〈誓いをつなぐ〉 兵庫・尼崎総県

  • 広布の電源地「世界の関西」の要

1981年3月18日、池田先生は尼崎文化会館(現・尼崎平和会館)を訪れ、「広布の電源地」との永遠の指針を贈った1981年3月18日、池田先生は尼崎文化会館(現・尼崎平和会館)を訪れ、「広布の電源地」との永遠の指針を贈った

 世界にその名が轟く「常勝関西」。なかでも、自他共に認める創価の牙城。それが兵庫の尼崎総県(三代総県長、田原女性部長)である。
 
 大阪に隣接し、商都を“下支え”する工場街として発展してきたこの町に、足繁く通い、友を励まし、「庶民の王国」の誇りを与えたのは、若き日の池田先生だった。
 
 初めて会合で訪れたのは1957年(昭和32年)12月2日。先生が不当逮捕された大阪事件の5カ月後のこと。以来、公判等のため関西を訪れるたびに足を伸ばし、“尼崎は尼崎らしく”“ここから大人材が出る”と期待を寄せ続けた。
 
 尼崎が、支部として出発したのは60年(同35年)5月3日。池田先生の会長就任式の席上である。同志が誇りとする歴史だ。
 
 なぜ先生はこの地に力を注いだのか。
 
 広宣流布には急所というものがある。大阪、神戸という大都市の間に位置する尼崎に一大民衆勢力を築けば、両都市を刺激し、関西全体、ひいては日本の広布が大きく進む。尼崎には、関西全体を大きく動かす「要」となる使命がある。
 
 ゆえに先生は、尼崎に「広布の電源地」と指針を贈った。その期待に応えて、尼崎の同志は、強固な民衆城をつくり上げてきたのである。「尼崎らしく」

 尼崎の強さ。それは先生と一対一で結ばれた、学会ひとすじの分厚い庶民の陣列だ。牧平和子さん(総県女性部総合長)も、その一人である。
 
 生まれも育ちも尼崎の牧平さんは60年(同35年)4月、一家で入会。小学校5年の時だった。
 
 66年(同41年)、高等部の夏季講習会で、初めて師との出会いを結ぶ。
 
 池田先生は「松野殿御返事」を通し、人間として生まれて大聖人の仏法を持ち、広宣流布に歩む人生が、どれほど福運に満ちているかを教えてくれた。
 
 求道心を忘れず、「創価学会の後継ぎ」として成長してほしい――師の万感の期待に触れた牧平さんは生涯、先生と共にと誓った。以来、広布の庭にわが身を置き、どんな戦いにも率先してきた。牧平和子さん牧平和子さん

 牧平さんは88年(同63年)3月26日、現・尼崎文化会館で行われた兵庫広布35周年記念の幹部会に出席。“尼崎は兵庫の心臓部”“「世界の関西」の要”と語る先生の指導を胸に焼き付けた。
 
 2000年(平成12年)2月、兵庫を訪問した先生は、尼崎の代表らと懇談。牧平さんもその一人として参加した。ここでも先生は“尼崎は尼崎らしくいくんだよ”と、草創の時代から変わらぬ期待を寄せた。
 
 師の真心に応えようと、同志の訪問・激励、対話拡大にまい進してきた牧平さん。地域での信頼も厚く、現在は自治会長も務める。
 
 「私たち尼崎の同志は、常に先生と共に、広布の戦いに“必ず勝利する”気概にあふれています。これまでも、これからも、日本一の勇気と団結で模範の前進を続けていきます!」市の中心部に立つベイコム総合体育館(旧・尼崎市体育会館)。池田先生はこの地で正義の師子吼を放った市の中心部に立つベイコム総合体育館(旧・尼崎市体育会館)。池田先生はこの地で正義の師子吼を放った

 尼崎の同志が広布の戦に臨むたびに確認する「原点」がある。
 
 1962年(昭和37年)1月24日、「大阪事件」の判決の前夜、池田先生は関西の男子部幹部会に出席した。会場は尼崎市体育会館(当時)。1万2千人の青年を前に先生は、“関西の男子部の諸君に申し上げます”と切り出した。
 
 それまで公に語ってこなかった、大阪事件のえん罪の構図を詳細に語り、烈々と師子吼した。
 
 「善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う!」
 「私たち地涌の菩薩は、日蓮大聖人の弟子として、その自覚と信念に立って、不幸な人びとの味方となっていくのです。そして本当に、全民衆が、すなわち日本国中の人びとが、安心して幸福に暮らしていける世の中を築き上げようではありませんか!」
 
 そして翌日、無罪判決を勝ち取ったのである。
 
 「先生の正義の魂を受け継ぎ、広布に突き進むのが尼崎男子部の使命です」と語るのは、菊地康仁さん(総県男子部書記長)。菊地康仁さん菊地康仁さん

 “学会二世”ながら一時、学会活動から遠ざかっていたが、粘り強く激励に訪ねてくる男子部の先輩の姿に、“ここまで人のために動く理由を知りたい”と思うようになる。
 
 会合に行くとそこには、心の垣根なく、生き生きと信心を語り、励まし合う世界があった。“自分もこの中で成長したい”と活動に励むようになった。
 
 折伏に奔走し、今年3月には17人目の友を入会に導いた。3年前に好待遇で転職し、社会での実証も勝ち取る。昨年には、母の病魔を一家の一丸の祈りで克服した。
 
 菊地さんは、尼崎青年部の心意気を代弁する。「“真剣・誠実・一生懸命”を胸に、関西、全国を牽引する拡大に挑みます!」これからも強い!

 池田先生は歌った。
 「尼崎 兵庫の王者と 勇みゆけ 同志の連帯 日本一かな」
 「関西の 偉大な広布の 人材は ここに集えり 尼崎かな」
 
 池田先生はつづった。
 「兵庫は『兵の庫』だ。雄々しき戦士の宝庫だ。兵庫が勝てば、関西が勝つ。関西が勝てば、全国が完勝する。尼崎は、その関西の電源地であり、学会の心臓部である」
 
 今再び、王者の証しを! 世間をあっと言わせる威風堂々の勝ちどきを!
 
 「勝利が使命」と誓い進む同志の合言葉は、こうである。
 「尼崎は昔も強い、今も強い、これからも絶対に強い!」青年部のリーダーが圧倒的な広布拡大を誓って(尼崎文化会館で)青年部のリーダーが圧倒的な広布拡大を誓って(尼崎文化会館で)

聖教新聞2021年6月19日付け

〈御書の旭光を〉1 地球を照らす希望はここに!

<御文>
 「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布せん」等云云、仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候(呵責謗法滅罪抄、1130ページ)
 
<通解>
 (法華経薬王品には)「わが滅度の後、後の五百歳のうちに閻浮提に広宣流布するであろう」等と述べられている。(今は)仏滅後で怨嫉が多いので、“後の五百歳に妙法蓮華経が流布する時”であると見える。
 
<池田先生が贈る指針>
 妙法は、末法万年にわたり民衆の苦悩を打開する法理だ。時代の闇が深いほど、太陽の仏法の慈悲と智慧が光る。
 地涌の生命という普遍の大地に立ち、差異を超えて尊敬し合い、苦難に挑む地球民族の連帯に、人類の希望がある。
 さあ世界広布の誓願を胸に、御書と共に元初の旭光で我らの地球を照らしゆこう!




第1回本部幹部会への池田先生のメッセージ

世界広布の久遠の使命を胸に
さあ出発! 「一年で百年分の歴史を」

新世紀が開幕した2001年1月の第1回本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)。今再び、第1回の本部幹部会から、師弟の「不二の旅」を開始しよう
新世紀が開幕した2001年1月の第1回本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)。今再び、第1回の本部幹部会から、師弟の「不二の旅」を開始しよう

 一、「青年」こそ「希望」の異名です。
 いかなる試練の挑戦があろうとも、青年がたくましく応戦し、成長してくれるならば、無限の希望が生まれ広がるからです。
 新たな一年、我ら創価の大地には、いやまして凜々しく「青年」即「希望」の価値創造の連帯が躍動しています。

特別企画「サンライズステージ」では、創価ルネサンスバンガードが躍動の演技・演奏を披露した(昨年12月、東京戸田記念講堂で)
特別企画「サンライズステージ」では、創価ルネサンスバンガードが躍動の演技・演奏を披露した(昨年12月、東京戸田記念講堂で)

 一、日蓮大聖人は、父君・母君のことを偲ばれつつ、法華経神力品の一節を引いておられます。
 「太陽と月の光明が諸々の闇を除くことができるように、妙法を受持し弘通する地涌の菩薩は、世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる」(御書903ページ、趣意)と。
 民衆仏法の御本仏であられる大聖人は、末法濁悪の闇が最も深い時をあえて選ばれ、「民が子」として「民の家」に誕生されました。
 そして泥沼の如き現実社会に飛び込み、全民衆の苦悩を万年先、いな、尽未来際まで照らし晴らす「太陽の仏法」を説き顕してくださったのです。

2021年の元日、富士山頂に初日の出が重なり、荘厳な「ダイヤモンド富士」が現れた(山梨・本栖湖周辺で)
2021年の元日、富士山頂に初日の出が重なり、荘厳な「ダイヤモンド富士」が現れた(山梨・本栖湖周辺で)

太陽の仏法の大光赫々と 苦悩の民衆を照らせ!

 一、この「太陽の仏法」の赫々たる陽光を、二度の世界大戦という前代未聞の大闘諍に喘ぐ20世紀の闇に、黎明の如く決然と放っていかれたのが、牧口先生と戸田先生であります。
 創価の師弟は、「十界互具」「一念三千」という、人生観、社会観、生命観、宇宙観まで明かした最極の哲理を掲げて、一人一人の胸奥から元初の希望・勝利の太陽を昇らせていきました。
 この人間革命と宿命転換の蘇生のドラマは、今や全地球で「月月・日日に」(同1190ページ)、強く生き生きと繰り広げられているのであります。



「地涌の菩薩」の勇気と智慧を

 一、今年は、大聖人の御聖誕800年――。
 私たちは不思議にも、「今この時」を選んで共に生まれ合わせ、「世界広宣流布」の戦いを起こしております。
 久遠からのこの宿縁と使命を自覚するならば、何ものにも負けぬ偉大なる「地涌の菩薩」の勇気と智慧と慈悲が、一人一人に滾々と涌現しないわけがありません。
 日蓮仏法は、「世界平和」と「永遠の幸福」という、全人類が力を合わせて目指すべき境涯の最高峰を照らし出し、そこへ至る道筋まで明確に示しております。
 「衆生の闇」は、ますます深い。
 だからこそ、私たちは「立正安国」「立正安世界」の信念の行動を貫きながら、地域へ社会へ未来へ「太陽の仏法」の大光を、いよいよ、たゆまず明るく温かく、そして普く惜しみなく贈っていこうではありませんか!



誓願の国土の安穏を勝ち開け

 一、60年前、第3代会長として最初に迎えた元日、私は学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊の御前にて、宣言しました。
 「力の限り、戦いましょう! 私は、この一年で百年分の歴史をつくります」と。
 そして年頭より関西を経由して九州へ入り、さらに東京・関東各地の支部結成を行って、初のアジア訪問へと出発しました。
 日本全国を駆け巡り、ヨーロッパを初訪問したのも、この年の秋です。
 「一年で百年分の歴史を」と誓った私の先駆の行動は、題目を唱え抜き、心で戸田先生と常に対話しながらの「不二の旅」でした。
 御聖訓には、「よき師匠と、よき弟子と、よき法と、この三つが寄り合って祈りを成就し、国土の大難をも払うことができるのである」(同550ページ、趣意)とあります。
 「師弟不二」にして「異体同心」なれば、力が湧きます。友が広がります。諸天も動き、勝利の道が開かれます。
 あらゆる祈りを成就し、誓願の国土の安穏と繁栄を勝ち開いていくことができるのです。

池田先生がしたためた、墨痕鮮やかな「不二乃旅」の大書
池田先生がしたためた、墨痕鮮やかな「不二乃旅」の大書]

 一、これからの十年は、まさに地球の大難をも払い、「生命尊厳」そして「人間革命」を基軸とした「新たな人類文明」を建設しゆく大事な大事な時であります。
 この十年を決しゆく勝負の一年、希望・勝利の「不二の旅」を共々に朗らかに決意し合って、私の年頭のメッセージとします。