さあ出発しよう! 悪戦苦闘を突き抜けて、決められた決勝点は取り消すことは出来ないのだ。

私が22歳の時です。今も、語り継がれる「第一回信越男子部幹部会/立川文化会館にて」

さあ出発しよう。悪戦苦闘を乗り越えて、決められた決勝点は取り消すことは出来ないのだ。

このホイットマンの一節を通して、全男子部の会員は生涯の指針にしたに違いない。

それは会長勇退の1年前の昭和53年2月19日であった。

当時の先生は仏法3千年の歴史の中で、ここまでも先生個人に対する妬み・迫害を衣の宗門からの受け、それが会員に罷り取られることに心が張り切れる思いであった。全学会員を退転させてはならない。との先生の激闘に次ぐ激闘の連続であった。

近い将来を見越して、騙された学会員が退転してはならない。断じて宗門の魔性の虜になってはならない。

正しくこの迫害の法理は法華経の予言通りではないか。学会が正しい証拠ではないか。開目抄の一節「誠の時を忘れてはならない」と。

またこの昭和53年の1年で、先生は全国の同志に県歌・方面歌を30曲も作った激励の年でした。私の指揮が足腰が奪われても、この歌を歌って共に励まし、共々に生きて生きて生き抜いてくれと。