連戦、連勝へ! 先生のメッセージ

沖縄大勝利、全県代表者幹部会

先生を沖縄研修道場にお迎えした思いで、勝利の報告と勝鬨を上げて!

更には、次の戦いへの連続勝利を誓って!

 

わが誉れの沖縄広宣流布の指導者の皆さん!

本当に本当に御苦労様でございます。

私の心も海を越え、懐かしい沖縄研修道場へ

飛んで行って、愛する皆さんとカチャーシーを

舞ゆく思いで、一切を見守っております。

尊き沖縄の同志は威風も堂々と、

日本全国の最高峰に光り輝く大勝利の金字塔を

打ち立ててくれました。

「立正安国論」七百五十周年を勝ち飾る美事な壮挙を、

日蓮大聖人もどれほど喜んでおられることか。この功徳は計り知れません。

法のため、世のため、皆さんが流した金の汗は、

すべて自身の永遠の大福運となり、栄光となって光り輝きます。

子孫末代まで流れ通います。

婦人部・女子部も世界一です。男子部・学生部も天晴れだ。壮年部も模範です。

多宝会も全世界の手本です。皆、本当によく戦っておられる。ありがとう!

御聖訓には、「日蓮の道をたすけんと上行菩薩・貴辺 (あなた) の御身に

入りかわらせ給えるか 又 教主釈尊の御計いか」と仰せになられました。

一番、大変な時に、一番、大事なところで、一番、勇敢に戦い、

一番、偉大な実証を示すのが、地涌の菩薩の先頭に立つ上行菩薩の力用です。

我ら創価の陣列にあって、沖縄健児の皆さんこそ、この大使命を担い立つ、

一番偉大な方々なのです。

大聖人は、「法 妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所 尊し」と仰せになられました。

最も尊貴な沖縄同志の対話の声が、仏縁を結び広げます。

最も誠実な沖縄同志の行動のスクラムこそが、仏国土を築き上げる力なのです。

「立正安国論」には「仏国其れ衰んや」「宝土 (宝の大地) 」何ぞ壊れんや」

と断言されております。

時代がどれほど揺れ動こうとも、

私の手作りの沖縄創価学会が厳然と勝ち進んで行く限り、

平和の宝島は絶対に栄えていくのです。

何やかやと御苦労をおかけしますが、この地球上で最初の広宣流布、

そして立正安国のモデル地域を使命深き沖縄に創りゆくために、

そして勇気凛々と、明るく仲良く勢いを増し、

どこよりも功徳満開で前進していってください。

たとえ、

誰が見ていなくても、沖縄には私がついています。

沖縄同志の健康とご一家の繁栄を、妻と祈り抜いております。

沖縄と私は、永遠に一体不二の勝利者です。

猛暑の夏、どうかお体を大切に、賢く健康第一であってください。

池田県、万歳! 王者県、万歳! 平和県、万歳! 戸田県、万歳! 世界県、万歳! 

勇勝県、万歳! 創価県、万歳! 宮古県、万歳! 八重山県、万歳! 

そして異体同心の沖縄総県、万歳! 偉大なる皆様、万々歳!

2010年7月18日 大好きな 沖縄健児の歌 を歌いながら  池田大作

未来を拓く君たちへpart 15

関西池田講堂

のご本尊の脇書きには

「大法興隆所願成就」 (だいほうこうりゅうしょがんじょうじゅ) と認められています。

私たちが朝晩唱えるご本尊の相形には、十界の衆生が列座しています。

菩薩界や仏界だけではなく地獄界まで含めた全ての衆生が

一服の曼荼羅(まんだら)に収まっています。その姿の意味するものは何か・・・

簡単に訳すると、人間の生命の姿そのものであり、

社会の織りなすあらゆる事情や現象、

あるいは地球を含めた宇宙空間の全ての生命のリズムです。

それを現実的な解釈は、ご本尊の主題である「南無妙法蓮華経」に照らされ、

「日蓮」という法華経の行者に心を合せそして行動し、

本来の自分自身の姿として生き生きと、勇躍歓喜していく。

結論はご本尊の姿そのものが、広宣流布の一つの理想であり、勝利の実像です。

唱題で声を出す「南無妙法蓮華経」の音律は

我が仏の生命を湧き出でよとの力強い叫びです。

そして御書には何度もなんども「日蓮と等しく」「日蓮が如く」とのお手紙は、

師匠に心を合せ、共に戦おうとの師弟共戦の行動を開始せよとの激励です。

初代牧口会長は正義を叫び抜いたがゆえに、狂った国家権力に弾圧され、

冷たく狭い獄中で73歳の生涯を閉じられた。

生きて牢を出た戸田第二代会長は固く誓った

「日本はこの正義の大偉人を殺した! 私は必ず仇を討つ!

一歩も退かず、大折伏をして、牧口先生の仇を討っていくのだ」

御書に「第六天の魔王・十軍のいくさを・おこして・

法華経の行者と生死海 (しょうじかい) の海中にして同居穢土 (どうこえど) を・

うられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあたりて大兵を・おこして二十余年なり、

日蓮一度もしりぞく心なし」 P1224

第六天の魔王とは、民衆を隷属化し、手段化しようとする権力の魔性です。

現実社会の中で、魔の軍勢が勝つのか、仏の軍勢が勝つのか。

その間断なき峻厳な戦いを広宣流布というのです。

この第六天の魔王は基本、一個の人間の生命に入ります。

国家権力を握った人間の生命に入ったり、

またはその子分達にも第六天の魔王は姿を変えて入ります。

そして大きな集合体や組織を作ります。

これらの人々が国家権力を握った時に過去に戦争は起りました。

人間が人間でなくなる時です。

この方程式は人間という生命の中に地獄界がある以上、

生命体そのものの実像なのです。

過去、現在、未来と、仏と魔との戦いは永遠に続くのです。

ところが人間生命は戦うたびに堅固の度を増すのです。

ダイヤモンドの如く輝き続けるのです。これを三世に渡る功徳樹とも福運とも言う。

鍛え抜かれた生命体は、現在だけではないのです。

来世もまた、大きな福運に包まれて自由自在な勇躍歓喜な行動となって現れます。

過去を振り返れば勝ち戦、そして未来を見れば宝の山に入っていくような人生。

これが仏です。仏界の生命の行動としての姿です。

魔軍があるから戦えるのです。現実社会でも困難な時ほど自分を強くしてくれる。

最大のピンチの時にこそ、最大の力が出る。この原理と一緒です。

それが一個の生命レベルで論じると、なかなか理解できない。

ご本尊の中心の「南無妙法蓮華経」は仏の生命です。

そして「日蓮」とは別しては師匠であり仏の軍勢を率いる大将軍です。

また行動する生命そのものの表現です。

創価学会という組織もまた、人々の集まりです。人間生命の集合である以上、

学会の中にも魔軍は存在するのです。役職上のトップにも第六天の魔王は入る。

十界互具の原理から言えば、創価学会仏という仏の中にも、

九界の人々(衆生)はあるのです。地獄界から菩薩界です。

たとえ学会の中や外に限らず、悪鬼魔民といえども、

共に戦いの人列に加わって味方となっていく。

この祈りが冒頭に書いた 「大法興隆所願成就」 のご本尊への祈りだったのです。

創価学会はどこまでも御書根本です。

その御書の仰せの通りの行動は全て初代、2代、3代の会長の間断なき

仏と魔との戦いの中で証明されました。

19歳の夏、池田名誉会長が初めて戸田会長と出会った日、

恩師戸田先生は庶民の輪の中に入って立正安国論の講義をしていました。

『私は、この世から一切の不幸と悲惨をなくしたい。

これを広宣流布という。どうだ、一緒にやるか!』 と若き池田先生に促されたのです。

それから10年目の夏、真正の弟子は世間が 「まさかが実現」 と

驚嘆する大勝利の金字塔を打ち立てたのです。

その時の関西の友は、組織の指示で動く

のではない。

私と一緒に広宣流布しようという、

自発的な共戦の一念が、

一人ひとりの原動力となっている。

だから強いのだ。

私と皆の間には、余計な介在物は何もない。

心に垣根がないのである。それが学会本来の姿である。

・・・・・随筆 新人間革命より

2010年6月17日

広布誓願の青年部幹部会

広布誓願の第五回全国青年部幹部会

創立80周年、現世において先生と共に戦える瞬間に間に合って良かったね。

 

 

幾山河 越えゆき 激戦勝ちにけり 創価の城は 今日も晴ればれ?

大切な また大切な 広宣の 同志の生命は 三世の仏か

断固たる 正義の指揮執る わが弟子が 晴れて勝ち抜き 歴史を残せや

6月4日の聖教新聞の冒頭に先生から三首の和歌が掲載されています。

広布誓願の第五回全国青年部幹部会。

仏法の眼から見た「時」について先生はお話をされています。

以前、先生は体調を崩された以外、本部幹部会を欠席された事はありませんでした。

ところが今回は、あえて「弟子よ!、いつまでも私に甘えるな!。

指導すべき事はもう既に何度も話しをしてきたではないか。

今度は私が居なくても弟子が私と同じ生命で歴史を残せ」との、

訓練の場所が創価国際友好会館になったのです。

先生はお元気です。

同じ館内の別室で会合の様子をモニターに見ながら、一つひとつ指示を出されながら、

伝言を何度も何度も送っておられました。

会合参加者を始め役員のメンバーは会合開始30分前まで、

先生が今日の本部幹部会に出席しない事は誰も知りませんでした。

だからこそ、先生が居なくても、

それ以上に大成功させてみせるとの決意を新たにした会合になったのです。

出席者は、今直接先生から訓練を受けている、との広布誓願の会合にしたのです。

初めに わが友よ「大山」「大桜」の如く 墨痕鮮やかな書が紹介されました。

脇書きが大事です。 先生がその思いに託されています。

「大山」 (たいざん)

「わが友よ 嵐に不動乃信心たれと祈りつつ」

「五十四年五月三日創大にて 式後 記す也」

「大桜」 (おおざくら)

「わが友乃功徳満開たれと祈りつつ」

「五十四年五月三日創大にて 合掌」

昭和54年5月3日、第三代会長辞任の本部総会、場所は創価大学の中央体育館。

その日、先生は学会本部に戻らず、その日の夜に神奈川文化会館へ。

(後に、学会本部にはもう私の席はなかったよ・・・と述懐)

神奈川文化で認めたのが 「共戦」

2日後の五月五日に 「正義」

?この時の模様の詳細は、「未来を開く君たちへpart3」に詳しく書いています。

そして時は80周年。今の時代は次の時代を創る分岐点に差し掛かっています。

?先生のメッセージを紹介します。

法華経の会座において、幾度も繰り返される弟子の誓願があります。

それは”私たち弟子は、師匠の仰せ通りに広宣流布を成し遂げます。

どうか、ご安心ください。心配なさらないでください”という誓願です。

この表現が今回の会合になったのです。

更に今、私も、戸田先生とまったく同じ心です。

君たちに万事を託していく総仕上げの「時」を迎えているからです。

師匠の薫陶に応えて、弟子が今一重の深い自覚をもって立ち上がる時に、

未来を開く新しい前進と勝利の息吹が生まれるのであります。

戸田先生の愛弟子として、私は行くところ向かうところ、

「立正安国」の勝利の旗を打ち立ててきました。

正法正義のために、師匠の分身として勇敢に激戦に飛び込んでいく弟子には、

仏と同じ智慧と力が必ずわき上がってくる。

これが妙法の絶対の功力であります。 

先生と呼吸を合わせる事が師弟不二です。

師匠とは仏の境涯です。

その師匠と弟子の心が一体になる時に仏と同じ力が発揮できるのです。

1・強盛なる祈りで勝て

2・異体同心の団結で勝て

3・勇気と執念の行動で勝て

と具体的にメッセージに託されました。

民主党政権はトップ2人の交代と新首相を発表しました。

マスコミは看板の挿げ替えと表現しましたが、仏法の眼から見たら、

第六天の魔王は自分の首を切ってまで参議院選挙に勝とうとしているのです。

敵は死に物狂いです。だからこそ仏の軍勢はそれ以上の力を出さなければならない。

真剣でないと勝てないのです。

自民・民主にも依らない第三の勢力がどこになるのかが焦点です。

ここに将来の分岐点の意味があります。

いずれにしても、「立正安国」の戦いは、

間断無き仏と魔との連続勝利の中にしかありません。

過去を振り返れば勝ち戦、そして未来を見れば宝の中に入っていく人生。

これが仏の境涯である事を確認する戦いを開始して下さい。

7月は幾重にも意義深き月です。その詳細は本日4日付けの新聞を熟読して下さい。

2010年6月4日

『21世紀まで後30年、大いなる希望』

3月度全国本部幹部会より

未来を拓く君たちへpart12

今より40年前の1970年、当時の少年少女部員に先生は詩を贈られました。

『21世紀まで後30年、大いなる希望』です。

その詩の内容が、後日少年部歌として全国に発表されました。

そしてその時の少年部・少女部の今は40代。壮年部世代です。

今月3月は全国壮年部幹部会として、子供達が「大いなる希望」を歌いました。

「お父さん頑張れ!」とのエールを送った本部幹部会です。

今、社会は乱世です。経済的な不況も当然としてこれから社会に出ようとする

新社会人まで、嵐の中に飛び込もうとする時代です。

現実社会で負けるな! 君には絶対勝利の信心があるではないか!

との先生の万感迫る激励の姿です。

3月号の大百蓮華に勝利の経典『御書』に学ぶ、如説修行抄の

最後の部分が載っています。大聖人御在世当時は鎌倉幕府です。

御書は立正安国論に始まり、立正安国論で終わるという位その内容で

大聖人のご一生は結論づけられています。

その立正安国論の内容は、幕府に対する「折伏」の書です。

当時の世相と経済を論じて、

その原因と解決はどこにあるのかを9問10答形式で書かれています。

冒頭から当時様子が綴られています。

それは飢饉と疫病による食糧不足や正嘉の大地震などで

牛や馬がいたるところで死骸化され、

それを片づける人々も無気力と挫折感に覆われている時代でした。

また人々も念仏思想である、この世を諦め

来世に極楽に行って仏なるという考えが広まっていました。

大聖人は、その思想そのものを喝破して、来世に仏になるのではなく、

法華経に説かれる仏とは、実は今を生きる人間の生命そのものの中にこそ、

仏性という尊極なる仏は存在するのだと。これを広めたのです。

ゆえに権力者とそれと結託する念仏者達から命に及ぶ迫害を受けたのです。

如説修行抄は、この法華経の通り人々を賢くし現実社会を変え行かんとする時には、

必ず大きな敵が現れるからそれを乗り越える信心を磨きに磨け!

我が門下は私(日蓮)と同じように、折伏と題目で汝自身の人間革命に挑戦せよ!

との大聖人の祈りなのです。

また他の御書にも、「この法華経が広まる瑞相には、大きな災い起るなり」とあります。

釈尊の予言書とも言うべき法華経には、そう記されています。

大きな災いとは何か。鎌倉時代での天災です。

また蒙古襲来等の世間を騒然とさせた時代背景は想像に難くありません。

また近代は第二次に及ぶ世界戦争です。その時に創価学会は誕生しました。

法華経の予言の通りです。そして今もまた乱世です。

ここ数年も世界各地で地域紛争は続いています。

今年もチリの大地震を始め世界全体が異常気象です。

それは自然界に留まらず人間界もリーマンショツクに始まった不況は、

日本においてはバブル崩壊時の不景気さえも大きいのです。

これは何を意味するのか。法華経では750年前の大聖人の時代。80年前の創価の誕生と。

釈尊の予言通り末法に入った今世紀は、人々の生命は「怒り・貪り・愚か」に支配され、

それが原因で騒乱や戦争が起ると記されています。

そしてその時代にはこの法華経で説かれる汝自身の生命を仏として開いて、

「怒り・貪り・愚か」に支配されている魔性の生命との間断なき戦いでなければ、

解決の道は無いとの断言です。

一人の人間の中に、仏の生命と魔性の生命と同時にあるのです。

人間界そのものが魔性に覆われた生命なのです。

それを仏性として戦う人が、切り開くのです。

何もしないと魔性の世界ですから自然に「怒り・貪り・愚か」の生命に

支配されてしまいます。

仏法では三類の強敵とも言い、第六天の魔王とも名づけています。

この第六天の魔王の究極の姿のひとつに政治権力者による

民衆・国民への迫害の形として現れます。これが戦争です。「怒り」としての姿です。

人間の生命の中に第六天の魔王が入るのか、

あるいは第六天の魔王が人間の姿になって行動を起こすのです。

いずれも、この世の中は第六天の魔王の支配する世の中には違いありません。

?この支配されたがゆえに、今の時代もまた乱世なのです。

法華経が世界192カ国地域に広がりました。

末法万年への序章です。その先駆けです。それは何を意味するのか。

如説修行とは師の如く、弟子もまた同じく魔性との戦いを開始せよとのご遺命です。

そして戦い抜いた生命は、仏の大境涯に入り未来永劫に幸福境涯の自分を創れるのです。

宿命を大きく使命へと転換できるのです。

今に生きる時も大きく幸福境涯に包まれ、

そして亡くなった後もまた自由に好きな時に好きな場所で、

そして好きな家族のもとに生まれるのです。これが生も歓喜、死も歓喜の生命です。

現在公開中の映画「インビクタス(負けざる者たち)」は、南アフリカ共和国初の

黒人大統領ネルソン・マンデラさんがラグビーを通じて

人種間の融和を図ろうとする物語です。

マンデラ元大統領は27年半に及び牢獄につながれていました。

その中で一冊の本と出合うのです。

それは池田先生が書かれた著書で自分と同じ境遇の人を知ったのです。

映画の中で登場する「・・・おお神よ」との詩は、先生の書かれたポエムの一節です。

自分自身の中に「神」を見たのです。

それは仏法で説く仏の生命を知ったのです。

ゆえに自分を牢獄につないだ白人を差別するどころか、逆に側に置きながら、

そして公務よりも白人のラクビーの選手の人の名前を覚える事で、

ひとりを激励することに最大の価値を見出したのです。

大統領就任以前の民間人として初めての来日の折、先生との会見が実現しました。

先生は当時のマンデラさんの事を良く知っていました。

最大に人間として尊重し讃えたのです。

その想いが大統領としての行動に繋がったのです。

先生の境涯がマンデラさんの心の中にある魂と共鳴したのです。

大聖人が最も生きる事に困難を極めて佐渡流罪中に、

「大いなる悦びあり」「人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき」と

歓喜の大境涯を宣言されています。

また「当世・日本第一の富める者」と言われています。

それは大難で戦う渦中です。赦免されて鎌倉に帰って来た時ではありません。

まさしく最大に戦っているその時にこそ、

苦難のその時にこそ本仏としての立場を、法華経の経文通りに現じたのです。

この乱世を変革するには、

透徹した信心に立った仏としての大境涯を開く意外にありません。

逆に乱世であるからこそ、自分自身を創れるのです。

では実際どう行動すればいいのか。

それは先生と同じ心で思想戦を展開するのです。現実には声を出さなければなりません。

言うべき時に、言わないと憶病者になるどころか逆に魔王の家来になってしまう。

どこまでいっても「一対一の対話」しかない。折伏です。

そして自分自身も題目を唱え抜いて「我こそ妙法の当体」に染めあげるのです。

この戦いを開始する意外、現実社会では勝てません。題目と折伏です。

先生と呼吸を合わせた戦いは先生の境涯に触れる事です。

だから自分が思ってもいなかった力が出せるのです。

仏としての境涯に触れるからです。

そしてそれは自分の限界への挑戦ではなく、限界からの出発なのです。

心のどこかにある自分が限界を決めてします。

ところが先生の境涯に触れる時、思いもよらない自分の生命が発揮できます。

今こそ先生の指導を学ぶ時です。そして戦うのは今です。

これは創価の三代の戦いが今に結実しているからです。

先生との創立80周年の戦いは、

100年後150年後の後世の人々は教科書として学ぶのです。

未来の御書として今の先生と弟子達の戦いが語り継がれます。

それは世界広宣流布が今、始まったからです。

そして先生と共に戦う自分もまた教科書に載るような戦いに挑戦して下さい。

2010年3月12日

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SGI(創価学会インターナショナル)発足35周年へ

S G I 発足35周年へ

未来を拓く君たちへpart6

本年2010年1月は、SGI発足35周年の佳節でもあります。

それは1975年(昭和50年)1月26日。

世界51か国・地域158人のメンバーが太平洋戦争の激戦地・グァム島に

集まって創価学会の世界平和会議が開かれました。

その席上、各国の創価学会の連合体である

SGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのです。

そして、 池田名誉会長(当時:会長)がSGI会長に就任し、

ここに「平和」「文化」「教育」の旗を掲げたSGIの記念すべき

第一歩が印されました。

それは第一宗門問題が発生する2年前(1973年、昭和52年)の事です。

世界広宣流布を指揮する法華経の行者は三類の強敵を呼び起こすという、

経文の通り、御書の通りの予言が的中します。

池田名誉会長は、第三代会長に就任した1960(昭和35)7月16日の大聖人が折伏の書、

「立正安国論」上呈のその日、日本でありながら、

いまだ米国の統治下に置かれた沖縄をパスポートを取得し、訪問。

初の沖縄支部結成を行いました。実は、これが実質的な世界広宣流布の始まりなのです。

そして10月、25日間の北・南米指導の旅に出ました。

翌61年1月には、インド、東南アジアへ。

そして秋にはヨーロッパ指導に赴き、62年1月には中近東にも行きました。

SGI発足の前年1974年、世界は東西冷戦の最中です。

中国とソビエト連邦との対立の中を、

中国を2回、同年にはソ連にも足を運び、

両国に「対話の橋」を掛けました。

そして翌1975年、SGI発足のその月、二ュヨークの国連本部で、

当時のワルトハイム事務総長と会談。

青年部の手による核廃絶の1千万人の署名を手渡しました。

そして、同月、首都ワシントンDCで、キッシンジャー国務長官と会見。

こうして、国連、及び米中ソの3カ国の首脳に世界平和と

軍縮を強く訴えていったのです。

この激闘の最中よって生まれたのがSGIでした。

世界平和会議の席上、池田SGI会長は、

「全世界に妙法という平和の種をまいて、その尊い一生を終わってください。

私もそうします」 と呼びかけました。

この池田SGI会長のスピーチに、万雷の拍手が鳴り響きました。

“全世界に妙法の種をまく”このSGI会長の誓いこそ、

仏法の人間主義を広げゆくSGIの原点となったのです。

不思議にも、今日2010年1月1日の聖教新聞の冒頭に、

「グァムの各界から、SGI会長夫妻に顕彰」が贈られることの記事が紹介されています。

平成22年1月1日

50年にわたる先生の戦い

50年にわたる先生の戦いに学べ。

未来を拓く君たちへ part 5

それは50年前の1960年(昭和35年) 5月3日、第三代会長誕生より本格的に世界広宣流布の指揮を執られた先生が、19年間の会長の職を辞した昭和54年の勇退の日。

その前後の真実を書きます。Part3で書いた、

随筆 新・人間革命79 法悟空 【嵐の「4・24」/断じて忘るな!学会精神を】

の当時の状況を説明します。

1977年(昭和52年)「仏教史観を語る」と題した池田会長の関西での講演を、日蓮正宗・宗門が一方的に問題視。

当時若手僧侶の集まりであった、正信会の悪侶どもが学会批判を昂然と開始。

更には週刊誌をも巻き込んで、昭和53年になると、連日、マスコミの売らんが為の記事のターゲットになり、電車の中吊り広告は全て、池田会長一人に対する誹謗中傷の嵐だったのです。

創価学会総体に対する批判というよりも、池田大作個人に向けた攻撃でした。

一人の人間として、日本一同に、こうも個人攻撃を出来るものか! との異常性は、会員に限らず、相当の違和感を覚えていました。

経文通りだとはいえ、民主国家の中で、その異常性は会員・非会員に限らず、少なからず社会の異常性を感じていました。

その裏には、当時創価学会の顧問弁護士であった山崎正友や当時教学部長の原島崇らが、学会と宗門との離間工作を画策し、

自らが宗門を牛耳りその権威を利用し学会を操ろうとしていたのです。

もともと宗門には、僧が上で信徒が下という僧侶の世界特有の歪んだ特権意識があり、そこに山崎等に付け入られるスキがあったのです。

山崎は、当時の日蓮正宗の法主日達に取り入るために、法主に近い若手僧侶を酒、金、遊びで取り込んでいき、このルートを使い「学会はまもなく独立する」「もう本山には登山しなくなる」等といったデマを流したのです。

それにより、宗門の反学会の若手僧侶(正信会)らの動きが、活発化していきました。

山崎は、心臓に持病を抱えていた日達に、有名な医者を紹介し最終的には、自分の事を「山崎先生」と呼ばせるまでに信用させたのです。

最初は問題が起こるたび、池田会長が日達と直接対話し、問題を解決していました。

山崎は「ある信者からの手紙」なる怪文書を作成。

「学会にとって宗門は邪魔であり、宗門を学会の外郭団体にする狙いがある」「このまま宗門は、学会に吸収されるか二つに一つだ」等の、デマを並べ、自分の息のかかった側近を使って日達に届けさせたのです。

それが、宗門の若手僧侶の集会(正信会)で読まれました。

この、怪文書の成功に味をしめた山崎は、その後も怪文書、謀略文書を乱発し、宗門を手玉にとっていったのです。

当時学会の顧問弁護士であった山崎は自分で、紛争の火種をまいておいて、思惑通り火が回ると見るや、今度はその火消し役を買って出るということをしていたのです。

これは マッチポンプと言って 「自分でマッチで火をつけておきながら、それを自分でポンプで消す」 というように、自分でわざわざ問題を作り出しておきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで、賞賛や利益を得るという偽善的な自作自演の手法です。

その山崎に踊らされ、「今こそ池田大作を亡き者にしよう」「そして、骨抜きとなった学会を宗門の手で支配しよう」と全宗門がこぞって、その牙を剥き出しにしたのです。

その様は小さな傷口に薄汚れた爪を突っ込んで、力まかせに引き裂くようなやり方でした。

坊主達のどす黒い本性が露呈したのです。

それでも池田会長は耐えられました。

こういった渦中の中の54年3月、福島(当時創価学会・副会長。後に退転)が九州の会合で宗門批判をしてしまったのです。

「猊下(法主のこと)に対し、誰もお慕いして近寄ろうとしない」

「猊下が通っても、どこのオジサンだ、という程度の感覚しかない」

「葬式に赤いスポーツカーで来る坊主がいる」

「カツラをかぶってスナックに出入りしている坊主がいる」

等々。大牟田発言である。

この発言がくすぶっていた宗門内の反学会僧侶等の動きに再度に火をつけたのです。

坊主は池田会長に対し、狂ったように責任を取れと騒ぎ立て、

宗門の態度は一気に硬化していったのです。

「池田が会長を辞めれば水に流してやる」と――。

これが、1979年、昭和54年4月24日の第三代会長勇退の記者会見です。

ところが会長勇退直後宗門は、「名誉会長という役職も要らない」と、強引にねじ込んできました。

その後、名誉会長就任拒否は引っ込めたものの、宗門問題は終息するどころか、むしろ「この時とばかり」と、会長勇退後も、その攻撃が始まりました。

全国の寺院で激しい学会批判がなされていったのです。

坊主が厳粛であるべき学会員の結婚式や、葬儀の場で、声を荒げ、池田名誉会長を誹謗中傷、罵(ののし)り狂ったように学会批判を繰り返す。

晴れがましい人生の門出を祝福すべき立場にありながら、また、遺族が悲しみのドン底に沈んでいる、永久(とわ)の別れの場を土足で踏みにじるような、坊主の非道ぶりに、心の底に一生消えない、深い傷をつけられた会員の方が、全国におられたのです。

マスコミが学会を中傷する記事を連日掲載。悪侶や脱会者等がそれら週刊誌を片手に学会を批判。

組織を切り崩そうとし、マスコミがまたそれをネタにする。

純真な学会員と池田名誉会長の師弟の絆を断ち切ろうとする行為が数年にわたってつづいたのです。

当時は折伏をして、お寺に御受戒(入信の儀式)に連れて行くと「お前は、日蓮正宗に入るのか、それとも創価学会に入るのか」と衣の権威を振りかざした坊主どもの陰険な会員いじめがありました。

会員が池田先生のことを語れば、いじめる。

池田先生はすばらしいと言えば、

まだそんな事を言っている会員がいると池田先生を批判する。

池田先生が会員を守ろうとすれば難癖をつける。

当時の学会メンバーは、手も足も縛られて、「池田先生に御迷惑がかかってはいけない」との思いで、みんな襟首を立てて身を縮めて、嵐が過ぎ去るのを待つしかなかったほど、魔は執拗に攻めてきました。折伏も一世帯も進みませんでした。

それこそ、ただじっと耐えて、励ましあうしかない状況が続いたのです。

この頃より、すでに宗門より指導してはいけないと言われていた池田先生は、

「どうしたら、会員の皆さんに喜んでもらえるだろうか?」と、考えに考えられて、ピアノを習い、時間を見つけては、家で奥様と夜遅くまで練習し一生懸命にピアノに向かって、どこへ行ってもよくピアノを弾かれたそうです。

魂の音率

 

 

 

 

 

 

 

「私の指は、太くて短いので、ピアノを弾くには向いていないんだ。

しかし、会員の皆さんに、少しでも喜んで頂ければ、と思って練習しているんだ。

私は、プロの様に上手(うま)くは弾けない。

しかし、私には会員の皆さんを思う真心があるんだ」と…。

 

 

「このピアノの音色は忘れるな。精一杯の私の激励だよ」と…。

池田先生は、指導もスピーチも何もかも制約され、

それを傍観する学会最高幹部等のいる中で、会員の方一人一人の心の中に、師弟の絆を結ぶための激励として弾かれていたのです。

?昭和54年(1979年)4月24日に先生が第三代会長を勇退。

「七つの鐘」は暗雲の中で鳴り終えた。

先生は指導することを阻まれ、邪宗門に乗っ取られた学会本部と

聖教紙面からも姿を消したのです。

☆☆☆反転・攻勢の戦いを開始☆☆☆

この状況に風穴を開けたのが、昭和56年(1981年)から2年続いた「青年の年」だった。

全国各地で青年部による文化祭が行われた。

あの頃はほぼ毎月、どこかで文化祭があったように記憶している。

まさに絢爛(けんらん)たる大文化祭運動であったといってよい。

悪侶どもが何を言おうと、師を求める青年のを抑えることはできなかった。

殆どの文化祭に先生は出席して下さった。

今、50代60代となっている方々の大半が、この時の文化祭によって育った。

そして、昭和63年(1988年)に、学会は新たな潮流へと向かう。

それまで行われていた本部幹部会や全国男子部幹部会を、学会本部で行うようになった。

勇退以来、先生が再び本格的な指揮を執って下さることになったのである。

それまで分散していた力を再び結集し、本部直結の流れが敷かれた。

この年は「青年世紀の年第一年」と命名された。

日顕による第二次宗門問題が勃発するのは平成2年(1990年)12月27日。今思えば、絶妙なるタイミングを計って、創価ルネサンスの布石を打たれていたことに気づく。

そして電話回線による同時中継が行われるようになり、

遂に衛星中継で先生の勇姿を直接、拝見することができるようになった。

また、長らく中断されていた小説『人間革命』第11巻の連載が再び開始されるなど、激動に次ぐ激動の時期であった。(一部転載)

平成21年12月31日