未来部歌誕生の地・岡山

【未来部歌】

高等部歌「正義の走者」の歌詞が完成したのは、1978年7月23日の岡山であった。

★「未来部歌」誕生・・・倉敷総県婦人部書記長の仲前日加里さんは、その完成の瞬間に立ち会った一人。当時高校3年生だった。
「できたよ!これでいいかい」。名誉会長が白い紙を手に岡山南文化会館 (当時、岡山文化会館) の屋上に現れ、高等部の担当者に言った。
“白い紙”は、できたばかりの「正義の走者」の歌詞だった。時刻は夕方。屋上には金魚すくいなど、屋台のコーナーが設けられていた。友の真心に応え、名誉会長夫妻も浴衣を着て、居合わせた草創の同志らを励まし、役員に声を掛けていく。
「未来会だね」
やがて椅子に座ると、名誉会長は厳粛な口調で語り始めた。「僕は何百万回というほど、人に会ってきた。何百万回も診た医者は、一目見れば、患者がどんな状態か分かるでしょう。僕も同じだよ。約束を守る人かどうか、すぐに分かるんだ」「生涯、約束を破ってはいけない。僕はじっと見ているよ」
厳愛の指導だった。既に宗門問題が各地で火を噴き、広布の未来に暗い影を落としていた。名誉会長は、未来部員をあえて「大人」として遇し、どんな嵐にも折れない大樹と育つための“根っこ”をつくりたかたったに違いない。
懇談が終わり、屋上から降りていく未来会の友。名誉会長が大きな声で言った。
「また会おう!次の学会を頼むよ。お母さんによろしく」
「正義の走者」は、名誉会長の加筆を経て「未来部歌」として歌い継がれている。

(転載)