諸天を揺 (ゆ)り動かせ!

4月度の座談会の拝読御書 日限女造立釈迦仏供養事(にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと)

池田名誉会長は、『諸天を揺  (ゆ) り動かせ』と題された最後の部分で

「強い祈りが教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を動かし、諸天善神(しょてんぜんじん)を存分(ぞんぶん)に働かせていくのである。猛然(もうぜん)と祈り動けば、必ず、多くの人々が諸天善神となって見方と変わる。これが、大仏法の原則だ」

「断じて勝つ!」との誓願(せいがん)の祈りと行動を貫(つらぬ)き、栄光の「5.3」を勝利で荘厳(そうごん)していこうではありませんか。と、訴えておられます。この日眼女造立釈迦仏供養事は、弘安三年2月に四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙ですが、同じ年の年末に、同じ日眼女に与えられたお手紙を通しての先生の指導がありました。

座談会が、中止のところも多いかと思い、その代わりでもないですが、紹介させていただきます。

=====記=====

(昭和62年12月12日 於;創価文化会館 東京・豊島、台東、墨田、目黒合同総会 最後の部分)

【温かな春の慈愛で友を包め】

一、最後に話はかわるが

♪ もういくつねると お正月 お正月には 凧(たこ)あげて……はやく来い来い お正月――。

これは楽しい正月を、指折り数えて待つ少年の心を、滝廉太郎・作曲のメロディに乗せて歌った、懐かしい童謡である。

この歌は、副学生部長である本部第一庶務の中野富美雄君が好きな歌である(爆笑)。

次元はまったく異なるが、弘安三年(1280年)「師走」の十二月、御年五十九歳の日蓮大聖人が、

「正月の街と遠しさ」をつづられた御抄がある。

それは、四条金吾の妻・日眼女(にちげんにょ)に送られたお手紙で、その中で大聖人は次のように仰せられている。

<本文>

「歳(とし)もかたぶき候・又処(ところ)は山の中・風はげしく庵室(あんしつ)はかご(籠)の目の如(ごと)、うちしく物は草の葉・着たる物は・かみ(紙)ぎぬ(衣)身のひ(冷)ゆる事は石の如し、食物は冰(こおり)の如くに候へば此の小袖給(こそでたび)候て頓(やが)て身をあたたまらんと・をもへども・明年の一日と・かかれて候へば迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の雞足山(けいそくせん)にこもりて慈尊(じそん)の出世・五十六億七千万歳をまたるるも・かくや・ひさ(久)しかるらん」(御書P1195)

<通解>

「今年も暮れとなり、押し詰まってきました(このお手紙は十二月十六日)。ここ身延は、山の中で風がはげしく、しかも庵室はすき間だらけなので、まるでカゴの目のように、風が吹きぬけていくのです。下に敷いているのは草の葉、着ているものは紙の衣、体は冷え切って石のようです。食べ物は氷のように冷たい」

戸田先生は、この御文を拝されるたびに、厳冬の身延の大聖人の御生活をしのばれて、いつも涙しておられた。

「ですから、あなた(日眼女)からいただいたこの小袖(こそで)を、すぐにも身につけ体をあたためようと思ったのですが、あなたのお手紙には、〝これは明年の一日(元旦)に着てください″(笑い)と書いてありました。

この小袖を着られる元旦が本当に待ち遠しい。それはたとえば、迦葉尊者(かしょうそんじゃ=釈尊の十大弟子の一人)が、雞足山(けいそくせん)という山に入って、弥勒(みろく)菩薩の出現を、五十六億七千万歳もの間ずっと待たれたのも、今の私と同じように待ち遠しかったのではないか、と思われるほどです」と。

一、このお手紙は日眼女が「白小袖(しろこそで)一枚」と「綿(わた)」を御供養したことに対して、大聖人が御礼を述べられたものである。

小袖とは、もともと肌着(下着)のことであったが、鎌倉時代のころから、次第に表着(おもてぎ)としても着用されるようになった。いわゆる「きもの(和服)」のルーツとなったものである。

四条金吾夫人の日眼女は、女性らしい心づかいから、大聖人に正月(元朝)の晴れ着として、真新しい、そして純白な小袖を着ていただきたいと思ったのであろう、そのままの気持ちを添(そ)え書きして差し上げた。

いささか皮肉な見方をすれば、添え書きに〝ひとこと多かった″(爆笑)のかもしれない。

婦人部の皆さま方も、ひとことでなくして、ふたこと、みこと多い場合があるかもしれない(大爆笑)。

厳寒の中におられる大聖人には、正月といわず、即座に身につけて温まっていただければよかったのである。

しかし、大聖人は、一枚の小袖に託(たく)して、新年をお祝いしようとする日眼女の精いっぱいの真心を、あますところなくくみ取っておられる。

〝あなたのいわれる通り、がまんして大切に取っておきますよ″〝新しい小袖が着られるお正月が楽しみですよ″と感謝の思いを込めて「心」の琴線(きんせん)に触(ふ)れる語りかけをされておられる。

 短い御文ではあるが、身延山中の厳寒が痛いほど身に迫ってくる。とともに、いかなる寒風も消すことのできない暖炉(だんろ)の火のような「心のぬくもり」が伝わってくる。

 大聖人が門下一人一人との「心」の触れ合いを、どれほど大切にしておられたか―――数々の大難にも負けなかった大聖人一門の強さの源泉が、ここにもあったとうかがえるのである。

一、大聖人の仏法は、厳冬に向かう富士のごとく峻厳(しゅんげん)である。とともに、春のような温かな「慈愛」と「人間性」に満ちみちた世界である。

それは冷たい権威に支配されたものではない。難解な論理だけに貫かれた世界でもない。また、要領や策で成長できる世界でもない。

どうか、広布のリーダーである幹部の皆さま方は、「透徹(とうてつ)した信心」と。「温かき春の心」の光を放ったお一人お一人であっていただきたいと申し上げ、本日のスピーチとしたい。

Toshiyuki Morisawa さんの投稿を転載