創価の師弟の祈りとは・・・・
君自身の願いが全て叶う祈りです。
それは、苦しみは、苦しみにつけ題目を唱える。
悲しみは、悲しみのまま御本尊にぶつける。
悩みは悩みとして、大きく見おろしながら前へ前へと行くのです。
御本尊を拝するという事は、全宇宙を見おろしていくようなものです。
自分自身の苦しんでいる生命も、見おろしていく自分になっていく。
嬉しい時は、嬉しいままの感謝の題目になっていきます。
もしも、苦悩の時の題目は喜びに変わります。
そして、その喜びは大歓喜の題目に変わるのです。
これが、君自身の胸中に出現する「大歓喜の題目を!」です。
祈って、動いて、書いて、話して、生涯、友の心の扉を開くのです。
自分だけでなく、友にも、「南無妙法蓮華経」の仏の生命を語り、伝えるのです。
共に、地涌(じゆ)の菩薩としての生き方を示し切って行くのです。
これが、「地涌の人材を!」です。
私だけではなく、友の心にも歓喜の題目を送るのです。
具体的には、自分自身の日課として、目標としての題目を課すのです。
一日、5分の題目を唱えるの人もいるでしょう。
一日、30分の題目を唱える挑戦の日々でも良い。
更には、1時間、2時間の場合もある。人それぞれで良いのです。
大事なのは、私はこれだけ挑戦したという事です。
挑戦の題目です。
この挑戦の題目の祈りの中には、ありのままの自分の姿を祈りきって行けば良い。
それも、より具体的な、マトを得た祈りです。
こうなりたい!? こうしたい!? ・・・・・何でも良いのです。
このように、大歓喜の題目と地涌の人材を輩出する戦いに徹したとき、君自身に、「勝利の旗を!」としての結果が表われます。
祈りが叶います。それを実証(じっしょう)とも言います。
広宣流布(こうせんるふ)の大願(だいがん)に生き抜く人生は「信力(しんりき)」「行力(ぎょうりき)」という生命の底力を奮い起します。
ゆえに、創価の師弟は、全宇宙の仏天(ぶってん)も揺り動かす偉大な「仏力(ぶつりき)」「法力(ほうりき)」を満々と涌現(ゆげん)できるのです。
語句の解釈
「地涌(じゆ)の菩薩」・・・釈尊が説いた妙法蓮華経の中に説かれる、
妙法蓮華経自体を広める人間としての姿。
「実証」・・・信仰の結実として、祈りが叶ったり、祈った人が幸福となること。
「広宣流布」・・・南無妙法蓮華経の題目の力を全世界の人に広めゆくこと。
「信力」・・・自分自身が御本尊に題目を唱える力。
「行力」・・・自分自身が我が友に仏法を語り、共に広めゆく力。
「仏天」・・・全ての生命のリズムをつかさどる善の力、エネルギー。
「仏力」・・・御本尊に備わっている仏の境涯・力。
「法力」・・・御本尊に備わっている妙法のリズムの力。