断じて忘るな!学会精神を
長い目で見れば、学会はまだ80年です。
「宗門が750年という歴史と比較して、
いつのまにか、学会も宗門とそんなには、変わらなくなるよ」
と、先生はあの嵐の渦中、言われました。
君の時代にこそ、先生が夢に見た、
『理想の創価師弟の学会』を創るのです。
具体的には学会の組織で言えば、
民間人より創価学会副会長が誕生する事です。
今の宗教法人創価学会から、職員として給与を貰うのではなく、
自分自身が信心の結実として、
財力も教学力も、そして最第一の折伏力も、
そして活動量も、全てに優れた人材を求めています。
また、議員として戦うのであれば、
学会の組織力に頼らず、
自らの力で集票能力と、大聖人が立正安国論で指向された、
「民を親とすべし」との政治観。また、
人間革命に挑戦する人格と権力の魔性に負けない人間性です。
創価学会の支持する公明党に所属するしないは関係ないのです。
世界にはこのような大境涯の人材群が、
地湧の菩薩としての誕生を待っています。
アメリカ創価大学は世界五大陸から、
人類の幸福を願う英才が参集します。
それは池田哲学を知り、それを探求し求めているからです。
将来は自らが、世界の地域のリーダーとして戻り、
人類の幸福のために活躍する人材に成長する、
使命を自覚しています。もちろん学生の宗教は自由です。
学会員でなければならないという狭い境涯ではありません。
全ての宗教は対話によって、
人類の幸福に貢献できるという哲学です。
その根本は、”生命尊厳” の哲学です。
これが池田哲学であり、
アメリカ創価大学の建学の精神なのです。
先生は、よく言われました。
「出でよ10万の池田大作。出でよ10万の戸田城聖」と。
師弟共戦の中にこそ、過去、現在、未来という三世にわたる
永遠勝利の幸福境涯が作れるのです。
現世だけ諸願 (しょがん) の達成や幸福感だけでなく、
その人の生命は来世もまた同じ幸福境涯で生まれてくるのです。
そしてその福運は、本人だけでなく、
先祖7代・子孫7代にまで福運は及ぶと大聖人は仰せです。
ご本尊の前で唱題をする事と、折伏弘教の対話の二つの実践は、
自らの生命に内在する悩みや苦悩を変換して、
晴れ晴れとした大満足の生き方への挑戦なのです。
まさに、信心とは無限の向上、永遠の希望なのです。
自分自身に大歓喜の勇気が涌くのです。
勤行や唱題は、我が仏性を発揮する作業です。
君自身に梵天・帝釈が現れ君自身を守りに護るのです。
全ての願いが叶うのです。
とにかくも自分自身の全ての課題を、素直のままで祈り、
そして広布への誓いを立てるのです。
ありのままの姿で、ご本尊に深い祈りの唱題を続けるのです。
『これが誓願の祈り』です。
同じ祈りでも、「自分の事だけに執着した祈り」と、
「広宣流布への大願の祈り」とは天地雲泥の差があるのです。
『広布誓願の祈り』の中に自分自身の祈りも叶うのです。
そして、大切な事は、祈りは、より具体的で無ければならない。
例えば、弓矢を目標に射抜る時に、
真剣に神経を集中しなければ弓矢が、目標に命中しないように、
祈りの姿も、一つ一つ小さい祈りの中に、
剣豪の修行のような深い深い、真剣な祈りです。
題目の声も、白馬が大草原を駆け抜ける如く、
強き確信のある音声に、仏の命は共鳴します。
今、始まっている座談会運動は、大激励運動です。
会員を励まし続けるのです。
池田哲学を勉強し、自分の言葉で人に会話をするのです。
新聞啓蒙なども同じです。
それ自体が相手の仏性の心を呼び覚ましていく作業なのです。
仏縁が結ばれる折伏精神なのです。
「常に、先生と共に戦う心」 があるか、どうかなのです。
そして信心とは究極の勇気です。折伏する勇気です。
勇気を奮い起して、君の知人・友人に、
学会正義を語って行って下さい。
これが化他行の題目です。(他の人にこの信心を語る事)
また自分自身が御本尊の前に端座して、
題目を唱える姿を、自行と言います
この自行と、化他行のふたつが唱題行です。
自行、化他にわたりての題目が信心です。
自行化他にわたる学会活動に徹し抜いた功徳は絶大です。
その功徳は足し算ではなくて、
いわば掛け算のように溢れ出てくる。
これが一念の力であり、妙法の法則であり、勝利の方程式です。
広布の責任を担い立つ行動は計り知れない威光勢力を広げます。
自分自身に崩れざる永遠勝利の福運が積まれます。
12月号の大白蓮華で、
崇峻天皇御書 (すしゅんてんのうごしょ) では、
四年間の長き過酷な逆境の冬を乗り越えた、
四条金吾の内薫外護 (ないくんげご)
の法理の功徳が紹介されています。
沖縄広布に学べ
いよいよ創立80周年の開幕です。
それは世界広宣流布の開幕の時なのです。
世界128カ国・地域に青年リーダーは誕生しました。
「源遠流長 (げんのうりゅうちょう)」の原理から言えば、
末法の広宣流布は始まったばかりです。
いよいよ、これからなのです。
新年、大百蓮華1月号・2月号・3月号には、
「沖縄から世界広布の陽が昇る」と題して、
会長就任の2ヶ月後の昭和35年7月16日、
先生はパスポートを手にして、
当時米軍の占領下にあった沖縄を訪問される様子が
3日間の滞在を3年分の戦いをするんだ! との先生の魂魄が、
紹介されています。
「戦争の歴史から、平和の歴史へ」の大転換の戦いの開始です。
不思議にも大聖人が折伏の書、「立正安国論」を、
時の執権・北条時頼に上呈した1260年7月16日より、
ちょうど700年の目のその時です。
先生は敢えて、その日を選んで、沖縄を訪問したのです。
先生の沖縄訪問は、”大聖人の生涯の目的である「立正安国論」
で時の権力者を折伏した、仏と魔との闘争である”
との先生の戦いのリズムを沖縄の同志に教えて下さったのです。
それは
「一番苦しんだところが一番幸せになる権利がある」
「沖縄の文化の心は、最も仏法に近い」からです。
この沖縄の心を模範とせよとの、信心の精髄を、
世界に発信しているのです。だからこそ、
沖縄同志の一人の戦いの自覚を促しています。それが、
全創価学会の”勝利の勝ち戦のリズム”を創っていくのです。
沖縄が勝てば、日本が勝ちます。
日本が勝てば世界の学会員の勝利の因を創ります。
これが沖縄創価学会の誉れであり、
“世界で初めての広宣流布のモデル地帯”へ、
との先生の構想なのです。
沖縄の使命は、あまりにも深い。先生を求める”師の心”を
世界に証明するのは沖縄健児の誇りなのです。
世界ではまだ貧困をはじめ、紛争・戦争の地域が、
数多く残っています。
沖縄もいまだに戦後の遺骨収集や不発弾処理が、
終わっていません。経済格差・基地問題など、
内地からみたら遠い国のように思うかもしれません。
その一番苦しんだ地域がその宿命を転換することにより、
世界広布は仏法証明の歴史としての、その真実を残せるのです。
1964年、昭和39年12月2日
小説「人間革命」は旧沖縄本部の和室で執筆を開始されました。
書きだしの冒頭は「戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない・・・」と
軍部に立ち向かった恩師や、地上戦を経験した沖縄の人々の
慟哭の叫びが込められています。
信心で自らの宿命を転換し、人間革命の歴史を築け!
との師匠の大激励なのです。
沖縄の人々の心には「開かれた海洋国」の気風があるのです。
大海原は世界につながる我が道とみて、乗り出して行く。
そこにはロマンが感じるのです。
南米やアメリカ・ヨーロッパ・東南アジアで、
多くの沖縄出身者は活躍し、
その国の草創期を切り開いたリーダーもいます。
沖縄の方言で、
「イチャリバ チョーデー」=行き会えば、皆、兄弟=といって、
胸襟を開くところには、どちらが上とか下とかいった、
息苦しい関係はない。
その平等に語り合う場には、海風が薫り、
明るい青空や星空が広がる。
これが沖縄の精神です。
日本の東京は政治と経済の中心です。
世界広宣流布の中心は、「沖縄の信心の心」なのです。
師弟共戦とは、師匠から信心を弟子が受継ぐのではありません。
師匠という大将軍の魂を、
弟子が証明せんとする戦い続ける事なのです。
在在諸仏土常世師供生(ざいざいしょぶつどじょうよしぐしょう)
といって、
常に戸田先生には牧口先生。池田先生には戸田先生が師匠です。
現代において、池田先生はますます雄渾の指揮を執っています。
創価の師弟とは、師匠と弟子が一体となって戦い、
現実の上で、
師匠の構想を弟子が実現するのが広宣流布の実像です。
生命論から言えば、
師の生命と弟子の生命が混在一緒になって、戦い続ける。
在在諸仏土常世師供生とは、
弟子の心の中に、常に師匠が生き続ける事です。
それは心が純粋でなければ、解りません。
御書の勉強でも、解らなくても、
「そうだ!その通りだ!」と思って勉強するのです。
そうすれば、自然に理解出来るようになります。
疑ったら、混乱するだけです。
御書には、「心こそ大切なれ」「心の財、第一なり」
「志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」等々と、
何度も何度も、「心」で耐え抜く。「心」で開く。
そして「心」で勝つのです。
心は見えない。
しかし、その純粋に師匠を求め抜き、共に戦った心は、
「絢爛たる功徳の実証」として、見事に現実に表れたのです。
今まさにその通りに戦っている姿もまた、
仏の境涯そのものです。
沖縄創価学会も、その功徳の実証の組織が出来上がりました。
君もまた、君の目標である強い心を作り磨いて、
全てが勝利していける人生を歩んで下さい。
君の勝利が「先生の大樹を仰ぎ見る思いの祈り」です。
過去を振り返れば、みな勝ち戦。そして
未来を見れば、無限の宝の中に入っていくような人生。
これが、本当の幸福であり、仏の大境涯です。
一生涯、仏法を勉強し、そしてその戦いの中で生き抜くのです。
その中とは、苦悩の民衆の中でです。
その民衆を仏の大境涯に、高める事が広宣流布の姿です。
朝の祈りから出発する、毎日の学会活動です。
仕事も活動も、全てにわたって具体的でなければ、なりません。
凱旋将軍は老いても尚、
戦いのスピードは緩めるどころが、逆に加速させます。
未来記にはまた、
何十倍もの戦いの沃野が広がっていく事を知ってるからです。
仏の偉大な境涯は、見宝塔品で説かれた、
地湧の菩薩の境涯さえも、下にしか見られないほど、
偉大な力を持って、戦う人材群です。
実は若き君たちのこそ、過去世において、
その凱旋将軍の親であった人が、
強い絆に結ばれて、その賢属たちとして、生まれてきたのです。
凱旋将軍の親にあたる君たちです。
「親の成仏・即、子の成仏」。父子一体の成仏が仏法です。
先生が「大楠公の歌」に見た心は、
父は死するが、君(子供)が仇を討てとの父子一体の生き方を教えています。
平成21年12月22日