今日も正義の戦いを・・・沖縄勝利を記念して

一番、大変な時に、一番、大事な所で、

一番、勇敢に戦い、一番、偉大な実証を示すのが、

地涌の菩薩の先頭に立つ上行菩薩の力用です。

この地球上で最初の広宣流布、

そして立正安国のモデル地域を創りゆくために。

 

正義とはなにか

「日本があって、世界がある」のではない。

「世界があって、日本がある」のです。

世界全体を平和にする為に、働いて、働いて、尽くして、尽くしぬいて、

そうしてこそ、初めて日本が、日本人が、世界から尊敬される。

そのとき、初めて日本が本当に「平和」になれるのです。

大事なのは、「共生」「一緒に生きていく」という発想です。

それは、「苦しんでいる人の側に立って考える」ことです。

「堂々と正義を主張できる人」に成長した分だけ、平和は来る。

平和は、だれかから「与えられるもの」ではない。

平和は、自分たちで「創る」ものです。「創造する」ものです。

それを忘れて油断すると、すぐに危なくなってしまうものなのです。

 

 

 

 

 

 

ところが、今の沖縄の現状は、

どうなのか・・・

今日も那覇の上空は米軍のF-15C戦闘機が

金属音を立てて飛び立っています。

沖縄は基地の島です。在日米軍の7割は沖縄です。

そのうち世界で最も強いとされる在沖海兵隊は18.000人。

本島36か所に配属されています。

兵士達は、一般人と同様、個人的な悩みを抱えています。

本国から何千キロも離れた沖縄に来て、ホームシックにもかかるし、

あるいは、退役したあとの夢と希望もあるのです。

そして海兵隊員も、日本人と同じように、

沖縄は、「心温かい人」「南国の楽園」だと思っています。そして、

「南の島で暮らせて給料までもらえる。言う事なしだ」という海兵隊員もいます。

またある米軍パイロットは言っていました。

「本来、軍は戦争の抑止力にも、遂行手段にもなる。

この両刃の剣の使い方を最終的に決めるのは、最高司令官の米国大統領だ。

しかし、俺達はやりたくないことをやる訓練を受けている。

大統領が、それを正しく使う事を願っているよ」 と。

まさしく、やりたくない事をやる実践訓練の日課と、休日になると外のバーに繰り出して

南の島を満喫するという、ジレンマとを抱えながら、

兵士も一個の人間として、矛盾と悩んでいます。

この現実に対して、沖縄県民は、不公平な負担を強いられていると感じるがゆえに、

地元メディアは基地外での米軍兵士による不祥事を

「偏見的で中傷的で、かつおおげさ」と思わせる取り上げ方をしています。

冷戦当時は、米軍の存在が地域の力に均等をもたらし、

平和主義の日本に対する攻撃を抑止しました。

しかし、今では、東アジアの安全保障は日米双方にとっても困難なものになっています。

北朝鮮は、核保有を宣言し、急速な経済成長を遂げる中国は、台湾独立に

武力も辞さない構えでいます。

ここに米軍駐留のジレンマがあるとされています。

「台湾・中国・朝鮮半島」は沖縄の米軍基地から、射程距離になるがゆえに、

沖縄の基地は『太平洋の要石』と言われています。

戦争になると、「人間が人間でなくなる」。

地元沖縄が攻撃されると思ってしまうのです。

戦争が終わって、まだ65年。戦争を経験した人達が生きています。

それを忘れた頃に、歴史は、戦争を繰り返しました。

戦争中は、戦争に参加する事が「正義」とされた。あれから65年。

今の沖縄は、基地が必要だとして、それが「正義」とされています。

ここに人間の愚かさがあります。

正義を壊すものは、人を殺す。盗む。嘘をつく。

嫉妬やおとしいれ、利己主義、破壊・・・といった事です。

つまり、自分だけ、自分たちだけを守っていこうというものです。

「自分さえよければ、人はどうなってもかまわない」・・・それは原爆と同じ思想です。

核抑止論や武力均等論と同じ悪魔の発想です。それは前述した通り、

国においても、そうだし、一個の民間人や兵士においてもそうです。

この現実に対して、永遠不変の正義とは何か。

それを追求しなければならない。

だからこそ、「何が正義なのか」というしっかりとした価値観が必要です。

正義の要件は、あくまでも、人のため。人類のため。幸福のため。

平和という規範がなくてはならない。

大事な事は、君が

自分が悪魔のほうにつくか、正義のほうにつくか。

どちらの生き方をするか、進むのかです。

だから、毎日、私と我が同志は平和のための「行動」をしているのです。

「戦争の歴史から、平和の歴史へ」の行動です。その結論は、

宇宙とともに永遠である「妙法」という生命の法則にのっとって生きる事です。

「生命の尊厳」 を実現していく戦いです。ここに最高にして、永遠の正義がある。

だから、勝たねばならない。しかし、正義は必ず勝つとは限らない。

過去の歴史は正義が敗れた時代が多かった。悪に敗れてしまう正義であるゆえに、

人類は不幸が続いているのです。悲劇です。

その歴史の大転換の戦いを、今、開始しているのです。

一個の人間には「仏性」という最高の生命が内在しています。

この思想を広めることを「広宣流布」というのです。

大統領をはじめ、時の最高権力者に限らず、全ての人類には「仏性」がある。

750年前に日蓮大聖人が、時の最高権力者、北条時頼に折伏の書で諫めたように、

また50年前に沖縄から世界広宣流布が開始されたように、

対話の声が仏縁を結び広げます。

今日2010年9月12日もまた、沖縄勝利の日を迎えようとしています。

君もまた、

人間生命に巣くう「怒り・愚か・貪り」との戦いです。

それの対極にあるのが、仏性です。

仏の生命はあらゆる困難も悠々と乗り越えていける。

そして、願った通りの、思いのままの人生と、

功徳爛慢の境涯を創りだすのです。一生涯、

仏法を勉強し、そしてその戦いの中で生き抜くのです。

その中とは、苦悩の民衆の中です。

その民衆を仏の大境涯に、高める事が広宣流布の姿です。

朝の祈りから出発する、毎日の学会活動です。

その祈りは、仕事も、活動も、全てにわたって具体的でなければ、なりません。

凱旋将軍は、老いても尚、戦いのスピードは緩めるどころが、逆に加速させます。

未来記には、また、何十倍もの戦いの沃野が広がっていく事を知っているからです。

仏の偉大な境涯は、見宝塔品で説かれた、地湧の菩薩の境涯さえも、

下にしか見られないほど、偉大な力を持って、戦う人材群です。

実は若き君たちこそ、過去世において、その凱旋将軍の親であった人が、

強い絆に結ばれて、その眷属たちとして、生まれてきたのです。

凱旋将軍の親にあたる君たちです。 

「親の成仏・即、子の成仏」。父子一体の成仏が仏法です。

先生が「大楠公の歌」に見た心は、

父は死するが、君(子供)が仇を討てとの父子一体の生き方を教えています。

沖縄勝利の日を記念して・・・  2010年9月12日

追記 文久八年(1271)九月十二日のこの日は、日蓮大聖人が時の幕府により、

鎌倉・竜の口で、処刑されようとした日です。法華経の予言通りの難の故に、

大聖人ご自身が、ご本仏としての境涯を現わされます。

その大聖人に連なる創価の陣列は、この日を勝利の結果で、勝ち鬨をあげました。