6・23 沖縄慰霊の日

沖縄 (琉球) の精神的文化の特徴

 

沖縄研修道場

・「命どぅ宝」=沖縄口(くち)で、”人の生命は宝物” 
(生命そのものは他の一切の財産や名誉よりも優れたもの。あるいは健康で頑健な身体や、逆に五体に不満足。または不治の病いが有ったとしても、生きている生命それ自体が無上の宝物の意)

・「チムグルさん」=沖縄口(くち)で、”心が苦しいの意” (他者の苦しみの心を鏡に映った自分の姿のように自分自身がその苦しみとして感じてしまうこと。これは琉球人の持つ特性であり、同苦という表現よりも、”親が子を思う” “赤子が母親を慕う感情” に同一する心)

この二つの琉球に伝わる文化の心は、人間がもともと持っている「人間が人間としての高い精神性」として現代社会では、”仏法生命哲学” として、広く認知されるようになった。
特に海外では192カ国・地域へと、その生命哲学は宣揚され、国によっては学校教育の教科書として、また池田哲学研究所として研究が進んでいる。

なかんずく仏法の最第一の思想とされる法華経で説く「仏性(ぶっしょう)」の働きを具現化し、現代文明においての日常生活の実践論そのものが “生命哲学の根幹” となっている。

6月23日は沖縄慰霊の日。70年前のこの時を組織的地上戦が終わった日として、「沖縄の終戦の日」とも定めている。

今年、3月22日には、沖縄青年部2万名が集結。そのメンバーの一人、沖縄の華陽会の友の作詞・作曲でもあり、大会のテーマ曲「ONE」の題名に込められた思いは「小説・人間革命」に流れる主旋律と共鳴するものだった。

それは「生命尊厳の思想」を確認すると同時に、それを世界に発信するには、「一人」が勇気を起こし、目の前の「一人」のために心を尽くすことから始まる。そして、その行動の連鎖が、やがて人々の心を「一つ」につなげていく。

また、この慰霊の日の前の20日・21日には、青年部主催の「青年平和主張大会」を開催。
開催場所となったのは、終戦後、米国が中国本土へ向け「核ミサイル発射基地」と化していた跡地を「世界平和発信の地」として180度転換した沖縄研修道場(恩納村)であった。その場所で、恒久平和への誓いを題した劇、エイサーに込められた民衆歓喜の舞を披露した。

法華経で説く「三変土田 (さんぺんどでん) の原理」は、世代を超えて、繰り返し繰り返し連続してその地を、その国土を、そこに住む一人ひとりの胸中に生命尊厳の思想を固め征く戦いに他ならない。

“戦争の宿命” を “恒久平和への使命の歴史” へと転換する作業こそ、私の、そして青年(きみ)たちのこの世の使命であってくれ給え。

私の今年の目標は100人の友に、祈って・動いて・書いて・話して、生涯、心に崩れざる「平和の砦」を構築すること。
それは “生命尊厳の生命哲学” を語ること。”池田哲学” を語ることだ。

語った分だけ友の心に”妙法”の種は植えられる。いつの日か縁に触れ、その”妙法の種”は必ず開花するのは断じて間違いない。

また “門法下種” (この妙法の哲学・生命哲学を語り聞かせること) も、”発心下種” (この哲学に共鳴し、聞いた友が発心し決意し、この法を共々に伝え広げていのこと) もその功徳は一緒だよ。開花する機根は聞いた相手にあるからだ。

我が友よ、なにも難しく考えることはない。「そうだ! そうだ! そのとおりだ! 」と言えるだけでも素晴らしい戦いではないか。共々に境涯を拓き人類の心に “仏法生命哲学” を語っていこう!!!
それは、まず身近な一人の友に「仏性」の種をまいて征くことから始まることを忘れまい。

 

希望の光

アメリカ創価大学 (SUA) で第11回卒業式

2015年5月22日午後/現地時間
アメリカ創価大学第11回卒業式

卒業生代表の自作の詩

きょう 我々は世界に

106人の卒業生を輩出するのではない

106通りの変革の物語を 世に問うのだ

我々の胸中にSUAがある限り

その日はそう遠くにない

どこへ行こうとも 世界の果てまで

その地をSUAのごとく 創ってゆける日は

 

SUA (Soka University of America) 建学の精神

1、生命ルネサンスの哲学者たれ
2、平和連帯の世界市民たれ
3、地球文明のパイオニアたれ

 

 

ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman)

民衆詩人 / ウォルト・ホイットマンウォルター・ホイットマン (Walter Whitman)

・さあ、出発しよう!悪戦苦闘を突き抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ

詩集「草の葉」より。

ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman)

1819年5月31日 – 1892年3月26日
アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ、

職業は詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。

ウォルト・ホイットマンの作品の特徴は、
厳格なイギリス文化の構造を否定し、
良心における自由な精神を訴え、
アメリカの詩文化に永久的な変化を吹き込んだ。

代表作は「草の葉」

詩集「草の葉」より。

・何よりもまず偉大な「人物」を産み出すこと、あとのことはそれで確実。

・改革が必要であればあるだけ、それを成就するための「人格」が必要になる。今日すぐに始めたまえ、勇気、実在、自尊、明確、高貴を目ざして君自身を鍛えることを、君自身の「人格」を固め広めるまでは休んではならぬ。

・わたしにも、誰にも、あなたに代わって道を歩くことはできない。自分の道は自分で行くほかないのだ。

 ・君が教訓を学んだ相手は君を賞賛し、親切をほどこし、味方になってくれた人々だけだったのか?君を排斥し、論争した人々からも大切な教訓を学ばなかったのか?

・私の決心は少しも揺るがない。私は自分の詩の仕事を自分自身の方法で、最後まで力の限り続けていこう。

・最善のことを言うよりももっと善いことは、つねに最善のことを言わずにおくことである。

・情熱、それなくして人と呼べようか

・自分自身であることに、人間の偉大なる誇りがある

 ・何になるにもからだが肝心、健康でなくしてどうして宇宙とひとつになれよう。

 ・寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。

・人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。

 ・若い女は美しい。しかし、老いた女はもっと美しい。

 ・これから私は幸福を求めない。私自身が幸福だ

 ・もしも詩人が、すぐれた模範を世間に披露し、その一歩一歩が自己の証となるのでなければ、彼は無用の長物だ。

 ・まず自分自身のあいだから、その最良の見本を提供することが必要である。そして一人でも二人でもそういう見本を提供することによって、集団全体が千年も輝くものとなるのだ。

 ・世界中の誰もが自分を称賛しても、私は一人静かに満足して座っている。世界中の誰もが私を見捨てても、私は一人静かに座っている。

 ・演奏を聴いて思い出したと感じている音楽はすべて、あなたの内側から呼び覚まされているのだ。

・同志よ、これは本ではない。これに触れるものは、人間に触れるのだから。

 ・毎日出かけていく子供がいた、最初に目にしたもの、驚き、哀れみ、愛、あるいは恐れと共に受け入れたものそのものに、彼はなった。それはその日一日、あるいはその日のる時間、あるいは何年も、あるいは年の経めぐるずっと長い間、彼自身の一部になった。

 ・報われぬ愛はなし。これか、あれか、方法は違うが、報いられるのは確かである。

 ・あらゆる過去は後に取り残すのだ。わたしたちは一層新しい、一層力に満ちた世界へ、変化した世界の上に進出するのだ。

 ・永遠にめぐりくる春よ、三つの宝をあなたは忘れずに届けてくれる。年ごとに蘇えるライラックの花と、西空に沈むあの星と、そして愛する人の想い出を。

・おお、強敵を相手に苦闘し、不屈の敵に立ち向かい、何びとの助力も借りずにその敵と四つに組んで、おのれの性根を試してみたい。

・人に何かを与えるとき、私は自分自身をささげる。

諸天を揺 (ゆ)り動かせ!

池田SGI会長
池田SGI会長

 

4月度の座談会の拝読御書 日限女造立釈迦仏供養事(にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと)

池田名誉会長は、『諸天を揺  (ゆ) り動かせ』と題された最後の部分で

「強い祈りが教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を動かし、諸天善神(しょてんぜんじん)を存分(ぞんぶん)に働かせていくのである。猛然(もうぜん)と祈り動けば、必ず、多くの人々が諸天善神となって見方と変わる。これが、大仏法の原則だ」

「断じて勝つ!」との誓願(せいがん)の祈りと行動を貫(つらぬ)き、栄光の「5.3」を勝利で荘厳(そうごん)していこうではありませんか。と、訴えておられます。この日眼女造立釈迦仏供養事は、弘安三年2月に四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙ですが、同じ年の年末に、同じ日眼女に与えられたお手紙を通しての先生の指導がありました。

座談会が、中止のところも多いかと思い、その代わりでもないですが、紹介させていただきます。

=====記=====

(昭和62年12月12日 於;創価文化会館 東京・豊島、台東、墨田、目黒合同総会 最後の部分)

【温かな春の慈愛で友を包め】

一、最後に話はかわるが

♪ もういくつねると お正月 お正月には 凧(たこ)あげて……はやく来い来い お正月――。

これは楽しい正月を、指折り数えて待つ少年の心を、滝廉太郎・作曲のメロディに乗せて歌った、懐かしい童謡である。

この歌は、副学生部長である本部第一庶務の中野富美雄君が好きな歌である(爆笑)。

 

次元はまったく異なるが、弘安三年(1280年)「師走」の十二月、御年五十九歳の日蓮大聖人が、

「正月の街と遠しさ」をつづられた御抄がある。

それは、四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙で、その中で大聖人は次のように仰せられている。

<本文>

「歳(とし)もかたぶき候・又処(ところ)は山の中・風はげしく庵室(あんしつ)はかご(籠)の目の如(ごと)、うちしく物は草の葉・着たる物は・かみ(紙)ぎぬ(衣)身のひ(冷)ゆる事は石の如し、食物は冰(こおり)の如くに候へば此の小袖給(こそでたび)候て頓(やが)て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の雞足山(けいそくせん)にこもりて慈尊(じそん)の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさ(久)しかるらん」(御書P1195)

<通解>

「今年も暮れとなり、押し詰まってきました(このお手紙は十二月十六日)。ここ身延は、山の中で風がはげしく、しかも庵室はすき間だらけなので、まるでカゴの目のように、風が吹きぬけていくのです。下に敷いているのは草の葉、着ているものは紙の衣、体は冷え切って石のようです。食べ物は氷のように冷たい」

戸田先生は、この御文を拝されるたびに、厳冬の身延の大聖人の御生活をしのばれて、いつも涙しておられた。

「ですから、あなた(日眼女)からいただいたこの小袖(こそで)を、すぐにも身につけ体をあたためようと思ったのですが、あなたのお手紙には、〝これは明年の一日(元旦)に着てください″(笑い)と書いてありました。

この小袖を着られる元旦が本当に待ち遠しい。それはたとえば、迦葉尊者(かしょうそんじゃ=釈尊の十大弟子の一人)が、雞足山(けいそくせん)という山に入って、弥勒(みろく)菩薩の出現を、五十六億七千万歳もの間ずっと待たれたのも、今の私と同じように待ち遠しかったのではないか、と思われるほどです」と。

一、このお手紙は日眼女が「白小袖(しろこそで)一枚」と「綿(わた)」を御供養したことに対して、大聖人が御礼を述べられたものである。

小袖とは、もともと肌着(下着)のことであったが、鎌倉時代のころから、次第に表着(おもてぎ)としても着用されるようになった。いわゆる「きもの(和服)」のルーツとなったものである。

四条金吾夫人の日眼女は、女性らしい心づかいから、大聖人に正月(元朝)の晴れ着として、真新しい、そして純白な小袖を着ていただきたいと思ったのであろう、そのままの気持ちを添(そ)え書きして差し上げた。

いささか皮肉な見方をすれば、添え書きに〝ひとこと多かった″(爆笑)のかもしれない。

婦人部の皆さま方も、ひとことでなくして、ふたこと、みこと多い場合があるかもしれない(大爆笑)。

厳寒の中におられる大聖人には、正月といわず、即座に身につけて温まっていただければよかったのである。

しかし、大聖人は、一枚の小袖に託(たく)して、新年をお祝いしようとする日眼女の精いっぱいの真心を、あますところなくくみ取っておられる。

〝あなたのいわれる通り、がまんして大切に取っておきますよ″〝新しい小袖が着られるお正月が楽しみですよ″と感謝の思いを込めて「心」の琴線(きんせん)に触(ふ)れる語りかけをされておられる。

 短い御文ではあるが、身延山中の厳寒が痛いほど身に迫ってくる。とともに、いかなる寒風も消すことのできない暖炉(だんろ)の火のような「心のぬくもり」が伝わってくる。

 大聖人が門下一人一人との「心」の触れ合いを、どれほど大切にしておられたか―――数々の大難にも負けなかった大聖人一門の強さの源泉が、ここにもあったとうかがえるのである。

一、大聖人の仏法は、厳冬に向かう富士のごとく峻厳(しゅんげん)である。とともに、春のような温かな「慈愛」と「人間性」に満ちみちた世界である。

それは冷たい権威に支配されたものではない。難解な論理だけに貫かれた世界でもない。また、要領や策で成長できる世界でもない。

どうか、広布のリーダーである幹部の皆さま方は、「透徹(とうてつ)した信心」と。「温かき春の心」の光を放ったお一人お一人であっていただきたいと申し上げ、本日のスピーチとしたい。

Toshiyuki Morisawa さんの投稿を転載

入会記念勤行会

桜

 

栄光勝利の門出を祝福して

入会おめでとう!!!

今日は、あなたが主役です。

あなた自身の悩みへの挑戦に今日は皆がエールを送ってくれました。

次は、あなたの周りの友の為に悩める自分になるでしょうね。

それは、あなた自身の悩みが小さく感じる。

より大きな悩みや課題に挑戦する自分になっている。

これを境涯が広くなったね。と言います。

信心は心で感じて、心で耐えて、そして心で勝っていくのです。

心は見えない。

しかし信心の勝利の心は結果となって必ず、現実生活に現れます。

その為の御本尊です。

御本尊はあなたの心の鏡です。

信ずる力。祈る力が強ければ、そのままの姿で、まるで自分の心の鏡のままに功徳の結果が現れます。

苦難をバネとする信心の心は、自分自身の心を鍛えます。

日々の学会活動は自身の人間革命と境涯革命の姿となって、永遠に幸福勝利の人生の軌道に入っていけるのです。

そして、この信心は水の流れるような純粋で持続の信仰が大切です。

過去を振り返れば、勝ち戦です。

また、未来を見れば、宝の中に入っていくような人生です。

これがこの世に生まれてきた、最大の幸福です。

これを仏の大境涯といいます。

共々に戦いましょう!

そして勝ちましょう!

2015年3月31日の入会記念勤行会より

 

若獅子よ勝ちまくれ

若獅子よ勝ちまくれ

私が、19歳で日大法学部 (夜間) に在籍していた頃です。

飛翔会結成に先立つ1年前 (1974年・昭和49年) から2部学生部(夜間に学ぶ大学生)は普賢塾として、私は外松 登さん (当時、学生部全国主任部長) を中心に「佐渡御書」を毎月の教材として学び、毎日、折伏弘教と1万遍唱題の戦いの中、下半期には私の部は全国2位の折伏42世帯を達成しました。”過去を振り返れば勝ち戦” の黄金の思い出です。

当時、外松さんの仕事は人間革命の第7代編集長。学会では2部学生部の全国委員長。1年間訓練を受けさせて頂きました。当時結成された「飛翔会」の模様を先生は、小説・新人間革命23巻  勇気の章で綴ってくださいました。

飛翔会が結成されたのは、1975年(昭和50年)の8月26日、 東京・江戸川区公会堂で行われた、 第一回 「 二部学生主張大会 」 の席上です。当時の全国学生部長、原田稔さん (第6代会長)  は田原薫の名で紹介されています。私は役員でした。

今、男子部愛唱歌「原野に挑む」(作詞・外松 登) から「若獅子を勝ちまくれ」の歴史は、父子一体の共戦の歴史を勝ち飾れと、感動が迫ってきます。

“父子一体” とは “師弟一体” の事です。師匠と弟子が一体となって初めて、弟子は師匠以上の力を出せるのです。「従藍而青」の心を、師は「出藍の誉れ」の思いで未来を託しているのです。

http://youtu.be/p_PmrSUwZDs

原曲は「原野に挑む (男子部愛唱歌)  作詞・外松  登さん (当時・全国学生部主任部長・初代飛翔会委員長」です。

小説・新人間革命第23巻・勇気の章より

学生部長の田原薫は、山本伸一のメッセージを声高らかに読み上げていった。
「人生の勝利というものは、決して学歴や知識量で決定するものではない、と私は思う。むしろ、いかなる困難にあっても、自分のいだいた目標を貫徹するという強い意志力と忍耐力こそ、勝利の母であり、革命児として最も重要な資質であると考える。
諸君が、仕事、学問、学会活動と、時間のないなか精いっぱい戦い抜いていることを、私はよく知っております。しかし、そのこと自体、諸君の人生の盤石な基盤の構築に通ずることを、決して忘れないでいただきたい。そして、誰人にも勝る強き意志と忍耐の力を養っていただきたいのであります。
諸君の人生の勝利は、そのまま広宣流布の実証である。どうか、大御本尊に題目を唱え抜き、自ら選んだ苦難の道を、堂々と切り開いていってください。諸君の成長を楽しみにしております。お元気で!」
会場を揺るがすかのような拍手が響いた。
田原は、もう一度、メッセージを読むと、メガネの奥の目を輝かせながら言った。
「皆さん、大変におめでとうございます!
先生の、二部学生に寄せる、この限りない期待を、その厳父の慈愛を、深く、深く、生命に刻んでいただきたい。
皆さんこそが、学会の先駆である学生部のなかでも、さらに、その先駆であり、中核中の中核であります。
どうか、その尊い使命を、片時も、また、生涯、絶対に忘れないでいただきたい!」
田原は、理知的なタイプの青年リーダーである。その田原が火を吐くがごとき叫びを放ったのだ。この真剣な訴えに、二部学生は、伸一の心をあらためて知った思いがした。
理屈では、人は奮い立たない。人の心を揺さぶり、魂を目覚めさせるものは、懸命な魂の訴えであり、行動である。

沖縄健児の歌

沖縄研修道場 施設案内

⚪️ 創価学会沖縄研修道場は、かつての米軍「核ミサイルメースB基地」跡地に建設(1977年)
その敷地内に取り壊されずに残っていた“ミサイル発射台”は1984年に池田名誉会長の提案で、6体のブロンズ像が建つ「世界平和の碑」へと生まれ変わった。

⚪️ 人間革命常設展示室

「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない・・・」この書き出しで始まる小説「人間革命」は池田名誉会長の行動の原点として、昭和39年­12月2日、沖縄の地で執筆が開始された。その魂魄を留める「人間革命常設展示室」は­半世紀にわたる思想闘争の歴史「人間革命12巻」「新人間革命28巻」は今なお連続闘­争の日々を伝えている。

⚪️  沖縄池田平和記念館附属展示室

中国に向けられていたミサイル発射台の跡に設置された「沖縄池田平和懸念館附属展示室」は、発射台内部の形状を残している。これまで「世界不戦への軌跡」「核兵器廃絶をめざして」などの企画を展示。現在は、「『戦争の基地』から『平和の要塞』へ」

⚪️  世界平和の碑

「沖縄は、平和を考える原点の場所として、ひめゆりの塔もある。健児の塔もある。それとは別の意味で、日本はもちろん世界の平和を考える原点の場所としよう」こうして永遠平和の要塞「世界平和の碑」は誕生した。

⚪️  米軍の核ミサイルメースB基地

中国ににらみをきかせた有翼核ミサイルの巨大要塞メースB基地は、1960年代当時、沖縄の恩納村、読谷村、勝連町、金武町にそろぞれ配備されていた。

「世界平和の碑」が建設される前(1969年)のメースB基地の様子は発射台のコンクリートの厚さは約1.5メートルもあり、普通の建物の2倍の太さの鉄筋が使用され、いかにも核要塞らしい頑丈な構造になっていた。

 

交通のご案内
●お車で
那覇から高速道路・沖縄自動車道利用(石川I.C下車)で約60分。
石川I.Cを出て右折し、国道58号線に合流後、名護市向け直進。
リザンシーパークホテル(進行方向左手)通過後すぐの信号で右折、約400M直進左手。
●路線バスで
「那覇バスターミナル」から20番名護西線、
名護バスターミナル行「谷茶の丘」で下車(所用約95分)、徒歩5分

所在地〒904-0412 沖縄県国頭郡恩納村谷茶1172

未来部歌誕生の地・岡山

高等部歌「正義の走者」の歌詞が完成したのは、1978年7月23日の岡山であった。

★「未来部歌」誕生・・・倉敷総県婦人部書記長の仲前日加里さんは、その完成の瞬間に立ち会った一人。当時高校3年生だった。
「できたよ!これでいいかい」。名誉会長が白い紙を手に岡山南文化会館 (当時、岡山文化会館) の屋上に現れ、高等部の担当者に言った。
“白い紙”は、できたばかりの「正義の走者」の歌詞だった。時刻は夕方。屋上には金魚すくいなど、屋台のコーナーが設けられていた。友の真心に応え、名誉会長夫妻も浴衣を着て、居合わせた草創の同志らを励まし、役員に声を掛けていく。
「未来会だね」
やがて椅子に座ると、名誉会長は厳粛な口調で語り始めた。「僕は何百万回というほど、人に会ってきた。何百万回も診た医者は、一目見れば、患者がどんな状態か分かるでしょう。僕も同じだよ。約束を守る人かどうか、すぐに分かるんだ」「生涯、約束を破ってはいけない。僕はじっと見ているよ」
厳愛の指導だった。既に宗門問題が各地で火を噴き、広布の未来に暗い影を落としていた。名誉会長は、未来部員をあえて「大人」として遇し、どんな嵐にも折れない大樹と育つための“根っこ”をつくりたかたったに違いない。
懇談が終わり、屋上から降りていく未来会の友。名誉会長が大きな声で言った。
「また会おう!次の学会を頼むよ。お母さんによろしく」
「正義の走者」は、名誉会長の加筆を経て「未来部歌」として歌い継がれている。

(転載)

四条金吾殿御返事・法華経兵法事

広宣流布大聖堂 日蓮大聖人・御書全集

四条金吾殿御返事 (別名・法華経兵法事/ほけきょうへいほうじ)弘安二年十月・五十八歳御作

(現代語訳)

さきごろ強敵と争いあったことについてお手紙をいただき、くわしく拝見しました。
 それにしても、以前から、あなたは敵人にねらわれていたでしょう。しかし、普段からの用心といい、また勇気といい、また法華経への信心が強盛な故に、無事に存命されたことは、このうえなくめでたいことである。
 いったい、福運がなくなってしまえば、兵法も役に立たなくなり、また果報が尽きてしまえば、家来も従わなくなるのである。結局、福運と果報が残っていたからである。
 ことに法華経の行者に対しては、諸天善神が守護すると、法華経属累品第二十二で誓いをたてている。一切の守護神・諸天善神の中でもわれわれの眼に、はっきりとその姿が見えて守護するのは日天と月天である。それ故どうしてこの諸天善神の守護を信じないでいられようか。
 とくに、日天の前には摩利支天がいる。主君の日天が法華経の行者を守護するのに、家来の摩利支天尊が法華経の行者を見捨てることがあるだろうか。法華経序品第一の時に「名月天子・普光天子・宝光天子・四大天王有り、其の眷属万の天子と倶なり」とあるように、諸天善神は、皆列座した。摩利支天は、そこに列座した三万天子の中に入っているはずである。もしその三万天子の中にいなければ地獄に堕ちているであろう。
 結局、この度あなたが強敵からのがれられたのは、この摩利支天の守護によるものではなかろうか。摩利支天はあなたに剣形の大事を与え、守護したのである。この日蓮は、一切の諸天善神の守るべき首題の五字をあなたに授ける。法華経受持の者を守護することは断じて疑いない。摩利支天自身も法華経を持って一切衆生をたすけるのである。剣形兵法の呪文である「兵闘に臨む者は皆陣列して前に在り」の文も結局、法華経より出たものである。法華経法師功徳品第十九に、「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」とあるのはこの意である。

(解釈)

本抄は、別名を「法華経兵法事」あるいは「剣形書」といわれ、兵法と法華経の信心との関係について指導された御書である。
 もとより、ここでいわれている“兵法”とは、剣をとっての戦いの法であるが、原理はなにもそうした武力による戦いに限るのではない。
人間として、この社会に生きていくうえにおいて、経済、思想、文化の各面にわたって、不正の横暴に対して戦わなければならない場合がある。また、新しい価値創造のための努力も広い意味では“戦い”である。
 “兵法“とは、そうしたそれぞれの分野における戦い、努力の具体的方法である。その戦い、努力をいかに効果あらわしめるかは、方法論をこえた視野を必要とする
そこに、究極的には、自己の生命の開拓(人間革命) が必要となってくるのであり、それを可能にしたのが法華経なのである。
この意味において、本抄に示されている指導は、武士としての四条金吾に限定されるものではなく、時代・環境の違いを越えて、現代においても、更にあらゆる人間にとって重要性をもっていると考えるべきであろう。

前前(さきざき) の用心(ようじん) といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に
 いつ、どのような事態に直面するとも知れないのが人生である。そうした思いがけない事故にぶつかったとき、無事に乗り越えるかどうかは、まさに、この文にあげられている三つの要因を、ふまえているかどうかにかかっているといっても過言ではあるまい。
 その一つは、普段からの用心である。つねに心を配って、事故を未然に防ぐことが肝要である。それでもなおかつ防ぎえないことはある。だが、そうした普段の用心がなされた上であれば、起こったとしても、小さくできるし、賢明に対処できるのである。
 もう一つは「けなげ」つまり勇気である。これは、事故が起こってしまった場合の、こちらの心の姿勢である。
「けなげ」とは避けられないのに避けようとしたり、逃げようとするのではなく、真っ向から取り組んで、解決しようとすることである。それが結局、災厄を最小にする方法であり、この姿勢を全うした場合には、かえって災いを福と転ずることもできるのである。
 そして、これらの根底にあって大事なのが “法華経の信心” であると大聖人は教えられているのである。「前前の用心」において大切な働きをするのは、知恵である。
「けなげ」の原動力となるのは、生命の力である。この生命力と知恵を豊かにし充実させる源泉が法華経の信心すなわち南無妙法蓮華経の御本尊への強い祈りにある。

運きはまりぬれば兵法もいらず・果報つきぬれば所従もしたがはず
 百の努力をしても、八十の結果しか出ない場合もあれば、百の努力が百の結果を出す場合もある。あるいは、百の努力がマイナス二十の結果になってしまうこともある。個人の生命においても、調子のよい時と悪い時とがあり、さらに、人間一人一人の間に、調子よく人生を歩める人と、なにをやってもうまくいかない人とがある。
それは、人間の理解の範囲を越えたものであり、それを古来、人間は “運” 或は “運命”と名づけてきた。
 この“運命”は、いったい何によって作られ決定されているのかという点について、キリスト教では、神の意志、思召しによるとし、中国では“天命”によるとし、仏教では、その人自身の過去の行為の善悪の集積によるとする等々。
この違いがあるが、“運”というものを考える点では、東西共通のものがあるといってよい。
 それはともあれ、もし、運がもはや尽きてしまえば、兵法すなわち、いかに努力を尽くしても、期待したような結果は得られない、というのである。この場合の“運”とは、この人を幸福に導いていく方の “福運” であることはいうまでもない。
 また、果報とは、過去の行ないが因となって生ずる果であり、その善悪によってあらわれる報いである。これも、この場合は、善の方のそれをいわれていることは、もとよりである。もし、果報が尽きてしまえば家来もつき従ってこなくなる、との仰せである。この所従とは、封建社会に武士として生きる四条金吾の場合は、家来ということであるが、ひろくいえば、自分の周囲にあって守ってくれる働きをする人々をいうと考えてよい。
 したがって“兵法”が、もしその人自身の知恵、努力であるのに対し“所従”はその人をとりまく周囲の人々である。もし運がきわまり、果報が尽きれば、いわゆる正報 (自分自身の生命の働きや力)・依報 (自分を取り巻く周りの環境や人々) ともに、自分を守ってくれる働きではなくなり、すべてがカラ回りし、自分は孤立化し、破れていくのである。
 この“運”を強くし“果報”を豊かにしていく源泉が「法華経の信心」である。ということは“福運”といい“果報”といっても、どこで誰かによって作られ、与えられるものではなく、自分の努力によって、これを築いていくのである。ここに、人間の主体性を確かなものとする仏法の、他のいかなる宗教にも見られない日蓮仏法の特質があるといえよう。

一切の守護神・諸天の中にも我等が眼に見へて守護し給うは日月天なり争か信をとらざるべき
 本来、諸天善神といい悪鬼神といい、人間の環境世界のもっているさまざまな力 (エネルギー) について立てられた概念である。たとえば、太陽の力が生命をはぐくみ、この世界を明るく照らし出し、熱を与えてくれる善なる働きを日天としたと考えられる。しかし、その同じ太陽の光と熱が、あまりにも強ければ、視力を奪ったり、渇きのために生命を奪ったりする。こうした生命を奪う働きを鬼神とするのである。
 このようにして、原始時代の人々は、自然界の事象のあらゆる働きについて、神あるいは鬼という概念を立てた。そして、それらのあらゆるものは、人間が文明を形成し、社会生活を営むようになるにつれ、権力者や権力機構の働きと結びつくようになり、ある帝王が太陽神の代弁者のようにみなされたこともあった。こうして、かつては、あらゆる神が具体的なイメージをもっていたのに、時代がくだるにつれて、抽象的になり、漠然としていったのである。そのなかにあって、太陽の力を象徴する日天・月の力を象徴する月天は、その元の実在が明瞭であり、このことを「我等が眼に見えて守護し給う」といわれているのである。
 ともあれ、諸天善神というものは、決して人間が妄想によって生みだされたものではなく、現実の人間を豊かにし、生命を与えている種々の力をいう。そして、その自然的環境、社会的、文化的環境のもっている力は、主体ある人間生命の反映にほかならないとの達観から、これらの力を善なる方向へ強め、悪の面の表れるのを抑制していくのが、仏法の思想である。
現代で言えば、この正しい法を広めようとする広宣流布運動、即学会活動こそ、その生き方にあたる。

彼の天は剣形を貴辺にあたへ此へ下りぬ、此の日蓮は首題の五字を汝にさづく
 摩利支天は“陽炎”と釈されているように、太陽の強い光にあたって起こす“かげろう”と関係がある。この摩利支天が古来、武士の守護神として崇められたというのは、相手にして戦う場合、太陽を背にして相手の目を眩ませるのが有利であったこととつながりがあるようである。
 そして摩利支天が武士の守護神ということから「剣形を貴辺にあたへ」といわれたのであろう。“剣形”とは、剣を扱う術、剣の技術である。それに対し、日蓮大聖人は仏法の極理、法華経の肝心である“首題の五字(妙法蓮華経)”を四条金吾に与えられた。この“首題の五字”を受持している故に、法華経の持者を守護する摩利支天の加護があったのだと仰せである。
 このことは、信心と生活上の知恵・努力、仕事の上の技術との関係を見事に教示されているのである。信心が根底にあって、生活や仕事や技術は生かされる。
この場合は、自分の生命が奪われるか否かという非常の場面であったが故に、御本尊への信心と剣術という直接的な関係であられたわけである。
しかし、一般的な意味での仕事上の知恵、努力と信心という場合においては、信心はその人の人間的魅力、目的観、責任感などの人格としてあらわれ、更には、その人の心の境涯が偉大なるものとして確立されることによって、その人格は生活上では知恵は豊かになり、努力は大きい実を結ぶのである。
 別の観点から言えば、信心さえあれば、生活上の種々の工夫や努力は自然に与えられるという考え方ではない。
あえていうならば、四条金吾のこの場合  “剣形” を与えたのは “摩利支天” の働き(エネルギー)であって、仕事上での技術や知恵を与えてくれるのは、先輩であり、生活の知恵や工夫を与えてくれるのも、親であり先輩であり、社会である。ゆえに、これらから謙虚に学ぶことが大切である。ただ、そうして得たものをいかに自分が使っていけるかどうか。またその先輩や社会から学んだ事が正しいのかどうかの判断も、実は自分自身の生命の傾向性に影響される。
悲しいかな三毒の生命 (貪りの心・怒りの心・愚痴の心) の強い人は、自ずから、それと似た傾向の人々と縁し、自分の知らないうちに自分自身が、ますます三毒が強くなってしまう。
創価の哲学を知ると知らないとに関わらず、人間は何もしないと今の資本主義国家・弱肉強食の社会・また日本の歴史から世襲した国の仕組みとしての官僚主義になっている以上、代々に渡り三毒の強情の生命の基盤が個人にも、社会の仕組みに厳然と存在するといって良い。
であるがゆえに人間社会は自然に不幸の原因に縁し続け、その生命体は増長し続けてします。
しかし、我が創価のリーダーは決して、そういう生き方であっては断じて成らない!!!
如蓮花在水 (にょれんげざいすい) の原理の如く、蓮の華という清らかな生命は、五濁の悪世という泥沼の中にこそ、その輝きが燦然と輝くのだ。
三毒の強い世間であるが故に、それをバネに飛躍台として、自分自身を鍛える事が出来るのではないか。それに負けない生命力こそ、日々、学会活動しよう!・勤行という祈りに御本尊との対話をしよう!・まず自分の身近な一人に、この信仰の生き方を語ろう!
この戦いを決意し、行動する人こそ、「妙とは蘇生の義なり、蘇(よみがえる) 義なり」との大聖人の結論を証明する人になってくれたまえ。最後に、
結論から言うと、信心とは、創価の三代の師弟の信心である。
これを根本とする生き方と努力の中に、自分自身の生命が磨かれ、善の生き方と善の選択を自然に可能に成らしめる事が出来ると、大聖人は仰せである。
これが人間革命であり、宿命から使命への転換の姿でる。ともあれ、不幸の原因の業の薄い皮が一枚一枚はがれる落ちるように、三代の創価の師弟を勉強して、その挑戦と努力の人は、大功徳の結果として現れるのは早いよ。

 

写真・碑文の意味

大聖人の信心とは、創価の三代の師弟の信心なり。

それは三代の師弟が法華経の通りのあらゆる法難を乗り越えたことにより証明された。私と私の眷属は、従藍而青の師匠の心を、万代にわたり広宣流布・人間革命に挑戦することを誓う! 三代師弟の歴史こそ、末法万年尽未来際までの原点として。

(引用元・一部解釈を変更しています )
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1430839.html