本日、沖縄総県代表者会にあたり、先生からのメッセージを紹介します。
連日、広宣流布の大闘争、誠に誠に、御苦労様です。
音楽隊、創価かりゆし太鼓の皆さんも、本当にありがとう! 沖縄は皆、本当によく頑張ってくれています。
一番苦労を重ねながら、毅然と地涌の大使命を果たしておられる、懐かしき、宿縁深き、一人一人の活躍はよくわかっております。
我らが沖縄は、立正安国と人間革命の勝利の電源地です。
我らが沖縄は、世界最初の広布のモデル地帯であります。
この舞台で戦い勝つことが、どれほどの福運であり、名誉であるか。
種種御振舞御書の一節を、あらためて胸に刻みたい。
「末法の始に一閻浮堤にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝れ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をじては閻魔王のせめをばいかんがすべき」と。
どうかこれからも、広布の朝を開く、さきがけの誉れ高き皆様方が、思いっきり力を発揮しながら、強く朗らかに、広々と希望と友情と勝利の連帯を広げていってください。
一生涯、私と一緒に、異体同心の大団結で、すべての模範となって、広布と人生の万事を成就していってください。
一人も残らず幸福王者になっていただきたい。
大事な大事な沖縄家族の栄光と勝利を祈り、題目を送っております。
各地域の宝の同志に、呉々もよろしくお伝えください。
風邪をひかないように! 疲れをためないように!
偉大な沖縄、万歳! 尊き永遠の大勝利者の皆様、万歳!
2013年2月24日 池田大作
参照
種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ) 「末法の始に一閻浮堤にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝れ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をじては閻魔王のせめをばいかんがすべき」
御書通解
“末法の初め”とは釈尊滅後、約2.000年を経過した時です。仏法の歴史観の時代の時を指します。
大聖人の誕生した西暦1200年代から1万年から100万年という長い時代のスパンを”末法の時代”と言います。
今、21世紀(西暦2000年代)も仏法の時間軸は末法の時。わずか800年を経過しているに過ぎません。
末法の時間軸は100万年と捉えますので、まさしく”末法の始め”に当たるのです。
この末法に入った時代に日蓮大聖人は誕生されました。(西暦1222年2月16日)。この時代に、大聖人は広宣流布という人類を幸福にする哲学と宗教を世界の民衆に広めゆく使命を自覚されたのです。
一閻浮堤(いちえんぶだい)とは仏法用語で全世界という意味です。さきがけとして日蓮仏法の世界広宣流布の戦いを開始されたのです。
その時にあたり、私と私の弟子たちよ、2陣、3陣続いて、永遠の広宣流布の戦いの陣列に馳せ参ぜよと、指揮を執ったのです。
その際、釈尊が仏法を広めた弟子の一人達である迦葉尊者 (釈尊入滅後、経典の第一回結集が行われた。
これを主宰したのが迦葉である。
経典結集の目的は、釈尊の教えを正しく後世に伝えることにあった。
迦葉によって招集された弟子・阿羅漢 (僧侶) の数は、経典に五百人と記されている)
また、阿難尊者 (阿難は生まれながらに容姿端正で、顔は澄んだ満月の如く、眼は青蓮華の如く、その身は光浄にして明鏡の如くであったという。
釈尊の入滅までの二十年間、常随給仕し、身に影の添うように仕え、釈尊の教えを聞くことができた。(この故に多聞第一と称される)
天台大師 (中国に西暦538年に誕生し、釈尊の説いた仏法の中でも肝要の法華経を理論的に展開した僧侶。中国天台宗の開祖である。)
伝教大師最長 (日本に西暦767年に誕生。中国に渡り、天台の法華経の受け継ぎ、日本に天台仏教を広めた。共に法華経を広めた功労者である)
これらの釈尊の時代から戦った代表的な弟子たちや、この法華経を日本にまで広めてくれた天台・伝教大師という勇者よりも、我が弟子たちよ、大きく成長せよ!との大聖人の叫びです。
更には、広宣流布の戦いを起こした事により、「わづかな小島のぬし」。
地球という世界から見たら、日本というのは本当に、小さな小島です。
ちっぽけな小島の主である、当時の国家権力であった「北条家一門」の迫害に、恫喝と脅しに臆病になって信仰を捨ててしまったのでは、いつの日か、閻魔王(えんまおう)が罰を下すよという意味です。
閻魔大王が法廷の裁判官となり、その前で生前のその人の生命の一切の善や悪の業因・業果の決済を下すというのです。
それは決して死後の事ではありません。生きているその瞬間、瞬間に、生命の因は良きにつけ、悪しきにつけその人の生命に刻みこまれるのです。
その仏法の生命の理法がいかに峻厳な事なのか。それを知るべきであるとの大聖人の戒めです。