オリンピックの幕が開いた。
栄光と挫折。歓喜と悲哀。
4年に1度しか巡り来ない舞台だからこそ、鮮烈なドラマが胸に焼き付けられる。
五輪といえば、いつも思い出す。
バルセロナ大会の陸上男子400メートル準決勝。
英国のレドモンド選手は優勝候補の一角だったが、レースの途中、足の故障でうずくまってしまう。
しかし、壊れた足を引きずり、ゴールを目指し始めた。
すると、警備員を振り切って、スタンドから一人の男性が駆け寄ってきた。
彼の父親だった。
一緒に見てきた金メダルの夢は破れた。それでも必死に走る息子を、一人にできなかった。
肩を貸す父。その胸に泣き崩れながら、ゴールへ歩くレドモンド選手。
地鳴りのような拍手が競技場を包んだ。
ほんのわずかな差、時の運で、スポーツの勝者と敗者は残酷なまでに分かれる。
勝った者が一番努力したとは限らないし、努力した者が必ず勝つわけでもない。
人生もまた同じかもしれない。
しかし、本当の人間としての勝敗を決めるのは、そこからどんな結論を導き出すかだ。
だから、「努力してもしなくても同じ」なのか、
「向上したいと努力すること、そこに人間の証がある」と考えるのか。
答えは、17日間の熱い戦いの中に詰まっている。
7月29日 聖教新聞 「名字の言」より