私の子供たちへ

黄金の花

この歌の詩文が仏法の心だよ。この歌の心がわかるのが信心だよ。

” 仏” は自分が相手の苦しみを瞬時に感じる感情を「同苦する」という。

沖縄の人の心には「胸が痛い」という感情がある。

仏法で説く「同苦する」と全く一緒の心情だよ。

それは、「人を憐れむ」とか「人を差別する」などの感情そのもの自体が無いんだよ。

朗らかに仏法を語れ 3


折伏は信用が残る

戸田先生は「折伏に方法などない。

ただひたぶるに、

御本尊を拝む以外にない」

と言われていた。

折伏は「相手を幸せにしたい」との祈りから始めることだ。

その真心が伝わらないわけがない。

心を打つのは心だ。心を動かすのも心だ。

真実を真心込めて語るからこそ、「信用」が残る。

青年の一番の宝は「信用」だ。

折伏すればするほど、自他共 (じたとも) に、仏性 (ぶっしょう)が強くなり、

永遠に崩れない生命の宝が積みあがるのだ。

朗らかに仏法を語れ 2

 

♥できなくても朗らかに

一人の人を折伏することが、

どれほど大変なことか。

妙法は「難信難解 (なんしんなんげ)」

ある通りである。

だからこそ、これ以上に尊い、偉大な行動はない。

私も、なかなか、できなくて苦労した。

でも、同志と「今、一人の人が入会せずとも、

幾百千万の人々が、我らを待っている」と励ましあいながら、悠々と対話を進めてきた。

折伏は、できても、できなくても朗らかにやりなさい。

皆に最高の希望と勇気を贈る対話なのだから。

そもそも、人を救おうとして悩むなんて、すごいことではないか。

それ自体、地涌 (じゆ) の菩薩 (ぼさつ) の悩みであり、仏の悩みである。

御本尊を持 (たも) たせることは、その人の家に大聖人をご案内することにも等しい。