新時代の主役に語る

若き君へ

未来は青年のものです。青年で決まります。

だから私は青年に期待し、一個の人格として最大の敬意を払って接してきました。

「早く生(お)い立て」と願い、毎日、妻と共に祈り抜いています。 (略)

大聖人は、満20歳の南条時光(なんじょうときみつ)に、こう呼びかけられました。

「願わくば我が弟子等・大願ををこせ」と。

訳・・・ねがわくば、私 (日蓮) の門下弟子達よ、大きな願い、誓いの信仰を興せ!との意。

「大願とは法華弘通 (ほっけぐつう) なり」。師匠と弟子が共々に、地球上に、この妙法を広めるという大願。私 (師匠)との誓いの人生の中にこそ、実は君達 (門下・弟子) の人生の全ての願いが叶うんだよとの、大聖人の激励の御書の一文。

熱原の法難(あつはらのほうなん)という、入信・間もない農民信徒たちが迫害された

大難の渦中、大聖人が信頼し、奮闘に期待を寄せられたのは勇敢な青年でした。

私の恩師・戸田城聖先生も、よく「南条時光ほ見習っていけ」と言われました。

時光は今で言えば、”学会2世” です。

亡くなった父の信仰を受け継ぎ、16歳で自ら駿河国 (するがのくに)・現在の

静岡県中央部 から、身延 (みのぶ)現在の山梨県の一部 ?の大聖人のもとへ馳せ参じます。

自発求道 (じはつきゅうどう) の青年でした。心に誓いが燃えていました。

可愛い弟の不慮の死去に際しても、悲しみの母を支えました。

自身の大病も厳然と乗り越え、仏法への確信を深めていきます。

そして、日興上人と共に地域の中心的存在として、一生涯、戦い抜きました。

私が時光を偉いと思うのは、彼は少年時代の誓いを、大人になっても忘れなかった。

そして、迫害に立ち向かい、矢面に立って、同志を守り、師匠をお守り抜いたことです。

逆説的な言い方になるかもしれないが、若き日の誓いを、

生涯、忘れなかったからこそ、信念の「大人」になったとも言える。

ここに大聖人が示された「大願」に生き抜く人生の強さがあり、深さがあります。

大きな願いを立てるということは、それだけ大きな人生が開けるということです。

広宣流布 (こうせんるふ) は、人類を幸福にし、

世界を永遠に平和にしていこうとする、究極の大願なのです。

「大人になる」とは (上)

池田大作