未来を拓く君たちへpart 15

関西池田講堂

のご本尊の脇書きには

「大法興隆所願成就」 (だいほうこうりゅうしょがんじょうじゅ) と認められています。

私たちが朝晩唱えるご本尊の相形には、十界の衆生が列座しています。

菩薩界や仏界だけではなく地獄界まで含めた全ての衆生が

一服の曼荼羅(まんだら)に収まっています。その姿の意味するものは何か・・・

簡単に訳すると、人間の生命の姿そのものであり、

社会の織りなすあらゆる事情や現象、

あるいは地球を含めた宇宙空間の全ての生命のリズムです。

それを現実的な解釈は、ご本尊の主題である「南無妙法蓮華経」に照らされ、

「日蓮」という法華経の行者に心を合せそして行動し、

本来の自分自身の姿として生き生きと、勇躍歓喜していく。

結論はご本尊の姿そのものが、広宣流布の一つの理想であり、勝利の実像です。

唱題で声を出す「南無妙法蓮華経」の音律は

我が仏の生命を湧き出でよとの力強い叫びです。

そして御書には何度もなんども「日蓮と等しく」「日蓮が如く」とのお手紙は、

師匠に心を合せ、共に戦おうとの師弟共戦の行動を開始せよとの激励です。

初代牧口会長は正義を叫び抜いたがゆえに、狂った国家権力に弾圧され、

冷たく狭い獄中で73歳の生涯を閉じられた。

生きて牢を出た戸田第二代会長は固く誓った

「日本はこの正義の大偉人を殺した! 私は必ず仇を討つ!

一歩も退かず、大折伏をして、牧口先生の仇を討っていくのだ」

御書に「第六天の魔王・十軍のいくさを・おこして・

法華経の行者と生死海 (しょうじかい) の海中にして同居穢土 (どうこえど) を・

うられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあたりて大兵を・おこして二十余年なり、

日蓮一度もしりぞく心なし」 P1224

第六天の魔王とは、民衆を隷属化し、手段化しようとする権力の魔性です。

現実社会の中で、魔の軍勢が勝つのか、仏の軍勢が勝つのか。

その間断なき峻厳な戦いを広宣流布というのです。

この第六天の魔王は基本、一個の人間の生命に入ります。

国家権力を握った人間の生命に入ったり、

またはその子分達にも第六天の魔王は姿を変えて入ります。

そして大きな集合体や組織を作ります。

これらの人々が国家権力を握った時に過去に戦争は起りました。

人間が人間でなくなる時です。

この方程式は人間という生命の中に地獄界がある以上、

生命体そのものの実像なのです。

過去、現在、未来と、仏と魔との戦いは永遠に続くのです。

ところが人間生命は戦うたびに堅固の度を増すのです。

ダイヤモンドの如く輝き続けるのです。これを三世に渡る功徳樹とも福運とも言う。

鍛え抜かれた生命体は、現在だけではないのです。

来世もまた、大きな福運に包まれて自由自在な勇躍歓喜な行動となって現れます。

過去を振り返れば勝ち戦、そして未来を見れば宝の山に入っていくような人生。

これが仏です。仏界の生命の行動としての姿です。

魔軍があるから戦えるのです。現実社会でも困難な時ほど自分を強くしてくれる。

最大のピンチの時にこそ、最大の力が出る。この原理と一緒です。

それが一個の生命レベルで論じると、なかなか理解できない。

ご本尊の中心の「南無妙法蓮華経」は仏の生命です。

そして「日蓮」とは別しては師匠であり仏の軍勢を率いる大将軍です。

また行動する生命そのものの表現です。

創価学会という組織もまた、人々の集まりです。人間生命の集合である以上、

学会の中にも魔軍は存在するのです。役職上のトップにも第六天の魔王は入る。

十界互具の原理から言えば、創価学会仏という仏の中にも、

九界の人々(衆生)はあるのです。地獄界から菩薩界です。

たとえ学会の中や外に限らず、悪鬼魔民といえども、

共に戦いの人列に加わって味方となっていく。

この祈りが冒頭に書いた 「大法興隆所願成就」 のご本尊への祈りだったのです。

創価学会はどこまでも御書根本です。

その御書の仰せの通りの行動は全て初代、2代、3代の会長の間断なき

仏と魔との戦いの中で証明されました。

19歳の夏、池田名誉会長が初めて戸田会長と出会った日、

恩師戸田先生は庶民の輪の中に入って立正安国論の講義をしていました。

『私は、この世から一切の不幸と悲惨をなくしたい。

これを広宣流布という。どうだ、一緒にやるか!』 と若き池田先生に促されたのです。

それから10年目の夏、真正の弟子は世間が 「まさかが実現」 と

驚嘆する大勝利の金字塔を打ち立てたのです。

その時の関西の友は、組織の指示で動く

のではない。

私と一緒に広宣流布しようという、

自発的な共戦の一念が、

一人ひとりの原動力となっている。

だから強いのだ。

私と皆の間には、余計な介在物は何もない。

心に垣根がないのである。それが学会本来の姿である。

・・・・・随筆 新人間革命より

2010年6月17日