である。

この歌は、副学生部長である本部第一庶務の中野富美雄君が好きな歌である(爆笑)。

 

次元はまったく異なるが、弘安三年(1280年)「師走」の十二月、御年五十九歳の日蓮大聖人が、

「正月の街と遠しさ」をつづられた御抄がある。

それは、四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙で、その中で大聖人は次のように仰せられている。

<本文>

「歳(とし)もかたぶき候・又処(ところ)は山の中・風はげしく庵室(あんしつ)はかご(籠)の目の如(ごと)、うちしく物は草の葉・着たる物は・かみ(紙)ぎぬ(衣)身のひ(冷)ゆる事は石の如し、食物は冰(こおり)の如くに候へば此の小袖給(こそでたび)候て頓(やが)て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の雞足山(けいそくせん)にこもりて慈尊(じそん)の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさ(久)しかるらん」(御書P1195)

<通解>

「今年も暮れとなり、押し詰まってきました(このお手紙は十二月十六日)。ここ身延は、山の中で風がはげしく、しかも庵室はすき間だらけなので、まるでカゴの目のように、風が吹きぬけていくのです。下に敷いているのは草の葉、着ているものは紙の衣、体は冷え切って石のようです。食べ物は氷のように冷たい」

戸田先生は、この御文を拝されるたびに、厳冬の身延の大聖人の御生活をしのばれて、いつも涙しておられた。

「ですから、あなた(日眼女)からいただいたこの小袖(こそで)を、すぐにも身につけ体をあたためようと思ったのですが、あなたのお手紙には、〝これは明年の一日(元旦)に着てください″(笑い)と書いてありました。

この小袖を着られる元旦が本当に待ち遠しい。それはたとえば、迦葉尊者(かしょうそんじゃ=釈尊の十大弟子の一人)が、雞足山(けいそくせん)という山に入って、弥勒(みろく)菩薩の出現を、五十六億七千万歳もの間ずっと待たれたのも、今の私と同じように待ち遠しかったのではないか、と思われるほどです」と。

一、このお手紙は日眼女が「白小袖(しろこそで)一枚」と「綿(わた)」を御供養したことに対して、大聖人が御礼を述べられたものである。

小袖とは、もともと肌着(下着)のことであったが、鎌倉時代のころから、次第に表着(おもてぎ)としても着用されるようになった。いわゆる「きもの(和服)」のルーツとなったものである。

四条金吾夫人の日眼女は、女性らしい心づかいから、大聖人に正月(元朝)の晴れ着として、真新しい、そして純白な小袖を着ていただきたいと思ったのであろう、そのままの気持ちを添(そ)え書きして差し上げた。

いささか皮肉な見方をすれば、添え書きに〝ひとこと多かった″(爆笑)のかもしれない。

婦人部の皆さま方も、ひとことでなくして、ふたこと、みこと多い場合があるかもしれない(大爆笑)。

厳寒の中におられる大聖人には、正月といわず、即座に身につけて温まっていただければよかったのである。

しかし、大聖人は、一枚の小袖に託(たく)して、新年をお祝いしようとする日眼女の精いっぱいの真心を、あますところなくくみ取っておられる。

〝あなたのいわれる通り、がまんして大切に取っておきますよ″〝新しい小袖が着られるお正月が楽しみですよ″と感謝の思いを込めて「心」の琴線(きんせん)に触(ふ)れる語りかけをされておられる。

 短い御文ではあるが、身延山中の厳寒が痛いほど身に迫ってくる。とともに、いかなる寒風も消すことのできない暖炉(だんろ)の火のような「心のぬくもり」が伝わってくる。

 大聖人が門下一人一人との「心」の触れ合いを、どれほど大切にしておられたか―――数々の大難にも負けなかった大聖人一門の強さの源泉が、ここにもあったとうかがえるのである。

一、大聖人の仏法は、厳冬に向かう富士のごとく峻厳(しゅんげん)である。とともに、春のような温かな「慈愛」と「人間性」に満ちみちた世界である。

それは冷たい権威に支配されたものではない。難解な論理だけに貫かれた世界でもない。また、要領や策で成長できる世界でもない。

どうか、広布のリーダーである幹部の皆さま方は、「透徹(とうてつ)した信心」と。「温かき春の心」の光を放ったお一人お一人であっていただきたいと申し上げ、本日のスピーチとしたい。

Toshiyuki Morisawa さんの投稿を転載

若獅子よ勝ちまくれ

若獅子よ勝ちまくれ

私が、19歳で日大法学部 (夜間) に在籍していた頃です。

飛翔会結成に先立つ1年前 (1974年・昭和49年) から2部学生部(夜間に学ぶ大学生)は普賢塾として、私は外松 登さん (当時、学生部全国主任部長) を中心に「佐渡御書」を毎月の教材として学び、毎日、折伏弘教と1万遍唱題の戦いの中、下半期には私の部は全国2位の折伏42世帯を達成しました。”過去を振り返れば勝ち戦” の黄金の思い出です。

当時、外松さんの仕事は人間革命の第7代編集長。学会では2部学生部の全国委員長。1年間訓練を受けさせて頂きました。当時結成された「飛翔会」の模様を先生は、小説・新人間革命23巻  勇気の章で綴ってくださいました。

飛翔会が結成されたのは、1975年(昭和50年)の8月26日、 東京・江戸川区公会堂で行われた、 第一回 「 二部学生主張大会 」 の席上です。当時の全国学生部長、原田稔さん (第6代会長)  は田原薫の名で紹介されています。私は役員でした。

今、男子部愛唱歌「原野に挑む」(作詞・外松 登) から「若獅子を勝ちまくれ」の歴史は、父子一体の共戦の歴史を勝ち飾れと、感動が迫ってきます。

“父子一体” とは “師弟一体” の事です。師匠と弟子が一体となって初めて、弟子は師匠以上の力を出せるのです。「従藍而青」の心を、師は「出藍の誉れ」の思いで未来を託しているのです。

http://youtu.be/p_PmrSUwZDs

原曲は「原野に挑む (男子部愛唱歌)  作詞・外松  登さん (当時・全国学生部主任部長・初代飛翔会委員長」です。

小説・新人間革命第23巻・勇気の章より

学生部長の田原薫は、山本伸一のメッセージを声高らかに読み上げていった。
「人生の勝利というものは、決して学歴や知識量で決定するものではない、と私は思う。むしろ、いかなる困難にあっても、自分のいだいた目標を貫徹するという強い意志力と忍耐力こそ、勝利の母であり、革命児として最も重要な資質であると考える。
諸君が、仕事、学問、学会活動と、時間のないなか精いっぱい戦い抜いていることを、私はよく知っております。しかし、そのこと自体、諸君の人生の盤石な基盤の構築に通ずることを、決して忘れないでいただきたい。そして、誰人にも勝る強き意志と忍耐の力を養っていただきたいのであります。
諸君の人生の勝利は、そのまま広宣流布の実証である。どうか、大御本尊に題目を唱え抜き、自ら選んだ苦難の道を、堂々と切り開いていってください。諸君の成長を楽しみにしております。お元気で!」
会場を揺るがすかのような拍手が響いた。
田原は、もう一度、メッセージを読むと、メガネの奥の目を輝かせながら言った。
「皆さん、大変におめでとうございます!
先生の、二部学生に寄せる、この限りない期待を、その厳父の慈愛を、深く、深く、生命に刻んでいただきたい。
皆さんこそが、学会の先駆である学生部のなかでも、さらに、その先駆であり、中核中の中核であります。
どうか、その尊い使命を、片時も、また、生涯、絶対に忘れないでいただきたい!」
田原は、理知的なタイプの青年リーダーである。その田原が火を吐くがごとき叫びを放ったのだ。この真剣な訴えに、二部学生は、伸一の心をあらためて知った思いがした。
理屈では、人は奮い立たない。人の心を揺さぶり、魂を目覚めさせるものは、懸命な魂の訴えであり、行動である。

沖縄健児の歌

沖縄研修道場 施設案内

⚪️ 創価学会沖縄研修道場は、かつての米軍「核ミサイルメースB基地」跡地に建設(1977年)
その敷地内に取り壊されずに残っていた“ミサイル発射台”は1984年に池田名誉会長の提案で、6体のブロンズ像が建つ「世界平和の碑」へと生まれ変わった。

⚪️ 人間革命常設展示室

「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない・・・」この書き出しで始まる小説「人間革命」は池田名誉会長の行動の原点として、昭和39年­12月2日、沖縄の地で執筆が開始された。その魂魄を留める「人間革命常設展示室」は­半世紀にわたる思想闘争の歴史「人間革命12巻」「新人間革命28巻」は今なお連続闘­争の日々を伝えている。

⚪️  沖縄池田平和記念館附属展示室

中国に向けられていたミサイル発射台の跡に設置された「沖縄池田平和懸念館附属展示室」は、発射台内部の形状を残している。これまで「世界不戦への軌跡」「核兵器廃絶をめざして」などの企画を展示。現在は、「『戦争の基地』から『平和の要塞』へ」

⚪️  世界平和の碑

「沖縄は、平和を考える原点の場所として、ひめゆりの塔もある。健児の塔もある。それとは別の意味で、日本はもちろん世界の平和を考える原点の場所としよう」こうして永遠平和の要塞「世界平和の碑」は誕生した。

⚪️  米軍の核ミサイルメースB基地

中国ににらみをきかせた有翼核ミサイルの巨大要塞メースB基地は、1960年代当時、沖縄の恩納村、読谷村、勝連町、金武町にそろぞれ配備されていた。

「世界平和の碑」が建設される前(1969年)のメースB基地の様子は発射台のコンクリートの厚さは約1.5メートルもあり、普通の建物の2倍の太さの鉄筋が使用され、いかにも核要塞らしい頑丈な構造になっていた。

 

交通のご案内
●お車で
那覇から高速道路・沖縄自動車道利用(石川I.C下車)で約60分。
石川I.Cを出て右折し、国道58号線に合流後、名護市向け直進。
リザンシーパークホテル(進行方向左手)通過後すぐの信号で右折、約400M直進左手。
●路線バスで
「那覇バスターミナル」から20番名護西線、
名護バスターミナル行「谷茶の丘」で下車(所用約95分)、徒歩5分

所在地〒904-0412 沖縄県国頭郡恩納村谷茶1172

未来部歌誕生の地・岡山

高等部歌「正義の走者」の歌詞が完成したのは、1978年7月23日の岡山であった。

★「未来部歌」誕生・・・倉敷総県婦人部書記長の仲前日加里さんは、その完成の瞬間に立ち会った一人。当時高校3年生だった。
「できたよ!これでいいかい」。名誉会長が白い紙を手に岡山南文化会館 (当時、岡山文化会館) の屋上に現れ、高等部の担当者に言った。
“白い紙”は、できたばかりの「正義の走者」の歌詞だった。時刻は夕方。屋上には金魚すくいなど、屋台のコーナーが設けられていた。友の真心に応え、名誉会長夫妻も浴衣を着て、居合わせた草創の同志らを励まし、役員に声を掛けていく。
「未来会だね」
やがて椅子に座ると、名誉会長は厳粛な口調で語り始めた。「僕は何百万回というほど、人に会ってきた。何百万回も診た医者は、一目見れば、患者がどんな状態か分かるでしょう。僕も同じだよ。約束を守る人かどうか、すぐに分かるんだ」「生涯、約束を破ってはいけない。僕はじっと見ているよ」
厳愛の指導だった。既に宗門問題が各地で火を噴き、広布の未来に暗い影を落としていた。名誉会長は、未来部員をあえて「大人」として遇し、どんな嵐にも折れない大樹と育つための“根っこ”をつくりたかたったに違いない。
懇談が終わり、屋上から降りていく未来会の友。名誉会長が大きな声で言った。
「また会おう!次の学会を頼むよ。お母さんによろしく」
「正義の走者」は、名誉会長の加筆を経て「未来部歌」として歌い継がれている。

(転載)

SOKA net 動画

soka-net

師弟の生命は永遠に若い

2014:8:31:naha-okinawa

 

空には、鳥の飛ぶ道がある。

海には、魚の泳ぐ道がある。

人には、人の歩む道がある。

人間が、最も人間らしく、

価値ある人生を歩み、

向上していくための道が、

「師弟の道である」

人間だけが、

師弟をもつことができる。

師弟の道によって

自分を高めていける。

ここに、人間の究極がある。

後継の青年たちには、

伝え遺せる限り

私のもっているものを

すべて伝えたい。

一切の後事を託したい。

その私の心を、

弟子たる君たちは

深く知ってほしいのだ。

若き日に人生の師に巡り合い、

真実の人間錬磨を

受けることは

青春の最高の誉れである。

この人生の神髄がわかれば、

富や名声などの飾りに

惑わされることもないし

何ものをも恐れることはない。

真剣勝負の出会いは

人の心を変え、生命を変える。

さらに地域を変え、社会を変え、

世界をも大きく変えて行く。

師匠と近くにいるから

偉いのではない。

師匠の「心」を身に体して、

現実の上に

実現してく人が偉い。

どんな場所であれ

どんな立場であれ

その自覚があれば、

立派な弟子の戦いはできる。

「心」が大事なのである。

正しき師匠を求め

師の心に応えんとする

弟子の一念こそ、

前進と勝利の本因が刻まれる。

師弟に生き抜く生命は

永遠に若い。

その人が

永遠の青年なのだ。

 

池田名誉会長・光の言葉 幸福の曲 2014/8/31  聖教新聞より

 

 

御書と師弟 第1回 三変土田 (上)

沖縄研修道場

沖縄SGIの心は政治の世界にも強い信念で戦い続けています。
会員の師弟の絆と”戦争絶対悪”という、ウチナーンチュ(沖縄人) の心は正邪の判断はあまりにも明確です。自公連立政権の大義名分は歯牙にもかけませんよ。

池田名誉会長講義 御書と師弟 第1回 三変土田 (上)

『心の一法より国土世間も出来する事なり』 御書 総勘文抄 P563
との御聖訓は、仏法の奥義です。「一念」は即「三千」の次元に広がる。人間の「心の一法」のあり方しだいで、国土が善くも悪くもなる。
人類の精神史は、この「心の一法」の探求の歩みでもあったといって過言ではない。戦争も、飢餓も、地球環境の問題も煎じつめれば、すべて人間の「心の一法」に帰着するからです。

3回にわたる浄化

さて「三変土田 (さんぺんどでん)」とは何か。これは、今いる国土を仏国土に変えていくという変革の法理です。「三変」とは、三度にわたって変えること。
「土田」とは、国土・土地・場所の意味があります。
法華経には「虚空会の儀式」が説かれます。すなわち、輝きを放つ巨大な宝塔が大地から出現し、全宇宙から諸仏が集まって、虚空(空中)で釈尊の説法が行われます。
ところが、最初は、宝塔の中にいる多宝如来は姿を現しませんでした。宝塔の扉は固く閉ざされたままです。この扉を開く条件として、諸仏が来集することが必要であった。そのためには、仏が集うにふさわしい国土(仏国土)に清めることも必要となる。そこで釈尊が、三回にわたって国土を清めたことを「三変土田」というのです。

一回目―釈尊は眉間から光を放って、無数の国土にいる仏たちを見ました。それぞれの国土では、さまざまな仏と菩薩が妙音をもって法を説いていた。この仏たちが、それぞれに従う菩薩に「私は今、まさに娑婆世界の釈尊の所へ行く!そして多宝如来の宝塔を供養するつもりだ」と告げる。
宝塔が涌現したことを知るや、釈尊と多宝如来にお会いするために、無数の仏たちが続々と結集してくるのです。
無数の国土とは、現代的に言えば他の無数の星々といえるかも知れない。宇宙のすみずみで活躍してきた諸仏が、弟子たちを引き連れて、この地球上の霊鷲山に集ってくるのです。なんと雄壮なスケールでしょうか。
この仏菩薩を迎えるために、釈尊は大地を瑠璃で彩り、宝の樹で荘厳しました。
芳しい香りが広がり、曼荼羅華で敷き満たされます。この浄土に大宇宙から集まった諸仏は、一人ずつ「獅子の座」に座る。これが一回目の儀式です。

二回目―最初の浄化が行われても、全宇宙からやってきた諸仏は膨大な数で収まりきれません。そこで釈尊は、さらに八方のおのおの二百万億那由他もの国土を浄めます。それから無数の国土は、すべてつながって、想像を絶する広大な一つの仏国土が出現します。
しかし、それでも、全宇宙の仏が集まるには十分な広さではなかった。

三回目―二回目と同様に、八方のおのおの二百万億那由他の国土を浄化し、すべての国土がひと続きとなった、さらに壮大な仏国土が出現します。
三回目の浄化の結果、この娑婆世界と、合わせて八方の四百万億那由他もの国土が全部一つの仏国土と化して、そこに十方の分身仏が満ちあふれるのです。
これで条件が整い、ついに宝塔の扉が開かれます。多宝如来が見守る中、大衆が空中に導かれ、虚空会の説法が始まる。
釈尊は大音声で告げました。「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり」未来の弘教の呼びかけです。

未来を担う人材群

「三変土田」の本質とは、宇宙の広がりをもって、無数の弟子が勇んで師のもとに馳せ参じる荘厳な師弟のドラマといってよい。ここから、遠大な未来の広宣流布へ誓願の人材郡が打ってでるのです。
師弟こそ、一切の原点です。
師弟こそ、勝利の源流です。
この虚空会の儀式の開幕は、法華経の「本門」への起点となっています。久遠の師弟が織りなす「本門の舞台」を開いたのが、この「三変土田」です。
仏眼・法眼で見れば、今、日本そして世界のあらゆる所で、仏国土が築かれつつあります。絢爛たる民衆凱歌の「本門の舞台」が実現しているのです。
いよいよ、「本門の弟子」が躍り出る時代が到来しました。
2008-12-11 聖教新聞掲載

御書と師弟 第2回 三変土田 (下)

沖縄研修道場より東シナ海

◇ 池田名誉会長講義 御書と師弟 第2回 三変土田 (下)

信心の力で人生を勝ち開け

わが師・戸田先生は、よく言われました。「私は、信心のこととなると、強情なまでに辛抱強いんだよ」と。

広宣流布は、巌窟王の如き執念をもって、たゆみなく挑戦を続ける大闘争です。

わが学会の闘士が、悪口罵詈の渦巻く中、どれはど忍耐強く勇気と誠実の行動を重ねて、わが国土を変えてきたか。それは、まさしく「三変土田」に通じます。

三変土田──この婆婆世界の変革は、なぜ、三回にわたって行われたのか。

この点について天台大師は、婆婆世界を浄め、「方便土」「実報土」そして「寂光土」にした、と意義づけています。

「方便土」とは「二乗」などが住む世界、「実報土」は「菩薩」が住む世界、「寂光土」は「仏」が住む世界です。

天台はまた、「三惑」という惑いを破ること、すなわち一回目は「見思惑」を破ること、二回目は「塵沙惑」を、さらに三回目は「無明惑」を破ることだ、とも論じています。

この三惑に打ち勝って、仏の境涯を顕す象徴とするのです。

ともあれ、大事な点は、釈尊が、間を空けずに、二度、三度と、連続して国土を変え続けたことにあります。第二波、第三波とうねりを起こし続けてこそ、偉大な変革は成し遂げられる。

人間革命のドラマ

実は、もう一歩深く日蓮仏法から見れば、この挑戦を起こした瞬間、生命は大変革を遂げています。一念が深く定まれば、三惑は瞬時に打ち破られるからです。だから国土も変わらないわけがないのです。

三変土田とは、狭い心のカラを決然と破る「人間革命」の挑戦そのものなのです。そのために、妙法を朗々と唱え、師の心をわが心として広宣流布の行動を勇敢に開始するのです。「いつか」ではない。「今この時」が勝負です。

人類を結ぶ大瑞相

「文明論」の観点から言えば、三変土田は人類文明の共和の象徴です。十方世界のそれぞれにいた仏が集まり、一つの仏国土の中に遍満し、融合する。虚空会の舞台は、人種や民族、文化や国士の違いを超えて結び合う理想郷です。

また「生命論」から言えば、妙法は大宇宙の法則です。私たちが妙法を弘めるところ、全宇宙の諸仏・諸菩薩が喜び来って、必ず、その人を讃え守護する。三変土田から始まる虚空会の説法は、この約束といってよい。

この法理を、現実の荒れ狂う世界で展開しゆくのが広宣流布です。広布に生き抜くことは、

貪・瞋・痴という三毒に満ちた社会を、仏国土に大転換しゆく三変土田の戦いなのです。

さらに三変土田を「境涯論」から論ずれば、釈迦・多宝の二仏が、いかに無量無辺の徳を具えていたかを示しています。

三変土田は、三世分身の諸仏の統合の原理でもある。全宇宙の仏菩薩が、法を求め、師を求めて、はるばる娑婆世界に来下してきたのです。法華経を説く仏とは、それほどまでに広大無辺な慈悲と英知に満ちた偉大な境涯なのです。

それは、根底にある妙法の偉大さです。そして、妙法に生き抜く創価の友も、この境涯を開いていけるのです。

今、世界中から多くの指導者が続々と、創価の城に来訪されております。中国をはじめアジア各国、そしてキリスト教・イスラム教・ユダヤ教など諸文明を代表する賓客が、創価の哲学と運動に、心から共感されております。妙法を根幹とした我らの人間主義に深い共鳴を示され、連帯していかれるのです。

世界中の都市からも、最高学府からも、名誉称号をお贈りいただいております。

すごい学会になりました。この姿こそ、人類を結ぶ三変土田の大瑞相ではないでしょうか。

粘り強く現実変革に挑戦を!

満々たる生命力で

さらに、全国の津々浦々の学会の集いにも、地域の名士の方々が喜んで参加される時代になりました。我ら師弟の大城は、まさに千客万来です。皆様方のお力で、「妙法独り繁昌せん」(御書502ページ)の御金言は現実のものとなったのです。

わが支部、わが地区、わがブロックで懸命に友を励まし、心を変えゆく対話。その真剣な戦いは、すべて三変土田の栄えある勝利の劇です。小さな地域であっても、大変な地域であっても、ここがわが今世の黄金の晴れ舞台である──この一念髄喜の心が一切を決めるのです。

戸田先生は言われています。

「日本国中に、さかんなる力士のごとき人々が充満するならば、生産に、復興に、文化に、芸術に、その最高度の能力を発揮するがゆえに、国土の再建は、うたがうべくもない」

「さかんなる力士のごとき」とは、一人一人が満々たる生命力で躍動している様子です。「人間革命」に挑み、幸福の実証を勝ち示している姿です。

こうした勝利の活力が充満すれば、社会を大きく変えていける。やがて世界の宿命をも大転換していけるのです。

私は戸田先生の不二の分身となって、死に物狂いで戦った。正義の叫びで、一人一人の心を一変させていった。その地その地に、師匠の大生命を打ち込む決心で戦い抜きました。

仏法の眼で見れば「娑婆即寂光」です。国士も「心の一法」から出来する。わが一念から起こり、わが一念に収まるのです。

地震や台風や冷害などの災害に見舞われた地域の方々に、私はこの三変土田の法理を語り、共に祈ってきました。

阪神・淡路大震災をはじめ、北海道、中越、東北、北陸などの大地震。長崎、三宅島などの噴火。また沖縄、九州、四国、中国、中部など豪雨による被害……。どの地でも、学会の同志の献身的な救援活動や復興の努力が希望と勇気を広げ、地域の結束を強めました。「わが町の復興は、学会があればこそ」などの感謝と感動の声が、私のもとにも数多く寄せられてきました。皆様は、見事に変毒為薬してこられたのです。

中国の高名な歴史学者であられる章開●(しょうかいげん)先生(華中師範大学元学長)は、私との対談で、中国が雪害や大震災などの苦難を乗り越え、本年、北京オリンピックを大成功させたことにふれ、こう述べておられました。

「温家宝総理が被災地の人民のために『多難興邦(難が多いはど奮起して国を興そう)』と揮毫したように、震災は全国人民、ひいては全世界の華人(中国人)の心と力とを、祖国の復興という一点に向かわせました。全国の人民が奮起し、心を一つにして困難を乗り越えようとした結果、千年に一度あるかないかの巨大な災難に打ち勝つことができました」と。

民衆の「心の力」は偉大です。それを無限に引き出す哲理が、一念三千の法理です。

一人一人が地涌の底力を出せば、三世十方の仏菩薩にも勝る力が涌現する。断じて宿命を転換するのだ! この国土世間を三変土田し、安穏にして天人が充満する楽土を必ず建設するのだ!──これが大聖哲の御確信です。

必ず打開できる!

今、日本も世界も、大変な経済不況の中にあります。しかし、仏法では「一心の妙用」(一念の不思議な力)を教えている。断じて負けない信心の一念があれば、必ず必ず打開できることを確信していただきたいのです。私も妻も、全同志の皆様方が厳然と守りに護られ、一人ももれなく勝ち栄えていかれるよう、一心不乱にお題目を送っております。

仏国土を開く儀式は、二度、三度と繰り返されて成就しました。三変土田の挑戦は、粘り強く、繰り返すことが大切なのです。苦しいときこそ、「強盛の大信力」(御書1118ページ)で、祈りに祈り、何度でも挑戦し、断じて断じて未来を勝ち開こうではありませんか。

詩聖タゴールは謳いました。

「国は人間が創造したものです。国は土からできているのではなく、人々の心でできています。もし人間が輝いていれば、国は顕現されます」(我妻和男訳)

今や妙法は世界192カ国・地域に広がりました。創価の運動は「人類模範の善の連帯」と期待されております。私たちの“地涌の三変土田”が、世界を大きく動かしつつあるのです。

広宣流布の舞台は新段階に入りました。大聖人の仰せ通り「二陣三陣つづきて」(御書911ページ)、新しい人材が勇み立つ時です。これこそ「青年・勝利の年」です。

全国、そして世界の各地で、創価の師弟の旗を掲げ、社会に貢献しゆくわが同志こそ、誉れも高き三変土田の仏の大行進なり! 私は心からこう賞讃したいのです。

池田名誉会長講義 御書と師弟 第2回 三変土田 下〔完〕

2008-12-12 聖教新聞掲載